さらばガリ勉の日々よ　第9回 〜 ゲストハウス・ライフ�@〜

管理人の仕事は主に、掃除と備品の購入、家賃回収である。当時派遣社員だったボクは、仕事帰りに、台所の洗い物から初め、シンクやテーブルの水拭き、そして、トイレ周りの掃除といった作業をし始めた。仕事帰りにまた、仕事･･･というとユーウツそうな感じもするが、リビングではいつも誰かがスカパーを見ながら、自作のツマミやスーパーの見切れ品の惣菜をツマミに一杯やっており、彼らが持ち寄る料理をパクつきながら、ビール片手にモップがけといった展開もしばしばだった。

備品の購入にいたっては、毎月3万円が支給され、その中からトイレットペーパーや洗剤、電球などの購入をしなければならない。3万円ときくと十分すぎるようにも思えるが、たまに、物干し台や業務用の大きめのゴミ箱、バースデイやイベント時に提供する酒類に当てると、すぐになくなってしまう。そのため、備品の購入には、蒲田一の安さを誇るつるかめマーケットというスーパーや、トイレットペーパーだけ異様に安い潰れかけのドラッグストア、洗剤や台所用品なら100円ショップと、まるで節約主婦のように蒲田の四方八方を駆け巡っていた。壊れかけのチャリンコにまたがり、まるで寮長のように、週末には大量の荷物を引っさげ、ウロチョロする。それまでどうでもいいと思えていた真昼の光景がすごく新鮮で興味深く思えていた。

誰かが、ドアが壊れたといえば慣れない手つきで日曜大工を行い、備え付けのピンク電話が通じなくなったといえば、NTTに電話して大型の車両を呼び寄せたり、ネズミが出たといえば100円ショップで買ったネバネバのトラップをしかけ、ある時などは、トイレに大き目のブツがつまり、そして全5体の便座から水が逆流して慌てふためいたり･･･そんな、非日常的な日常が、ボクの心にできた無数のささくれを、一つ、また一つと、治癒していった。

＊＊＊

ある時はこんなこともあった。

昼下がり、見知らぬ中国人の若い女性と、おばさんが二人、家を訪れた。

「リックの友達なの。彼が来るまで部屋で待たせてもらっていい？」

若い女性は流暢な日本語でそう言った。リックとは、オーストラリア人の男で、彼女は一度か、二度、家に遊びに来たのを見たことがある。私は、何のためらいも無く合鍵で彼の部屋を開け、二人を中に案内した。

数時間後。私の部屋をノックする音が聞こえた。
ドアを開けると、リックが立っている。
「おまえは、大変なことをしてくれたなぁ･･･」

一瞬、私の背中に虫唾が走った。さては、あの二人は強盗でもしたのだろうか。若い彼女はともかく、おばさんの方はまるで見たこともない。一抹の不安にかられ、彼の部屋を訪れると、先ほどの二人組みと、隣の部屋に住むアンという中国人の女性が猛烈な勢いで口げんかをしている。リックは三人の間の中に入り、半べそをかきながら、英語で何かわめき散らしている。中国語、広東語、英語、日本語･･･そのわずか6畳ほどの空間で壮烈な攻防戦が繰り広げられている。

真相はこうだった。リックとアンは付き合っている。だが、リックには今日うちを訪れた本命の彼女がおり、結婚まで考えていたその女性は自らの母親を連れて事情を伺いにやってきた。ところが･･･

「管理人さん！見てくださいよ！これ！」
ヒステリックな彼女はそう叫び、リックのラックトップのマウスを動かした。ブリトニー・スピアーズのスクリーンセーバーからあらわになったのは、見知らぬ女性の笑顔だ。

「これ！カレの三番目の彼女なんです！！！」
そう言って、彼女はマクラに突っ伏し泣き叫んだ。異変に気づいた住人達が、次々と現場へと歩み寄ってくる。とりあえず、かなりメンドクサイ。私はリックのデブッ腹を眺めながら、どうしてこんな男がウハウハなんだ･･･と自問自答し続けた。

＊＊＊

「もー！ホントにムカつくよ！」
そう言ってアンは隣の部屋のドアを蹴飛ばし、出て行った。1Ｆの奥まったその隣の部屋からはブリトニー・スピアーズのラブソングが大音量で流れ続けている。どうやら、お取り込み中らしい。

リックは、母親の説得もあり、本命の彼女と寄りを戻したらしい。それでも隣に元カノのアンが住んでいるのはやっぱりバツが悪い、ラブホテル嫌いのリックだったが、家で会うのはさすがにマズイと提案したが、本カノはこう言った。

「音楽流して、ヤレバいいじゃないの♪」

だが、その愛のラブソングは隣の部屋のアンにとっては、刃物と化す。可愛そうなアンは、近所のマンキツにでも行っているのだろうか。

「なぁ。アイツ、ひどすぎるよな！リックを追い出す署名やろうぜい」
この家随一のプレイボーイのカズが提案する。自分の恋にはルーズでも人の恋愛にはシビアなようだ。

「いいねえ！やろうぜ！」
面白がった住人たちは、早速マッキーとノートを取り出し、署名用紙を作り始めた。その時だった。

「ベツニ、メンドクサイシ、ドウデモイイジャン」
キッチンで、餃子とブルーベリージャムを同時に頬張りながら、スミスが言った。

「アハ！ま、確かに、ま、そーかも。」
「そんなことねーよ！リックはヒドイジャン！」
「けどさ、所詮他人の恋なんだし･･･」

そんなやり取りの後、リビングは静寂に満ちた。ボクらは他人のようで他人じゃない。寝食を同じ屋根の下で過ごすということは、大変に深い意味合いがある。所詮は他人の恋･･･なのに、どこか冷めた目で見られない部分もあったし、それが当人の古傷を舐めるかのように思うとイヤな気もした。

