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さらばガリ勉の日々よ 第5回
〜自分探しの代償〜 |
AM7:00。
オレンジ色の電車から見える景色は
次第に都会のそれへと変貌していく。
乗客はまばら。
遠距離通勤のサラリーマン。
スポーツ新聞に向かって小言を
つぶやく、怪しいおっさん。
酔っ払いホームレス。
子供の頃、何かのドラマで見た光景が
そのままそこにあった。
疲れきったサラリーマンにも、怪しいおっさんにも
「絶対なるもんかぁ!」と、幼いボクはココロに誓った
もんだが、イマのボク。
ボコボコの顔面を東スポで覆い、半ばふて腐れ気味に
シルバーシートの上で寝転がっている。
いまだアルコールのたっぷり含まれた二酸化炭素を
「フーッ」と吐き出し、向かった先は代官山。
今日は平日。
ボコボコの顔面のまま、また、ルーペでエロ写真の観察だ。
「会社休もうかな」
そうも思ったが、顔面のハレは数日では引かないだろう。
今日会社へ行かなければ、明日が「人生で最も出社したくない日」
になるし、今日明日休めば、明後日が「人生で最も出社したくない日」
となる。
ヤなことは先に済ましちまった方がいい。
けど、会社の上司には、このツラなんて言おうか?
一時間前−。
「おまえが、会社に言おうが警察に言おうが一向に構わない」
プロデューサーのMさんは静かに言った。
「やりすぎたわ・・・昨日はすまんね」
極悪監督が呑気に言う。
「それとも、何もなかったことにするか?
道で絡まれたて凹られたことにするとか・・・」
Mさんが提案した。
そして、今ボクはキャンプ場から会社へと
電車で向かっている。
「大丈夫ですか?」
乗り越し清算をしにきた駅員が、東スポをめくって
声をかけてきた。
彼は、ボクのツラを見るや一瞬「ギョ」とした
表情をした。
「大丈夫です・・・」
そう、そっけなく答えると、駅員はすぐに仕事に戻っていった。
「面倒臭いことには関わりあわない方がいい」
それが、昔からあるこの社会のルール。
***
AM10:00。
「ガッハッハ!どうしたそのツラ?」
ドSプロデューサーが嬉しそうに声をかけてきた。
「チーマーに凹られました・・・」
「ホントか?昨日の撮影でなんか、あったんじゃねえの?」
鋭すぎる・・・
突きつけられた事実に、クビを縦に振りそうになってしまったが、
それでもボクはシラを切り通した。
「ま、別にいいや。」
ドSプロデューサーは、そう言うやボクの顔写真を
素早く撮ると、早速フォトショップで加工し始めた。
いつも通りの朝が始まる。
ホッと胸をなでおろし、電話応対やエロ写真の整理
を始める。
いつもと違ったことは、人事や営業部から、
ボクのツラを眺めに来る人が何人もいたことだ。
しばらくはエレファントマンごっこが続くのかな。
***
淡々と毎日は過ぎていく。
どこぞの公園でのパンチラもの撮影。
ボクはカメラマンの乗った台車を手押しする。
人気の無い場所を選んだのに、突如現れた子供。
ボクは咄嗟に、彼の目の前に立ちはだかり、
オトナの世界への壁を作る。
完成したビデオテープは審査所へ持っていく。
薄い壁で仕切られた4畳半ほどの空間。
室内にあるのは、20インチのモニターと
ビデオデッキ、長机のみ。
「お願いします!」とテープをデッキに投入し、
審査員にモザイクの有無や大きさ、放送禁止用語など
についてチェックしてもらう。
審査員と称される主は、皆、なぜか60歳以上の
おじいちゃん。
ズズリとお茶をすすったじいちゃまが
「ここ、モザイク粗いわぁ」
などと突っ込みを入れてくる。
時にはじいちゃまから、飴玉やセンベエをもらう。
一緒にボリボリ食べながら、
「最近のAVはカゲキじゃなぁ・・・」
などと、AV談に花を咲かせる。
この仕事をやっていて、唯一「癒し」を感じるときだ。
***
ボクが、その異変に感づいたのは、それから一ヵ月後の
会社の飲み会だ。
顔面の腫れも当に引き、それなりにエロクリエイティブな
