”深海に生きる魚のように、自らが燃えなければ何処にも光はない”
これは大正から昭和にかけて生きた歌人、明石海人氏が残した言葉です。その言葉に触発されて”深海に生きる魚のように燃えろ”このフレーズが頭に浮かびました。
明石海人氏の人生は壮絶でした。
もともと教師であった彼は20代中盤でハンセン病を患い妻、子供、そして現実社会から隔離されます。
そんな絶望的な状況の中、それでも一筋の希望を失わず歌人として作品を世に送り続け作品集としてまとめたのが歌集「白猫」です。
この歌集「白猫」は当時の多くの人に受け入れられました。
自分ではどうにも出来ない運命に翻弄されながら叫び続けた彼の人生。
彼が隔離される際、自分の妻、子供との別れの時に詠った詩。
”鉄橋へかかる車室のとどろきに憚(はば)からず呼ぶ妻子がその名は”
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