いじめっ子ノリエに「死ね!」と言われたあたし。
「いじめを受ける→明日を思い悩む→自殺する」という図式に、ありがたくも脳が全く反応しなかったどころか、逆に「そうや、アイツにいじめられるままのあたしだけが死ねばいいのだ」と思い直し、日々、ノリエによって暗い小学生生活を送っていたあたしは、漫才師を目指していた大阪生活時代の輝きを取り戻すべく、ある行動に出た。それは。
「イモ欽トリオ(ニセモノ)結成」
うーん、時代を感じるじゃないか。しかも何故にこのチョイス。どうせやるなら女の子アイドルを真似ろよ、とツッコミをいれたくなるが、根っからの芸人気質がそうさせたのだろう。
「ってーか、ちょっと待てよ、イモ欽トリオってなんだよ?」
と、お嘆きの貴兄もいると思うので説明しておくと、
この「イモ欽トリオ」、萩本欽一(欽ちゃん)が、昔やっていた「欽ドン!(確か、欽ちゃんのドーン!といってみよう の略)」という、コント&ハガキによる視聴者参加型番組のコーナー「良い子悪い子普通の子」から生まれた、長江健次、西山浩司、山口良一によるユニットである。
彼らは、このコーナーでコントをしており、その人気が高じてレコードデビューをしたのである。デビューシングルである「ハイスクールララバイ」は、相当売れたと記憶している。
で、あたしは、コントの中で「普通の子(ふつお)」を演じていた長江健次が大好きだった。彼のようにコントをしたり、歌を歌ったりしたい、というその思いだけで、他の「良い子(よしお)」役と「悪い子(わるお)」役をやってくれる友人を無理矢理みつけ、歌の練習をし、振り付けの練習をし、コント(オリジナル)の練習をして、給食が終わった後の昼休み、体育館前にてゲリラライブを行ったのだ。
最初は、とにかく歌(ハイスクールララバイ)だけを歌い、踊りまくった。低学年は反応が良いので、すぐに集まってきた。そのうち日を追うごとに人が増えて、コントをやってもシラけない土台が出来上がった頃に、コントも始めた。固定ファンもつき始めたので、歌とコントのあとにはサイン会まで行うという調子の乗りようだった。
この人気に便乗して、ニセの「イモ欽トリオ」(あたしもニセモノだが)が数組発生するという盛り上がりよう。しかし、ニセ達はコントをせず、ただ歌をダラダラと歌っていただけだったので、すぐに飽きられ、すたれていった。ニセの中には、あの「ノリエ」もいた。
いじめられっ子の真似をするいじめっ子。恥ずかしいヤツめ。プライドねぇなぁ。
あたしはその時、ノリエに対して、ある種の勝利を感じていた。
学校で会う低学年の生徒は、あたしを見るたび「今日もコンサートあるの?」と聞いてきたり、「なんかギャグやって!」と騒ぎ立てたりした。
いじめられていた、このあたしに。「死ね!」とまで言われた、このあたしに、何かを期待してくれる人がいる(鼻垂れの小学生ばかりだが)。こんな嬉しいことはなかった。
もっともっと、自分の力で人の心を動かしたい。
そろそろ「イモ欽トリオ」の名前を借りずとも、何かできるんじゃないか、なんて、相当程度の低いランクでイッパシの芸人を気取ろうとしていた矢先、
「休み時間に歌を歌うと、誰も運動場に出なくなるから、しばらく自粛してくれ」と、校長に言われ、更に、学校中に「昼休みは校庭で遊びましょう」という、御布令まで出てしまい、歌もコントもできなくなってしまった。
「イモ欽トリオ(ニセモノ)結成」により、良くも悪くも、小学4年生にして「人前で歌い、演じる」ことの楽しさを知ってしまったあたし。歌は完全カバー(というか、伴奏もないので、ある意味アカペラ、ラグフェアー。ってこいつら何処へ?)なので大したことはないとして、コントは、あたしが考えたオリジナルであったので、そのコントをみて、みんなが笑う。そのことが、とにかく嬉しかった。
ひとつ、見つかった。
青白き炎に火をつけたのは、紛れも無くノリエである。転校して、新しい土地にうまく馴染めず、ウジウジしていた、そんなあたしに、ノリエは「死ね!」と言ってくれたのだ、と思えば、感謝せずにはいられない。
めっちゃ腹立つけど。
つづく
小日向ヒカゲ
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