>>>
唐突だけど酒をやめた。
やめて今日で一週間だ。
一週間やそこらで何言ってやがるんだと言われるかも知れないけど、今まで18才くらいの頃から生活の一部となっていたヘビードランキン生活。
これを一週間も絶っているなんて、僕を知っている人なら驚く気がする。
今まで飲み続けてきた僕は、はっきり言って軽度のアル中。
酒が抜けると、どうにも苛立つようになっていたのを否めない。 |
|
だから、潮時。
やめた。
10年前からやめる、やめると言いながらやめられなかった酒をついにやめた。
禁断症状で嫌な汗をかく夜がいくつかあったけど、ただじっと偲んで耐えた。
※でも誰かのパーティーとか、誘われた時には飲むという例外つきです。
酒はキリがない。
酒は本当にキリがない。
あればあるだけ、その快楽に溺れこむ。
僕は酒とうまくつきあえない。
そんなことをずっと、心のどこかで気づきながら、10何年も生きてきた。
時に泥酔して問題を起こし、時に壮絶な二日酔いの朝に人生を呪って。
そうして自分の弱い部分を全て酒でごまかしながら生きてきた。
でも、そういう悪癖をついに絶つことにした。
***
最近の僕はよく考える。正しい人間の生き方ってどんな生き方だ?って。
ずっと、そんなことをぐちぐちで考えてきたけど、ここらである程度答えが見えてきた気がする。
それはちょっと抽象的なんだけど、空気と同化した生き方。という言葉が近いかな。
どういうことかと言うと、タバコも酒もカフェインも油まみれのジャンクフードもいらない。麻薬なんて問題外だ。
ただ山にたたずむ樹木のように、荒野をかける狼のように、大空をはばたく鷹のように、ただ、本当に必要なものだけで生きる。
快楽もいらん。巨額な金もいらん。地位もいらん。
ただ風が流れるように、この世界に存在したい。
そして飲料水と必要なだけの食料、そして家族の絆。
こういうものだけに人生を拘束されたい。
こういうことを1つの自由と言うんじゃないのかな? |
|
でもこれって、もうすでに体現している存在がそばにいたから僕はそう思えたんだよね。
その存在は、僕の子供。
子供はあるがままに、自然の一部として何も疑問なく楽しそうに生きている。
新しき父親である僕も、そこに帰ろうと思う。
だって、生まれた時は僕だってそこにいたんだ。
頑張ればきっと帰れるんだろう。
でも、まあ、そんな偉そうなこと言っても、たまには飲むんだけどね(笑)
でも90パーセントはやめだ!!
過度な酒は人生を無駄にしちまう。
それは本当に怖いことに思えるんだよね。
それに、子供にとってもアル中の父親なんてまっぴらごめんだろう?
ねえ。
***
2007-6-29
|