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北朝鮮によって新たな核の時代を迎えた2006年。
世界で唯一核爆弾を落とされた国、日本、そして広島、長崎。
実際に被爆された方の話を聞く機会があったので下北沢のFREEFACTORYというカフェバーに僕は出かけた。
下北沢FREEFACTORY
企画者のヨージロー氏と語り部の出島さん
※ヨージロー氏詳細 ⇒ http://www.freestyle-life.net/free-100-page-9.htm
三鷹市原爆被爆者の会 会長の出島艶子さんがその日のことを丁寧に語ってくれる。
爆弾が落ちた時はそのあまりの衝撃で一瞬全ての視界が失われた…体中にガラスが突き刺さり腕と顔には穴が開いていた…治療薬などなくただ消毒にヨードチンキを塗られその激痛に泣き叫んた… 父親とはその爆発で死に別れ、まわりではたくさんの子供がボロ雑巾のように死に、そしてたくさんの血だらけの人々を見殺しにせざるをえなかった…
戦争が終わってからも被爆者たちの地獄は終わらなかった。放射能が自分の子供たちに影響を及ぼし始めた。そしてついに生まれてまもない孫が病気になった・・・
語り部である出島さんは物腰の柔らかい上品な人であったが、核について、そしてそれを投下したアメリカというものに対して語る時あきらかに怒りをあらわにしていた。
悲痛な怒りだった。
どうしてだ!どうしてこんな愚かなことをやった!という怒りだった。
原爆を落とされた広島や長崎の様子を子供の時、写真展で見たことがある。
焼け焦げ、人間とは思えないその姿。
見るに耐えない凄惨な血と死だけの光景。
でも子供の頃の僕にはそれはどこか異次元の世界に感じた。
あまりに酷すぎて現実感がなかったのかも知れない。
でも今となって改めて思う。
この地獄がわずか60年ほど前に実際にあったのだと。
たった60年前。
当時の原爆ドーム
僕は広島の福山という土地に端を発する。
僕の婆ちゃんはもう死んでしまったが確か原爆のキノコ雲を見たといっていた。
結局のところ僕にも原爆の長い尾はつながっている。
目には目を!歯には歯を!こんな風潮で日本でも核武装の話しが現実化しようとしてきている。
確かに理解できない話しではない。
確かに理想論だけでは平和を守ることはできないと僕も思う。
だけど本当にその選択が正しいのだろうか。
もっと他にはないのだろうか。
最近はずっとそう思ってる。
絶対に僕の愛するものたちが平和に暮らせるというのであれば、核武装したってかまわないよ。
でもそんな保証どこにもないんでしょ?
逆に危険が高まる可能性だってあるんでしょ。
最近の政治とか国際関係とかそういう屁理屈がもうたまらなく鬱陶しい。
世界中の人が愛するものを失わずにすむ着地点は一体どこだ。
アメリカだろうが日本だろうが北朝鮮だろうが中国だろうが、そんな枠組みはもういらん。
どこだ、どこが着地点なんだ。
僕は最後に出島さんにこう質問してみた。
”北朝鮮によってまた核の時代が始まりましたが、出島さんはどう思っていますか?”
出島さんはこう答えた。
”戦争で悲しむのはいつも一般人。えらい人々はどうせ安全なところに逃げる。最後に地獄を見るのはいつも普通の暮らしをする人々。そのことを皆忘れてはいけません。。”
http://h-s-o.net/jap/index.html
当時の広島の様子↑上記のサイトで克明に知ることができます。
悲しく辛い話しが多いですが是非見ておくべきだと思います。
子供と近所の海で。すごく綺麗な時間だった。こんな美しい瞬間を失うわけにはいかない。
2006-10-26
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