毎日を楽しんでいた。ドSプロデューサーのイビリを抜かせば、
そんなに悪くない。
船盛りの刺身をつつきながら、ボクは上機嫌で酔っ払っていた。
「てめえ!フザケンじゃねえよ!!」
どこからか、知らないオヤジの怒鳴り声が聞こえた。
居酒屋ではよくあるシーン。
普通、一向に構わなければ、
店員が「まあまあ」なんて言いながら、数分で
おさまるハズ。
だが、その怒声を聞いたボクは、突如、泣き出してしまった。
「エーン!エーン!」
迷子になった幼き子の様。
当然、会社の人は「ギョ」として、ボクに近づいてきた。
「どした?大丈夫か?」
Mさんが、ボクの顔をつかんで揺すぶった。
だが、そん時のボク。
脳裏に、あのキャンプ場でのボコラレが浮かんでいたボクは、
さらに泣きじゃくる。
「エーン。怖いよぉ」
抵抗することも無く、ひたすら蹴りと殴りに絶え続けた
あの経験は、ボクにとって相当な体験だったらしい。
そん時のボク。頭の中は3歳児。
プライドを破壊しようとした行為の代償は、
想像以上にデカかった。
夜通しのボコリは、ひ弱なガリ勉をイカれさせるには
十分過ぎるものだったらしい。
「オレだよッ!!なぁ!!もう、大丈夫だって!」
Mさんがボクを抱きしめ、ようやくボクは落ち着いた。
オヤジの怒鳴り声は当に聞こえない。
周囲の執拗な視線を感じ、やっとのことで「恥ずかしさ」
を認識できた。
「ま、飲もうや。イエーイ!」
誰かが、わざとらしく言い放ち、皆、何事も無かったかのように飲み始めた。
この、「イエー!イ」と叫んでくれた人に、
この場を借りて感謝したい。
***
「なあ、いつ辞めるのぉ?」
これが、ドSプロデューサーの朝の一声。
「やめませんよぉ」
なんて、ボクはタイムカードを押しながら、
作り笑いで返答する。
いつもの朝。
机につき、ボクは来週のスチール撮影のスタジオを
探し始める。
目ぼしきスタジオが見つかると、電話をかける。
「株式会社○○と申しますが・・・」
「ああ・・・オタクか。ウチはアダルトはお断りしてるんだよね」
「そうですか。失礼・・・」
ガチャ。
こんなやり取りももう慣れた。
ここで働き始めて、もう半年。
「AVだろうが仕事は仕事」
そう、割り切っていたボク。
だが実際、このギョーカイにいると「割り切れない」
人々が世の中に多数いるのが垣間見える。
「AVは社会悪・・・」と言っていた、制作部のDさん。
電車の中では、率先してお年寄りに席を譲り、
車椅子の人が扉をくぐろうとすれば、誰よりも
早くドアを支える。
日給、5000円にも満たない「汁男優」
と呼ばれる人たち。
普段、聖職者とか、お固い仕事ばかりの人々が、
人前で黙々と手淫をし続ける。
そして、仕事が終わると満足気に怪しい笑顔を
浮かべている。
みんな、どうにかこうにかバランスを取っている。
バランスを取らずに「割り切り」で済ましていたボク。
本質的に、彼らより繊細さが足りなかったのだろう。
そして、「若さ」という図々しさを持っていた。
「まだ決まらんのか、スタジオ?」
ドSプロデューサーがハッパをかけてくる。
「はい、すいません。」
「ッタク・・・どうしよもねえな。それより、
明日いつもより30分早く来てくれんか」
「はい!わかりました」
その時なぜか、プロデューサーのMさんとチラリと目が合った。
何となく、せつないような、不思議な目付き。
5秒ぐらい目が合ってるのに、そらそうともしないから、
ボクは、とりあえず愛想笑いを浮かべてみた。
それが、Mさんを見た最後の日だ。
***
翌日−
出社すると、制作部にはドSプロデューサーのみ。
「きったねえな・・・」
なんて、彼は机周りを掃除し始めた。
「おはようございまーす!掃除手伝いましょうか?」
タイムカードを押そうとしたボク。
「掃除?そんなんもう、いーよ。それより、ハイ・・・」
黙って差し出された給料袋。
手渡しって、一体・・・。
「これ、今月分のだから。つーか、昨日までの分。」
袋片手にタイムカードを探していたボク。
もちろん、見当たらない・・・
「今日が、最後。もう帰っていいよ」
