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さらばガリ勉の日々よ 第8回
〜 第二の故郷 〜 |
「飲みに行こうよ!カワイイ顔してるねえ」
何度も声をかけられ、ねぼけ眼とアルコール塗れの胃袋を引っさげ起き上がると、そこには二人の男がいた。一人は、色白の美青年。もう一人は、浅黒い、東南アジア系の男だ。
「よーやく起きたか。ヨシ!飲みに行こうね」
色白の美青年に手を引かれ、ハイヅリ回るように夜の街を闊歩する。どのくらいの間、眠っていたのだろう。「誰かボクと付き合ってください」の紙は、いつの間にか、どこかに消えていた。頬に触れる風は紛れも無く、晩秋のそれで、歯だけがガクガクと震えていた。
どうでもいいや・・・だから、ボクは何も恐くなかった。
***
やがて、どこかのバーへと到着した我々。
「まあ、食べなよ」
色白美青年が、ローストビーフとか、フィッシュアンドチップスとか、高そうなモノばかりをドンドン薦めてきた。腹が減っていなかったが、食べないのも申し訳ないので、目の前にあったオリーブとハムの小片をチビリチビリと頬張っていた。
終始、親切に接してくれる美青年は、ショウといった。歳は27。仕事は介護士で、休みの日は2丁目に遊びに来る、バイセクシャルなのだとか。対し、終始無言だった東南アジア系の男は、ブルネイ出身。「友達だよ・・・」としかショウは語らなかったが、店の支払いも全て彼が済ませていたので、どうやら、パトロンか、愛人という感じなのだろう。
「君は、カレシを探していたの?それともカノジョ?」
ショウがオリーブをパクつきながら言ってきた。
「よくわかんないけど、多分、ボク、バイセクセシャルだから・・・」
ここで、ストレートに「女が好き」と言っても良かったのかもしれない。だけど、何となくバツも悪く、周りのゲイカップルや店員は、新参者のボクに対し終始色目を使ってくるし、適当にそう答えておいた。
「アハハ。それ、よくわかるぅ。ウチも昔、女好きだったけど・・・やっぱりメンズの方がいいわぁ。」
ピンク色に頬を紅潮させ、トロリと目尻を下げた、店員がそう言って、肩をポンポン叩いてきた。
「よくいるよね!自分はゲイなんじゃないかって、ウリセンとかで働いてみるヒトぉ」
「バーカ。ウリセンは貧乏なノンケ君ばっかでしょ。」
そんな会話がアチコチから飛び交い、どこか遠く、漫画の世界にでもいるかのような可笑しな気分になってしまった。
***
やがて、 バカデカイロールスロイスで、ブルネイ人の家に招かれたボクとショウ。車に乗ってる間、ブルネイ人は一言もしゃべらず、ハンドルを握っていた。
到着した家は、3F建ての白亜の豪邸で、JRの某駅からほど近くにあった。ますます、謎は深まっていたが、ボクとショウはとりあえず、クイーンサイズのベッドにダイブした。
「お風呂入ろうか」
そう言って、ショウはボクの手の腹をクリクリ引っかいてきた。もう、随分前から手を握っている。
二人でシャワーを浴び、ごく自然に抱き合い、愛撫する。酔い覚め直前の気だるさと覚醒感。もう、どうでも良かった。やがて、執事のようにバスタオルを持って現れたブルネイ人。フカフカのタオルをボクらに渡すと、表情一つ変えずに、扉を閉め、隣の部屋へと
消えていった。こういう展開は、しょっちゅうなのだろうか。
有線放送からジャズが流れ、その瞬間、ボクは黙って彼の腰に巻いていたタオルを剥ぎ取り、ソイツを口に含んでいた。これで、男好きな性分が芽生えていたら、その後の人生はハイになるかもしれない・・・人生観が変わるかもしれない・・・あん時のボク、そんな風には決して思っていなかったのかもしれない。そんな冷静さは皆無で、ただ自分に優しくしてくれた目の前の肉体に感動しつつ、奉仕の喜びを感じていたのかもしれない。気づけば無意識にワケもわからず男の体を嘗め回し続けていた。
「無理しなくていいんだよ」
執拗以上に必死なボクを見て異変に感づいたのだろうか。ショウは優しく言い放った。
「大丈夫さ・・・」
平静さを装い、ボクは無言で尻を突き出した。逆の立場はどう考えたって、ありえない。やはり、ボクは本質的にMなのかもしれない。やがてゆっくりと挿入された尻の中で蠢く異物に、違和感を覚える。新しい世界も感動も、愛も待っていない。自分探しの答えなんてもう問わない。そこにあるのは、浣腸でもされたかのような不快感のみだった。
やがて、ボクの腹に白い飛沫を飛び散らせた彼。ボクの毛むくじゃらなカラダを見て、一体、この人はどうしてイッちゃえるんだろう。ボクなんかでイイのかな、そんな風に思っていた。机の上に放り出されていた高級カメラや文房具が、今となっては、ボクの数倍の価値にすら思えてくる。悲しくも、嬉しくも無い。
「そろそろ、仕事行くわ。」
