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"働いたら負け!”
このフレーズを最近よく耳にする。この間もTVで言ってた。
もともとはニートと呼ばれる若者が笑顔で堂々と発したらしいんだけど、これってどういうことなんだろう。
僕は親のすねをかじっていた時期や、無職の時期、転職を繰り返した経験もあるから、どちらかと言うと彼らニート側の人間。
いや、どちらかと言うより完璧にか。
そんな僕が20代の頃どういう考えをしていたかというと、こういう考え。
落ちこぼれた僕はもう、日の当たるエリートの世界(※優秀なサラリーマンとかね。)のやつらにはきっと生涯勝つことが出来ないのだろう。だから僕は潜水艦になる。潜水艦になって闇から魚雷をぶつけてやる。それが僕の生き方なんだろう。それしかもうこの世界と渡り合う方法はないのだろう。
すごく危険な香りのする(笑)考えでしかもそれを実践し数々の闇の仕事に手をつけ(※たいしたことない…オーバー。)、あげくの果てには詐欺犯にもなる寸前だった。(※自分では現代の石川五右衛門をきどっていたんだけどね。金があまっているところから奪い取って何が悪い!?って)
この”働いたら負け”はその時の僕と似たようなものの考え方なのかなと勝手に思っている。
企業に勤めたって結局、こき使われるだけこき使われて金持ちになって得をするのは働きもしない経営者ばかり。
フリーターでアルバイトしたって人間としては扱われず、まるで牛馬のようにアゴで労働を与えられおまけに社会からは冷めた目で見られるだけ。
こういう歴然とした事実が現代の日本には転がっていると思う。
どこかよその人の話しではなく、自分の現実の話しとして。
誰が得をして、誰が損をしているかが凄く見えやすくなっている時代に僕には思える。
でも、自分の肉体を精神をただの労働力、売り上げのための数字としか見ないやつらのために、働くなんて健全な本能が働いていれば拒否するのは当たり前だ。
僕はこの”働いたら負け”はそういうことの総合的な叫びだと解釈している。
ブランキージェットシティのベンジーこと浅井健一はアルバム、CBJimの中でこう言いきった。
”古い世代のやつらは金でなんでも買いあさった。だけど俺たちは自然掟の中で生きるケダモノの世代さ。”
まあ、こんな観点で”働いたら負け”は解釈しているんだけど。
だけど、僕は一人の父親として同時にこう言いたいこともある。
それは、息子よ、決して”働いたら負け”なんかじゃないぞ。
現代の社会は"働く”
ということが根本的に捻じ曲がってしまっているのだと思う。
働くということの根本は金を稼ぐということじゃない。
もちろん金を稼ぐというのは必要不可欠なことなんだけど、その前に誰か愛する人に何かをしてあげたいという純粋な気持ち。
守りたいとか。
そういう気持ちが結果的に労働になり金銭に変換される。
決して最初から金銭を目指すのではない。
そういうことを理解している大人がほとんどいなくなった。
その親が作り上げたこの国、日本。
そりゃ、働くエネルギーなんか出るわけない。
でもそうじゃない時代もあった。
そして現在も少ないながらこの”働く”という意味を知っている魅力的な人びとがまだまだ沢山いる。
息子よ。
父ちゃんはこれからも、この世界をたくましく、決してスポイルされず、笑いながら生きてゆく数々の人びとに会ってゆくだろう。
そして息子よ。
きっと理解して欲しい。
決して働いたら負けなんてことはないんだ。
信じて欲しい。
そして俺がそれを証明してやる。
不死鳥レーサー太田哲也のメッセージ”KEEP
ON RACING”のTシャツを着せる。
いつかその意味を教えてあげるよ。
つづく
2006-6-12
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