そのコトバを聞いたボク。
何も言うことができず、黙って給料袋を
握り締めていた。
「さ、早く荷物片付けろよ」
コトバに従う。
引き出しを開け、先輩たちからもらった、
ペットボトルのオマケのフィギュアとか、
期限切れの牛丼屋割引券とか、そんな、大して
役立たないものをカバンに詰め込む。
「そっか・・・そっか・・・」
荷物を片付けながら、妙に納得していた。
最近、ひどくなってきた、彼のイビリも嫌がらせも、
ボクを辞めさせる為だったのか。
だが、それでも「カントク」になりたかった
ボクは、無遅刻無欠勤で通いつめ、遂に強制手段
に踏み出された・・・というわけなのか。
あとで聞いた話によると、そのドSプロデューサーの
直下で勤めた記録としては、ボクの「六ヶ月」が
最長記録だったらしい。
ほとんどが、自ら去っていたのだとか。
だが、そん時のボク。
そんなコトは知るはずも無く、机を雑巾がけしていた。
「さ、もう帰れよ」
お世話になった、営業部や広報の方に挨拶しに行こうとしたが、
「さっさと帰れよ!みんな来ちまうぞ!」
ドSがわめいたので、その場を離れた。
「お世話になりました!!!!!」
わざとらしく大声でボクは叫んでやった。
***
朝の京浜東北線。
下り電車に人気は少ない。
乗客のほとんどが暇そうなマダムたち。
(主婦になりたいな・・・)
そんなクダラナイことを考えている内に、
自然と涙がこぼれてきた。
電車の中、ボクはワンワン泣いた。
そういう時に限って、ハンカチもティッシュも無い。
垂れ流しのボク。
(頑張ったのに・・・あんだけ耐えてきたのに・・・)
もう、ボクの映画監督への道は全て閉ざされて
しまっただろう。
映画→テレビ→ミュージックビデオ→AV・・・
そう、進んできた、最後の結末が「クビ」なんて、
あまりにもカッコ悪すぎる。
(やっぱり、高校の時、理系を選んで、一浪してでも
医学部に行っておけば・・・)
また、始まった。
そう思ったのはコレで何度目か。
2002年新卒の夏。
これだけ色んな経験をしても、あの時と何ら
変わっていない。
成長の無い自分探しと、夢の追っかけなんて、
転職の繰り返し。
「バカ」以外の何ものでもない。
涙で目がかすみながらも、給料袋を開けてみる。
中から、嫌味な程小奇麗な新札が18枚出てきた。
これが、ボクのほぼ全財産。
(とりあえず、働かないと・・・)
大森駅で下車したボクはコンビニへ行って履歴書と
B-ing、缶ビールを買う。
いつも発泡酒のボクは、金も無いのに
なぜかエビスビールの500ml缶を手にしていた。
「いらっしゃいませ」
店員の陰気な男が、バーコードを通しながら、
一瞬「フッ」と笑う。
道を歩く。
どこにでも、貼られてある「地球一周の旅」
のポスター。
金額はおよそ150万円。
何もかもがウザい。
***
全てに嫌気を感じていたボク。
それでも自宅でB-ingを開いていた。
そして、またしても、クリエイティブ系のページ
に目をやる。
「AV監督になりませんか?最短入社一年でなれます!」
そのコピーが目に付き、二秒後にはソレをゴミ箱に
投げ捨てていた。
履歴書を取り出す。
行きたい会社は決まっていないが、とりあえず
住所と職歴だけでも書いておこうか。
そう思い、筆を取るも、「慶応義塾大学卒」
と書いた後に、手が止まる。
そして、ビリビリに破り裂いていた。
携帯を取り、実家に電話する。
「只今、留守にしております・・・」
こういう時に限って、お母ちゃんはいない。
留守電に「クビ報告」を残そうかと思ったが、
何となくやめにした。
布団に突っ伏する。
チュンチュンと、ワザとらしいスズメの声が
聞こえてくる。
冷蔵庫が、いつもよりうるさめに「ゴー」っと唸っている。
つけっぱなしのパソコンでは、何ごとも無かったかのように
スクリーンセーバーが動き続けている。
ボクは、この先どうすればいいのだろう・・・
・・・つづく
by 雑魚ゾンビ
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