ショウがジーンズを履き始め、一睡もしてないのに身支度を始めた。
「ここで、ゆっくりしていっていいよ」
彼は、そんな優しい言葉をかけ、あっという間に外へ出て行った。
ベッドの上のボクは、全裸のまま意味も無く天井を見上げていた。その昔、アジアの安宿で見たような大き目のファンが天井でパタパタと周回し、乾いた空気を切り裂く音ばかりが耳の奥でこだまする。外からは、時折すずめの声。バルコニーから無機質な黄色い光が注ぎ、鼠色の絨毯を照らしている。
AM8:45
亭主を送り出して待つ主婦の気持ちって、こんな感じなのだろうか。だとしたら、ボクはそんな寂しさにきっと耐え切れないことだろう。
ボクはブルネイ人に会釈し、家を飛び出していた。
ショウからはその後、一通だけメールが来た。「また、遊ぼう」とか確かそんな感じの内容だった。無視すると、やがて連絡は途絶えた。
***
それでも、まだまだ現実は続いていく。映画だったら、この辺で終わってもいいのに、人生は長すぎる。平凡な会社と家の往復とか、コンビニ弁当やカップ麺を食べたりとか、さして楽しくも無いグチだらけの飲み会とか、そんな無駄でどうでもいいシーンが人生には多すぎる。もうボクは、そのほとんどに飽きてしまっている。
相変わらずPCサポートの電話を取る毎日。黙々と電話を取り続けていると、「月間総受信件数800件」を記録し、社内でトップになってしまった。だが、一向に給料は上がらず、時給制のボクには、無駄な労働をしたぐらいにしか思えない。大体、電話を取って素早く切るという才能があったとして、この先の人生、何の役に立つのだろうか。
そんな風に苛立ちを感じ始めていたボクに、数ヵ月後、一通の朗報が入る。以前決定していた、ゲストハウスの管理人の仕事がいよいよ始まるのだ。
JR蒲田駅西口ほど近くにその家はあった。見た目はオンボロな二階建てで地震が起きたらすぐに押しつぶされてしまいそうなくらいだ。庭先には、古びれた赤い布団や下着類が干されてあり、郵便受けはダイレクトメールで溢れていた。敷地内にはなぜか、缶ジュースの自動販売機があり、抱いていたオンボロへの不安は「オモロイかも」という非日常的なものへの喜びに変わっていた。
扉を開けると、目の前にはホコリだらけの靴箱があり、その対面には急勾配の階段があった。忘れられた廃校のような雰囲気に、一瞬にして魅了されてしまう。共同のリビングの扉を開けると、日本人の女性がBBCのニュースを眺めていた。
「こんにちは。新しい管理人の者です。」
そう言って、挨拶を次々に済ませていく。白黒黄色・・・肌の色は様々だったが、皆、気さくに応えてくれた。そんな中、2mはあろう、巨人が狭苦しい洋式便所に入ろうとし、鴨居に頭をぶつけているのを見て思わず笑ってしまった。
20名の多国籍な人々の生活が、間違いなくここには存在する。「燃えるゴミ burnable」と書かれたゴミ箱。「Keep
clean」と書かれた、木製のトイレのドア。様々な写真や、海外の絵はがきが飾られたリビングの壁。そんな古びれた、でも、自分にとって真新しい空間に、ボクは明日から身を沈め、家賃回収や掃除などの雑務に励むこととなる。総勢20名の住人を、24歳最年少のボクは果たして取り持つことができるのだろうか。一体、どんな世界が待っているのだろう。
そんな不安が疼いている時だった。開けっ放しの廊下の窓から、巨大なバックパックを担いだ白人男性が見えた。サングラスをかけ、額からうっすらと汗を流している。夕刻の日差しが、彼の頭部だけをキラキラと執拗に照らしていた。
家へと続く細長い砂利道を彼は、一歩ずつ確実に歩いてくる。彼も、この家を初めて訪れる者に違いない。「この森で天使はバスを降りた」という映画で、バックパッカーの女性が未知なる地を訪れるエンディングシーンがある。そんな映画みたいな素敵なシーンを、まさか、京浜東北沿線で見てしまうとは。
現れた男は、重そうなバックパックを、ズシリと玄関に下ろした。この20kgほどのバックパックに彼の人生の全てが詰まっているかのようだ。
「Hi ! I am Joe.
Nice to meet you.」
サングラスをはずしたその男は、手馴れた様子でそう言い、握手を求めてきた。
「Welcome to Japan!!」
なぜか、ハイテンションでボクはそう叫んでいた。かつて、どこか遠くの国で、名も無き誰かに、そう叫ばれていたように。
その瞬間、ボクの中でこれまで疼いていた寂しさは、不思議な安堵感へと変わっていた。
2004年5月4日。
幸せへのスタートライン。ボクの中では、この街が第二の故郷になるという根拠の無い自身が芽生えていた。
続く・・・
by 雑魚ゾンビ
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