中学生のあたしは不良だった。
こう言い切れたら、それはそれで良い思い出だし、現在の姿とギャップがあるようならば、周りを「ほほう」と唸らせることもできよう。
しかしあたしは違った。周りの人間に、自分が中学生だった時に起こった出来事を語ると、
「それを不良って言うんだよ」
と言われてしまうが、そうではない。あたしはたまたま、そういう流れの中にいただけだ。
そういう流れ。とは。
なんとなく、仲良くなった級友の兄貴が、ヤンキーだった。よって、級友もどんどんヤンキー化した。仲良くしていたあたしも、それに釣られた。是、至極一般的な流れ。
たかだか中学生が、周りに流されない程「自分」を持っている訳が無い。
磐石ではないから思春期なのだ。
だがしかし。このまま確固たるヤンキーになるには、あたしは彼等の「まっすぐさ」を持ち合わせていなかった。
日に日に、いたづら(破壊行為と言う程のものでもないので)がエスカレートしてゆく級友仲間に付いていけなくなり、だんだんと誘いにも乗らなくなっていった。一人が何か悪いことをやるとしたら、やはり仲間も同じことをやらねばならない。「はみだす」ことって面倒なのね。なんか、間違っている。
それに、彼女らといるよりも、クラスでも地味寄りの女子と、架空のラジオ番組を制作したり、合作漫画を制作したりしているほうがよっぽど楽しかった。
そこで気付いたのだ。あたしのひねくれ方は、ヤンキーの持つそれではなく、アングラ寄りのそれであったと。つまり。
オタクですか。
ヤンキー仲間と決別することは、キツかった。オトシマエ、って言葉を今思い出したが、まぁそこまで行かずとも、軽くオトシマエ。というか、いじめ。
移動教室から帰ってくると、自分の机の上には、必ず痰やら唾やらを吐かれていた。
「うへー」という顔をしているあたしを見て、ヤンキー仲間は大爆笑するのである。初めは、雑巾を持ってきて拭いていたが、手間がかかるそのサマにも、ヤンキー仲間はご満悦するばかりなので、なんだか悔しい。であるから、ある時期から、窓際の席であったのをいいことに、カーテンを引っ張ってきて、それで机の汚物を拭いていた。
痰が来ても、サー。
唾が来ても、サー。
「金鳥サッサ」顔負けの拭きっぷりである。
これには彼女らもマイッタ様子。クラスの皆にとっては迷惑な話だが、風が吹くたびに自分らの痰やら唾の染み付いたカーテンが揺れるのだから、気持ちの良いものではない。
その他のいじめとして、靴の中に砂をぎっしり入れられていたり、靴紐がなくなっていたり、鞄にぶら下げていたものが無くなっていたり、シャーペンの芯が無くなっていたり(ご苦労様です)、あること無いこと様々な噂を流されたりしたが、その程度。カミソリで顔を切られることもなく、縁を切ることが出来たのである。
だから、というわけではないのだろうが、あたしは集団で行動を取ることが、すこぶる苦手である。足並み揃えなければならないあの苦痛。
特に女の団体、というのは本当に苦手。であるから、女が競い合わねばならないバーゲンも苦手。女性専用車両なんて気が狂うだろう。ましてや、OLがワンサといる会社なんつーのは地獄さながら。ドラマや「いいとも」をみていないと、キチガイ扱いされるという地獄。
昔「ココリコミラクルタイプ」で観たのだが、
OL3人が喫茶店で話をしていて、一人がトイレに立つと、残りの二人でトイレに立った者の悪口を言い、トイレの一人が帰ってきて、今度は別の一人がトイレに立つと、今度もまた残りの2人でトイレに立った者の悪口を言う、という、それの繰り返しをやるコントがあった。
このコントは決して大袈裟なものではなく、実際「あるあるある」と感じるからウケる訳であり、それを思うと空恐ろしく、果たして女の集いとはそういう意味しか持たないのだろう、としみじみと思う。
なのに、今あたしはその地獄の中で働いているのである。何故?奇特としかいいようがない。プレイだと思わねばやっていられない。寿命は確実に縮まっている。それだけは確信している。
つづく
小日向ヒカゲ
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