「イモ欽トリオ」活動の傍ら、あたしは鼓笛隊で、小太鼓を叩いてもいた。
この鼓笛隊、小学生相手のくせに先生がやたらと熱心で、違う学校(鼓笛隊が有名なところ)との合同練習などを頻繁に行っていた。
太鼓を叩くアクションひとつをとっても、ルナシーの真矢、或いはAURAで言えば「あなたのこれっず」ばりの派手さを求められた。うーん、伝わりにくい。
太鼓を叩いた後に必ずぶっ倒れる、X JAPANのYOSHIKIばり、と言ったほうが良いか。
しかし、これがイカンかった。
派手なアクションを起こせば、普通に淡々と叩いているよりは、オーディエンスにウケが良い。ご両親は大喜びなんである。
難しいことをせずとも、立ち居振る舞いにより、自分をいかなる高みにも上げることが出来る。そんなことを小学生で学んでしまったあたしは、今後やることになるバンド活動においても、見かけばかりを気にする、愚かなバンドメンに育っていくのである。
話は戻って、この鼓笛隊。マーチングの時は無理だが、曲によってはドラムセットを使用することがあった。
あたしは、このドラムセットに座って太鼓を叩くことに、異様に惹かれた。自分の小太鼓の練習の合間をぬっては、ドラムセットに座り、つたない8ビートを叩いていた。テレビに出ているアーティストに憧れるでもなく、只只、ドラムセットに憧れた小学生。
「こりゃー、中学生になったらブラスバンド部に入って、パーカッション担当になり、ドラムセットに鎮座するしかないや」
その頃、義務教育のように続けていたエレクトーン。
あたしは当時、渡辺徹に相当入れ込んでいた。
「太陽にほえろ!」は、毎週かかさず観ていたし、彼の出ている音楽番組も、くまなくチェック。当時、アイドルの登竜門であった「グリコ アーモンドチョコレート」のCMで、彼が小泉今日子と共演したことで、それまで好きだったキョンキョンを、認めつつも半分憎んでいた、そんな気持ち悪い小学生であった。
彼のデビュー曲である「約束」は、そのCMの挿入歌であり、大いに売れた。そうなれば、どうしてもエレクトーンで弾きたくなるのが人情。
あたしは無理を承知で、先生に「約束」を譜面に起こしてもらい、いろんなエレクトーン教室から生徒が集まる「クリスマス発表会」で披露したのだが、スイッチングテクを要求されるアレンジであったため、緊張と練習不足のために大失敗をしでかし、途中で曲を止めてしまう始末。
「イモ欽トリオ」では、あんなに肝を据えて、歌い踊り、コントを披露するあたしなのに、何故、エレクトーンではこんなに緊張するのであろう。
いつぞやのCoccoのように、曲の途中で走って逃げてしまえば、それもまた、伝説になっていたであろうぞ。
つづく
小日向ヒカゲ
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