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さらばガリ勉の日々よ 第11回
ゲストハウス・ライフB
~旅立ちの朝~ |
冒険がしたい。
多分、その引き金となっていたのは過去のコンプレックスによるものだと思う。25歳の当時のボクは、いまだに「ヤンキー母校に帰る」に嫌悪感を抱いていたし、ヤンキーの欠片もなかった自分がつかの間のモラトリアムを経て、なんとなく生きていることに腹を立てていた。
ドラゴン・クエストで16歳の勇者は、朝ベッドでマミーに起こされ、旅支度を始める。しかし、現実にはバラモスもスライムも存在しない。唯一、どうのつるぎのレプリカが、秋葉原あたりに売っている程度だ。鏡の前の、体重90kgの巨漢を見てボクは笑った。こんなハズじゃぁなかったのに。こんなカラダじゃ、冒険の旅どころか、軽い運動をしただけでも筋肉痛。先日は箱根の山登りをして15分でリタイアした。全て自堕落の賜物ではある。
テレビモニタから、毎朝のように映画ザ・ビーチのラスト5分のシーンを見て出社していた。伝説のビーチにたどり着いたデカプリオだったが、遠く離れた孤島にも現実は待っており、最後はネットカフェで、ビーチ・ライフを懐かしむように当時の写真を眺めている。
「パラダイスは、いつだって心の中にある」
デカプリオは、そんな悟りを得て映画は終わる。
「そんなの、わかってるって」
ボクはそう言い聞かせながら、ネクタイを締め上げる。今日で、リーマン生活にしばらくはお別れ。1年勤めたコールセンターは結局辞めたし、その後派遣で勤めたNHKのテレビ映像の監視という、よくわからない仕事も今日で終わり。仕事中にピタゴラ・スイッチを眺めてうたた寝をしているうちに、もう、どうでもいいやという投げやりな気分になっていた。
ワーキング・ホリデーの存在を知ったのは、ちょうどその頃である。オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、フランス、イギリス、韓国…。一年間働けるビザが30歳までなら、10000円程度で簡単にゲットできる。遠く離れた異国の地で、自分なんかが一体何ができるのだろうと思っていたけれど、色々不平不満を述べながら、日本でダラけるのは健康的ではない。
ちょうどその頃、出会い系サイトで知り合った、ぽっちゃり系の娘とラブホテルにいたボクは、テレビから流れる朝のニュースに驚愕する。
香田証生さんの死。
イラクで拉致され、クビを切られた24歳の若者だ。同じように貧乏旅行をしてきたボクにとって、彼の死は自分のことのように胸が痛んだ。
「退避勧告が出ているのだから、行くほうが悪い」
それも一理ある。だけど、オトコの子たるもの、悲惨で過酷な現場を生で見てみたいという好奇心のようなものがあるのは、むしろ自然なことだ。小学校のとき、校区外の工事現場に行っては秘密基地を作っていたし、高校の頃は放課後に、地元すすきのの歓楽街へ何をするとでもなく足を運んでいた。なんとなく、吸い寄せられるように。
イラクに吸い寄せられてしまった香田さんは、首を切られ、批難される。その前に行った3人組は無事帰国し、日本で本を出したりジャーナリストとして仕事が増えつつあるというのに。人生とはせちがらい。ほんの少しの勇気と好奇心が、アダとなってハイお陀仏。一方ボクは、自分の中のほんの少しの勇気と好奇心を押し殺して、そして味気ない毎日を送っている。
幸せなんか、どうでも良かった。ただ、自分を試してみたかった。
やらずに後悔するくらいなら、まず、やっちゃえ。
海外へ行って映画を作ってみたい。そんな漠然としたキモチでボクはイギリスのワーキングホリデービザを手にしていた。変なところで、ボクはヒトより運があるようで、イギリスのビザは8倍の難関だという。一説によると、くじ引きで決まるらしい。