冷蔵庫の中に入っていた大量のラガービールの栓を誰からともなく開け始めた。それは、リックからお騒がせしましたという、せめてもの償いビールだった。

「なあ、今だったらあのブーツ一個くらいくれるんじゃない？」
カズがウマそうにビールを啜りながらそう言った。

「あ、あれまだあったの？」
沖縄出身のムネさんがそう呟く。

「ありまくりだよ！押入れは、ブーツだらけさ」

実はリックは、海外から羊毛フカフカのブーツを大量に仕入れ、日本のオークションサイトで売りさばこうとしていた。ところが、ブーツは30000円という高価さのためか、ほとんど売れなかったらしい。数百個はあるだろう、ブーツの入ったダンボールをリックが徹夜で折りたたみ、整理していた様は実に愉快であった。

「アハハ！アイツ、へんなヤツだよなぁ」
カズがそう言って爆笑した。

それにつられてボクも笑う。住人の平均年齢は30歳前後･･･。こんなヤスッパチの恋愛ドラマみたい話ではあるが、実はみんな結構いい年した大人だったりするのだ。

＊＊＊

へんなヤツといえば、この家には実に様々な住人がいた。

沖縄出身のムネさん。カレはいつも2リットルの三ツ矢サイダーを常備し、彼の洞窟のように薄暗い部屋にはサイダーのペットボトルがいくつも散乱していた。
「この前、久しぶりに掃除したらお金発見したデー！5250円！！」
そう言いながら、彼は満面の笑みを浮かべ、その金で沖縄そばとサイダーを買いに部屋を出て行った。

「ヨー！ケンタサマ！ワッッアップ！？」
いつも陽気に挨拶する、アスティン。彼は図体がデカイ割りに恐ろしく軽快かつ陽気なヤツで、実際彼の部屋を訪れる女性達は後を立たなかった。リビングの真上に位置する彼の部屋からズサズサと物音がすると、「ネズミかな？それともアスティンがチョメチョメ？」と、皆口々に言っていたほどである。そんな彼の部屋は、ゲーム用の14インチのテレビ、それにせんべい布団が置かれただけの至ってシンプルな部屋であった。
「ゲームか、セックスか。エピクロス派もいいところだね」
カズはそんな感想をポツリと漏らした。

「やー、やっぱ横になれるってええなあ」
この家に来てそう感想を漏らしたのはカズの友人の、ダイトだ。彼はここに来るまで漫画喫茶に暮らしていた。まだ彼と知り合って間もない頃、リビングで彼は内職をするかのように、チラシを綺麗に正方形型に切りそろえていた。何をしているかと聞くと、「これがオレの仕事や」と彼は真っ直ぐな目でそう言った。見れば、チラシの全てがスロット屋のクーポンである。これを使って彼は一稼ぎに行くのだという。ちなみに、彼と桃鉄をプレイし、必ず負けていたボクは、バツとしてよく早朝のスロット屋に並ばされていた。

変人はまだまだいる。いつも紫のゴージャスなガウンに身を包み、日経新聞を愛読するスミス。彼が無職なことは、あまり知られていない。狂ったようにプレステのウィニングイレブンをプレイする、ジャック。普段は英会話教師をしており、仕事の関係で昼に家に戻ってくることが多い彼だったが、それがウィイレをやるためだったのは他でもない。

こんなに賑やかなメンバーで、飲みに行くと大変なことになる。どこかへ飲みに行くとなると、ほとんどサイゼリアか笑々である。偏食で、日本の食べ物をほとんど口にできないジャックだって何かあるたびに、「ワラワラ!イキマショ！」を連呼する。案の定、えだまめとカラアゲ意外はほとんど口にしないジャックに理由を尋ねるとこう答えた。

「だって、ヤスイし、オイシイでしょ」
どうやら、仲間と生チューがあればどんな環境だって楽しめるらしい

飲み会のたびに、みんなで肩を組み、腕を組んで歩き家に帰った。普通なら「じゃ、ここで」と、駅前あたりで解散なのだが、ゲストハウスはここが違う。

そのままリビングのソファになだれ込み、そしてまたビールをあおり始める。誰かが粗大ゴミから拾ったという、バカデカイラジカセからいつの間にか音楽が流れている。そして、それとほぼ同時に、各自が部屋から布団を持ち寄り、壁一面に立てかけ、即席防音装置を作成する。

「この家のパーティは、終わらないよな」
いつもニヒルなカズが珍しく笑顔で言った。

「そうだよな･･･ずーっとみんな家族だね！」
「バーカ。オレ、結婚早い予定だし･･･」
「オマエ無理だっつーの」
「でも、いなくなると寂しいよね･･･」

この家が、永遠に存在していてくれたらいい･･･世界中から、この蒲田という小さな町に集まった面々は、皆誰もがそう思っていたらしく、アルコールで頭を痺れさせ、目はまどろみながらも、酒を煽ってはいつもそんな終わりの無い話に興じていた。

続く･･･

by　雑魚ゾンビ