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死なせてたまるか!

〜ポジティブ・シンキング博士の自殺撲滅大作戦〜



 Vol.3 マナブ……ウリセンデビュー

【登場人物】

マナブ……35歳童貞。引きこもり時々派遣社員。重度の自殺願望あり。

ポジティブ・シンキング博士……自殺学研究の第一人者。

ファンタスティックネガティブ星人……人類を自殺に導く宇宙人。

MIX畑中……自称カリスマ音楽プロデューサー

カツミ……アウトドアショップ経営のゲイ。


◇◇◇


「……というわけで、畑中さん、お金はありません」

とんかつ屋に戻るとマナブは言った。

「それは災難だったなぁ」畑中氏がお茶を啜りながら言った。

「しかし、君がデビューすればそんなはした金、一時間の労働で返せるだろう」

「ほんとですかぁ!」マナブは興奮した。

畑中氏が大きく頷く。そしてもう一度ショッキングピンクの携帯電話をマナブに突き出してきた。

「やはり、ママのお金を頼るしかないようだね」

浅黒い肌のなか、畑中氏の窪んだ目が大きくパチクリした。




 マナブは逡巡した。

 ここでこの話を断れば、ミュージシャンになるチャンスは途絶えてしまうだろう。

しかし、その代償として、ママに借金をしなければならない。

畑中氏は100万円が必要だと言っていた。

そこに、自分の借金が上乗せされればママの出費は更に増えてしまうだろう。


「あのぉ……」マナブは呟いた。「もう少し、考えさせてもらうのはダメですか?」



「もちろん結構だよ」畑中氏が頷いた。




「しかしだね。残念ながら私は明日からアメリカへある大物ミュージシャンとの契約交渉に行かねばならないのだ。

帰国後は一ヵ月後になるだろう」


「なら、返答は一ヵ月後でもいいんですね?」


 畑中氏は苦笑いを浮かべならかぶりを振った。


「残念ながらそこまでは待てないよ。

君は確かに100年に一人の逸材だが、アメリカの大物も同じく100年に一人の逸材なのだ。

だから私の気が変わらない内に早々に契約することをオススメするね。

私の元には1日20人〜500人もの新人アーティストが売り込みに来るのだよ。こんな風に食事を取ることは、一緒に仕事をしない限り二度とない機会だと思った方がいいだろう」


