待つ、と言ったものの、半年は長かった。
これでは遠距離恋愛もままならぬわ、と嘆息。
しないからいいけど。
オトンに、
「ギターを弾きたくば、半年待て」
と、飽きっぽいあたしは、ギターへの情熱を試されたのだ。
しかし、微動だにせず待っていては、時間の無駄。
それこそダンボールでギターを作ろうか、とも思ったが、
それをぶら下げてノリノリでポーズをキメている最中に、
オカンが部屋になど現れたらバツが悪いし精神的に心配されるのでやめた。
とにかく、情報収集。
ありがたいことに、吹奏楽部はサックスの佐倉先輩(男)は、
ハードロックが大好きなギター弾きだったし、
同じクラスの鈴本くんは、
メタルにハードロック、スラッシュにプログレ、
はたまたジャパニーズインディーズに詳しく、
彼らと話をしていると、すごく勉強になったし、飽きることがなかった。
家に帰っても、ギターのことばかりを考えて生きていた。
部屋には、
「聖飢魔U」「DEAD END」「キラーメイ(のち、ドラムのアニーとギターのエマはTHE YELLOW MONKEYとなる)」「KISS」など、
顔におどろおどろしいメイク(聖飢魔Uは素顔)を施したバンドのポスターばかりを貼り付けていたので、
オカンは部屋に入るたび、
「アンタの部屋はお化け屋敷やな。夢に出てくるわ!」
と言い放つのであった。
家庭では、
「あたしギターが弾きたくて仕方ないのよ」アピールを常に続けて、
半年、という約束を、少しでも早めていただくようにせねばならなかったため、
関係ない姉にも、相当うるさく夢を語ったものだ。
バンドにもロックにも、さほど興味を持たなかった姉が、日本インディーズムーヴメントにやたらと詳しいのは、あたしの戯言の犠牲の上に成り立っているのである。
(しかし、デヴィッド・ボウイや中川勝彦(故。しょこたんの父)なんかを聴いたりする、よくわからん趣味の持ち主ではあったが)
そんなアホな妹の妄想を、少しでも和らげよう、と思ってか、
ある日姉は、バンドをやっている知人から、1本のギターを譲り受けてきた。
「これ、アンタにくれるってさ」
見ず知らずの妹にギターをあげようとは、さてはて奇特な男がいたもんだよ、
と当時は思ったもんだが、単にその男は姉に気があっただけであろう。
あたしはダシに使われたってわけか。ありがたいじゃないか。
姉の知人がくれたギターは、黒のレスポールであった。
「古クセーギターだな」
バンドをやっていくにつれ、聴く音楽がロケンローに流れていき、
レスポールやSGをメインにしてゆくあたしではあったが、
当時のあたしには、レスポールなんぞ「古臭いギター」というイメージでしかなかった。
カッコイイのは、ストラト。
アームを駆使して、ギュインギュインいわせたい。
高崎晃(LOUDNESSのギター)のように、ライドハンド奏法をしてみたい。
イングヴェイ(マルムスティーン)のような、速弾きがしたい。
そんな、完全ギター小僧には、ストラトしかなかった。ストラトこそ、ギターだった。
しかし、エレキ。エレキギターには間違いない。
このギターで運指の練習をして、ストラトを手に入れた時には、踊りながらギターが弾けるくらいのレベルになればいいのだ。
しかし、レスポール。
超重い。
鈴本くんのストラトは、こんなに重くなかった。
こんなに分厚くなかった。
こんなにネックが太くもなかった。
オマケに「あげる」と言ったギターである。
弦が張り替えてあるわけもなく、サビサビであり、
弦をはじいても、ちっとも響かないのである。
あたしは酷く不安になった。
「オイオイ、こんなギター、扱えたもんじゃないよ」
傲慢ここに極まれり、である。
レスポールギターの登場は、あたしを喜ばせることはなく、
ただただ、ストラトへの憧れを強めただけだったのである。
下心があったとはいえ、これではギターをくれた姉の知人も報われない。
あたしはそれから、タイプではない女を嫌々抱くように、
ただ練習のためだけに、レスポールと向き合った。
しかし、
服を替えたら、いい声を出すようになった。
腰の太さもしっくりくるようになった。
重いのも愛嬌。
なんとか弾けるようになった「悪魔の賛美歌(by聖飢魔U「THE END OF THE CENTURY」に収録」のイントロ。
「姉ちゃん!悪魔の賛美歌、ちょっと弾けるようになったよ!」
なんて言っては、姉の部屋に居座り、弾いてきかせていたが、
そのセリフだけ聴いたら、頭のおかしい高校生である。
親は、この時代のあたしを最も心配していたであろう。
小日向ヒカゲ
|