話題の「バベル」を観に行って来た。
まず最初に言う。
洋画の興行収入を塗り替えた「パイレーツオブカリビアン」や(僕の好きな映画の一つではあるが)「スパイダーマン」を観に行く感覚で「娯楽」として「バベル」を観に行くと、感想は「複雑で理解し難い映画」となってしまう。
なぜなら、
そこに在るのは「最新のコンピューターグラフィックスを駆使し、万人の心震わす最高の(STORY性のある)ドラマ」ではなく、「世界の至るところで起こっている些細な日常」に過ぎないのだ。
ハッキリ言う、この映画を単純に面白くないと捉えた人間は僕に言わせればイメージ力が極端に欠如した不器用な人間だ、もちろん、人には「好み」があるので価値観は人それぞれなワケだが、この映画は間違いなく10年後に観ても色々なコトを複雑に考えさせられる映画であり。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「主張」であり、映画という純粋な表現方法の本来あるべき形なのだ。
「1丁の銃」が4つの国を結ぶキーワードになってはいるが、そんなコトはどうでも良くて。僕らは(映画の中の)そういう絶望の片隅に今日も生きているというのを味わえばいいだけ。
作品自体は「フィクション」だが、この映画で描かれている「世界」は間違いなくノンフィクションだ。
「実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画はバベルの塔ともいわれる。」
世界の相互理解は絶対的に不可能なのか?
答えは「YES」だ。
それでも僕らは一つの地球を分け合い、生き続ける。
少しでも歩みより、肌の色に関わらずお互いが解り合える日々を手探り探し続けたい。
合掌
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