 畑中氏が携帯電話をテーブルの上に置いた。

爪楊枝を手にし、マナブの目を見たままのんびりと前歯の隙間をほじくり始める。




 マナブは一考した。 チャンスは失いたくない。

しかし、畑中氏の発言を信じるなら、自分が100年に一人の逸材であることは確かなのだ。

だとすれば、何もわざわざ畑中氏と組まなくても、その他の大物業界人に当たってみれば、成果は得られるはずだろう。

「やっぱり、今回の契約はなしでいいです」

「へ?」畑中氏の顔に驚きが広がった。だがすぐに平静を繕い、ゆっくりと口を開いた。

「本当にいいのかね?」

「はい」

「本当にいいのかね?」

「はい」

「そうか、残念だな。では、この件はなかったことにしよう」

「わかりました」マナブは強気だった。

畑中氏が席を立つ。テーブルの上の携帯電話を掴み、何度かマナブの顔を窺った。

そして、

「本当にいいのかね?」

 再度尋ねてきた。

「しつこいなぁー。いいんですよ。僕が100年に一人の逸材で、ダイヤの原石だといいう確証が得られただけで十分です」 

「そうか、わかったよ」

彼が個室を出た。

「あっ」

 突然畑中氏が声をあげ、戸口から顔を覗かせた。




「そういえば、君は今回の契約の返答を延期したいと言っていたね?」

「はい、そうですけど。できるんですか?」

「もしかしたら、1週間くらいなら伸ばせるかもしれないぞ」

「ほんとですかぁ?」

「ああ。ちょっと待っててくれ。2、3本電話する必要があるから」

 畑中氏が去っていった。





 5分、10分。マナブはその個室のなかで期待を込めて待ち続けた。

やはりこれほどの大きなチャンスだ。

ママに相談し、契約金を捻出してもらうのがいいのだろうか。

 15分、20分。マナブの頭にはバラ色の未来が広がっていた。

もし、畑中氏がアメリカに飛んでしまったとしても、彼の発言は正論に値する。

この、無一文の旅が終わったら、早速レコード会社に売り込んでみよう。

 25分、30分。畑中氏は現れない。




マナブは腹がすいてきたので米のおかわりを頼んだ。

本当はトンカツも注文したかったが、畑中氏が戻ってきた時にカツに舌鼓を打っている自分を見られるのはあまりに態度がデカすぎる。

マナブは好物のマヨネーズとサウザンドレッシングをご飯にふりかけ、酸味と塩分を思う存分堪能した。




 40分。遂に席を立ち、マナブは店内を見た。

畑中氏はどこにも見当たらない。トイレにもいなかった。

レジカウンターにいる店員に尋ねてみたところ、「30分以上前に店を出て行かれました」とのこと。

支払いもまだ済ませていないらしい。

 55分、60分。

 マナブは気がついた。

 食い逃げされた……。

 そして5分後、マナブ自身もトイレに行く振りをし、素早く出入り口の自動ドアを潜り抜け、猛烈なダッシュで新宿の街へ繰り出していた。







 マナブは一人、新宿2丁目界隈を歩いていた。

 無一文どころか、トンカツ屋の借金、15280円を背負った身である。

もちろんその借金は畑中氏のものであるが、自分も意図的ではないにしろ、共犯者になってしまったと認めざるを得ない。

 夜7時。歌舞伎町には生ぬるい空気が流れていた。

昼食を食べてから5時間。当初は小銭集めに奔走していたが、それも空しくなって辞めた。

家に帰って泥のように眠りこけようと思ったが、サイアクなことに、どこかに鍵を紛失してしまったようだ。

警察に行っても届いていない。





 しばしの間、公園の水で腹をたぷたぷ膨らませていたが、いい加減、これでは拉致が開かぬとマナブは遂に働く決意をした。

 目指すは、ウリセンボーイの館である。先ほど2丁目の公園に転がっていた週刊誌によると、月収100万も夢ではないというのだ。

マナブは女にはモテないが、色白のデブが好きなゲイも多いと聞く。

そしてまた、ウリセン館には少数だが女性客も来ると聞いた。

これは夢のようなチャンスが訪れるのではないか? 

鼻の穴を膨らませ、マナブは雑居ビルの一室のインターフォンを押した。





 扉が開き、ピンクのネグリジェを着た男が現れた。

浅黒い肌に五分刈り。どう見ても男の顔であるが、同店のママのようだ。

「あのぉー、面接に来たんですが」マナブは言った。

「へ?」

 五分刈りママは驚きの顔を浮かべ、舐めるようにマナブの身体を見回してきた。

「やる気なら、十分にあります」マナブはペコリと一礼した。

 しかし、女将の反応は冷ややかなものだった。

「やだあんた、どのツラ下げて来てんのぉ?」

「どのツラって、このツラですが」マナブは真顔で答えた。

 女将は大きく溜息をついた。

「誰があんたみたいなデブオタに金払うのよ」

「でも……病んでる人はデブがお好きって言うじゃないですか。それに、包容力なら自信ありますよ。おまけに僕は今度メジャーレコードデビューするアーティスト……」

 女将が勢いよくドアを閉めようとした時、ちょうど奥から客の一人が出てくるところだった。







「ママ、新しい男の子が入ったのかい?」

 ずんぐりした体系の赤ら顔の男だ。つるピカの頭、ストライプ模様のトラックドライバーのようなポロシャツを着ている。

彼はマナブの方にちらりと視線を送り、ママの耳元で何事か告げた。

 一分後、マナブの初仕事が決定した。

内容は一日同伴でギャラは2万円。

基本的には相手の要求は何でも断れないシステムのようだ。

「マナブ君、僕の名前はカツミだ。さぁさ、一緒にドライブを楽しもうじゃないか。夜景の綺麗な山に僕の別荘があるよ。そこにはたっぷりのごちそうにフカフカのキングサイズのベッドもある。好きなだけ、楽しもうじゃないか」