***
青山一丁目のオフィスのに向かって「バカ野郎」と大声で叫んでいた。犬の散歩をしていたマダムが、可愛そうなヒトを見るような視線をボクに浴びせかける。だけど、仕方がないのだ。一度、そういう青春ドラマ地味たチープなことをやってみたかったのだ。
今日でサラリーマンとは、しばしお別れ。そう思い、松屋で一人缶ビールをゴクリする。気分は悪くない。トレインスポッティング、シューティング・フィッシュ、ケミカル・ブラザーズ、アンダーワールド…。イギリスのものは何でも好きだった。それに、ハウスメイトのイギリス人から、何度も故郷の自慢話を聞かされていた。
出国の前日、カズやダイトが盛大なパーティを開いてくれた。カズの家には万国旗が掲げられ、その中にはイギリスのユニオン・ジャックもある。その近くには、どこかの古物屋で手に入れたという、キリストの像があった。
「ジーザスが君を守るだろうよ」
酔っ払ったダイトが声高に叫ぶ。バカげていたけど、嬉しくて礼を言った。
「宿は予約した?一泊ぐらい、ユースとかとった方がいいんじゃない?」
「大丈夫さ。むこうで探すよ」
カズが心配そうに助言してくれたが、ボクはその申し出を断った。ボクは、旅慣れているのだ。そんな自負があった。イギリスは治安もいいだろう。現地で最悪野宿し、適当に決めればいい。腹に巻いた、貴重品袋をさすりながら、ボクは思った。
***
「ほな。気ぃつけてな。待っとるから」
翌朝、蒲田駅の改札口でボクは皆に見送られる。70リットルのバックパッカーには今のボクの全てが詰まっている。中に入っているのは、洋服や下着類、インスタント味噌汁や、みんなからもらった電子辞書、旅日記用のノートブック、南京錠。他の私財は誰かにあげるか、実家に送りつけて処分した。
改札口に上野行きの切符をくぐらす。上野から、京成線で成田空港へと向かう。もちろん、成田エクスプレスには乗らない。貴重品袋に詰めたキャッシュ30万は、空港で全部ドルに変えよう。
「あっち!ホームの一番前行っとってや」
ダイトがそう叫び、ボクは手を振り皆に笑顔をふるまった。蒲田で過ごした一年半の管理人生活は大変有意義なものだった。見ず知らずの男女が同じ屋根の下で過ごす体験は、何よりも貴重で、新鮮なものだった。
エスカレーターを滑り降り、しばし感慨にふける。ホームの対面にあるビア・ファクトリーでは、よく安価なウィンナーを肴に朝までビールを飲み明かした。その横にたたずむスロット屋。ボクはスロットはやらなかったけど、桃鉄で負けた罰ゲームで、朝からスロット屋の行列によく付き合わされた。クジを引いて若い番号だと、いい台をゲットできるのだそうだ。
「まもなく、2番線に大宮行きが到着します」
朝、5:00ということもあってかのんびりとしたアナウンスがホームをかけ巡る。指示されたホームの一番前まで行くと、対面に、また、アイツらの顔があった。
「さようなら!」
「土産話期待しとるで!」
「Good Luck,KEN!!」
ただの掃除夫だったのに。ただのトイレットペーパーの運び屋だったというのに。彼らの声色が乾いた空気にカラカラとこだまし、やがてそれはホームに滑り込んだ列車の轟音にかき消された。
車窓から外を眺めると、電車と同方向に走る彼らの姿があった。思わず、手を振ると、近くに座っていたホームレスが、意味深な視線を浴びせてきた。
本当に良かった。
本当に、いいヒトたちだった。
眼下には、なんとなくアンニュイな蒲田の街を象徴するドブ川がある。
この川が、イギリスまで続いていればいいのにな。一瞬、そんな風に思ってもみたが、いやいや、それは有り得ないだろと、ボクは小さく笑った。
つづく…
by 雑魚ゾンビ
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