 カツミ氏がにやにやしながら言ってきた。

マナブの身は硬直した。





 夜の新宿をカツミ氏所有の4WDで流していた。

アウトドアショップを経営しているカツミ氏は小金持ちのようだ。

途中コンビニにより、マナブに何でも好きなものを買っていいという。

マナブは酒やツマミ、弁当やマヨネーズなど、ありったけの食材を買い込んだ。

総額2万円にも及び、コンビニ店員は目を丸くしていたが、カツミ氏は嫌な顔ひとつ見せなかった。






 車内にはヒップホップミュージックが流れていた。

助手席に座っているマナブの目の前にはコロンがあり、夕焼けを見るムキムキマッチョ二人組の怪しげなイラストが入っている。

何気なくダッシュボードを開けたマナブは息を呑んだ。

ゲイ雑誌に大きな数珠のようなアナル拡張具、サボテンのような形状のバイブ、ローションの入ったボトルなど、ひとしきりのアダルトグッズが詰っていたからだ。

しかし、コンドームは無かった。

 呆然としていると、ハンドルを握っていたカツミ氏がくつくつと笑い始めた。

「緊張しているのかい?」

「はい」

「大丈夫だよ。リラックス、リラックスゥ。僕が怖い男に見えるかい?」

 マナブは右方向にカツミ氏の視線を感じた。

ほどよく茹でたチャーシューのような肌、細い目と口ひげ、柔和な物腰。

一見すると優しい上司に見えなくもないが、これからこの男の巨大なイチモツが自らの秘部に入るかと思うと、胃が重たくなった。

もちろん、人生初めての体験である。







「じゃぁ、気晴らしに世間話でもしようかなぁ」にやにしたままカツミ氏は続けた。

「君はどんな人がタイプなんだい? ほんとは女の子が好きなんだろう?」

 マナブは正直に答えることにした。

「そうですね。ズバリ、類まれな美貌とセクシーボディを持つ女の子が理想です。僕は今年で36なんですが、好きな女性芸能人は、黒木瞳以外全員年下ですね」

「はっはっはー、僕は朝青龍以外全員年上だよぉ」

 カツミ氏が豪快に笑ったが、マナブは笑えなかった。

 固まっていると、更にカツミ氏が尋ねてきた。

「ところで君は、童貞はいつ捨てたんだい?」

 返答に詰った。正直にリアル童貞だと告げても良かったが、小さなプライドがそれを拒んだ。

「18の頃ですよ。相手は沖縄系の美人でした」

「へぇー、どうだった? 気持ちよかったかい?」

「はいもちろん。あったかかったですよ」

「なるほどね。僕は女性は未経験だが、肛門部への挿入経験はもちろんある。僕も君と同じく、あったかい経験をしたよ。男性のシンボルが男性の穴に包まれるとは、この世のものとは思えぬあったかさなのだ。いわゆる、同じ穴のむじなというヤツかね。おっと、同じアナルのモスラというところか」

 畑中氏が笑みを浮かべながら、まじまじとマナブの顔を見つめてきた。

「君はぁ〜、あそこにぶっさされるのは初めてなのかい?」

「もちろんです」

「興奮するなぁ。楽しみだなぁ。アナルバージンの男の子をヤるのは初めてなんだよう」

 カツミ氏がゴクリと喉を鳴らした。そうして、さも嬉しそうに言った。






「心配することはないよ。君がノンケなのは知っているけど、大体の男子は一度突貫工事を体験したら、ハマっちゃうんものなんだよ。世の中そんなものなんだ。未経験の出来事にこそ、君の才能を開花させるヒントが隠されているんだよう」

 突貫工事―それが何を意味しているのかを、マナブは瞬時に理解した。

先ほどダッシュボードで見た、様々なアナル拡張グッズがおぞましげに脳内に蘇ってくる。

 およそ1時間後、4WDはひっそりとした山奥に停車した。

 そこには、丸太でできた三角屋根の大きなログハウスが佇んでいる。

周囲は月明かりに照らされ、深々とした森が広がっていた。

車を降り、マナブはトランクへ回った。

両手にコンビニ袋を携えて進んだ。





入り口前まで着くと、突然背後に柔らかい肉の感触を感じた。

明らかにカツミ氏の手だった。

首筋をするすると伝い、肩、背、臀部へと肉厚の感触が広がっていく。

「やめてもらえませんか」思わず呟いた。

「すまんがね」カツミ氏の生暖かい息がマナブの首筋にかかった。

「私は不意打ちが好きな男なんだよう」

 ウィーーーーーーーンと、機械音が聞こえた。

マナブが振り返ると、カツミ氏の右手にはイボイボの付いた巨大バイブが握られていた。

「いい子ちゃーん、おじさんに全部任せておきなさい」

 カツミ氏がぱちりと片目を瞑った。 

 次の瞬間マナブは駆け出していた。

「待ちなされ!」

 カツミ氏が後を追ってくる。マナブは4WDの脇を抜け、砂利道を突っ走った。全速力で走っていると、

「うほほぉーい! ほいほぉーい!」

 背後から気味の悪いカツミ氏の雄たけびが聞こえる。その後には、ウィーーンウィーーンと、馬のいななきを思わせるバイブ音が耳を劈いた。

片側に切り立った崖がそびえ、通りを挟んで悠々と深い森の傾斜が広がっている。

 全速力で駆け、背後を振り返ると、ちょうどカツミ氏が4WDに乗り込むところだった。

マナブの首筋にじんわりと汗がにじんでくる。

マズイ……。

きょろきょろと周囲を見回すと、眼下の森の合間にうっすらと階段のようなものがあることに気がついた。

傍に立つ街路灯でぼんやりと浮かび上がっている。

マナブは足早にその道に入った。ところが、雨で濡れた丸太につるりと足を取られてしまった。

わっ!

マナブの身体は下り階段をごろごろと転がり、気づけば……意識を失っていた。
                                 




(つづく……)








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