東京 第3話
大島町「谷口酒造」 谷口英久 (前編)
【プロローグ】
浜松町から90分。竹芝の桟橋でジェット船に乗って、瑞穂さんと2人、東京は大島町にやってきた。
海、風、緑、空。広い。広がる。目の前が拡がっていく。すげー! すげー!と、僕はすげー!ばかり言っていた。
信号のない交差点。喧噪のかわりに聞こえてくる鳥のさえずり、潮騒。ぬらりと輝く、でっかいトカゲ。アリもクモの巣も、みんなでかい。
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目の前は海、振り向けば山。東京だけど、ここは島だ。一周、約42キロ。マラソンランナーがよく練習に来るという。
今日は、ここで島焼酎「御神火(ごじんか)」を造っている、谷口英久(たにぐちえいきゅう)さんに会いに来た。
半年くらい経つのか。代々木上原で最初、谷口さんに麦のお湯割りをいれてもらい、僕はすげー!と感動した。湯呑をふたつ使い、お湯を移しかえ、移しかえ、一番の湯かげんを探っていく。そうして丹念につくられたお湯割りは、ともすればアルコールに隠れてしまう、焼酎ほんらいの香りと味わいを、僕に教えてくれた。
ほんのりした香りとまろやかな甘さが、お湯にそぅっと乗っている。
だけではない。芯の名残りは、するどく、力づよい。すげー!
と、「東京で原稿書いてました」との言葉が、谷口さんから出た。いや僕は今書いてます。本当? じゃあこれ、僕が書いた本。あ、じゃあ僕が作ったのも。今度、大島、遊びに来てくださいよ。はい、じゃあ取材でもいいですか?
そんな感じで、ここにいます。
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1 「この蔵の至る所に、麹はいる」
東京都大島町野増字ワダ167。三代続く酒蔵ふたつに、2000年、建築史家の藤森照信氏によるショールームツバキ城≠増改築。有限会社谷口酒造は、三原山に続いていく小高い丘を、少しのぼった所にあった。
奥さんと、ご近所の娘さんが一人、仕事を手伝っているが、毎年10月から3月まで、焼酎造りはすべて、谷口さんがひとりでやっている。
いま5月は、あいにくシーズン外なので、蔵の中を見せていただき、口頭で、焼酎造りの行程をうかがうことにした。僕は酒は飲むだけで、造り方は、何ひとつ知らない。
「まずは麦麹をつくります。この甑(こしき)≠ニいうふかし器に麦300kgを入れ、水を注ぎ、機械を回して、麦に水を含ませます。お米をとぐ要領ですね。水をすすいで、1時間かけて炊き上げ、そこに麹菌の種を撒きます。それを一晩、16時間置くと、ふかした麦に麹菌が繁殖します。
それを今度は、隣の麹棚(こうじだな)≠ノ移して24時間。40℃前後の湿った風を流して、菌をさらに繁殖させます。麹菌は、高温多湿の環境が好きなんですね。16時間と24時間で、計40時間に収める。温度を一定に保つ。細かい要領は他にも多々ありますが、この2点を厳守しています」
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ーー時間と温度を守らないと、どうなるんですか?
「40℃を超えると、他の菌、たとえば納豆菌が麹菌より強くなって、麹菌がやられてしまう。だから温度の厳守はもちろん、仕込み時期は僕の食事も気を使わないといけない。納豆、それからヨーグルトなど、麹より強い菌を持つ発酵食品は、控える。あとは、みかんとかね。皮をむくと、手に酵母がつくらしく、これも麹を殺してしまう。麹は、とても弱い菌なんです。
だから仕込みの時期は、ここに誰かが入って、何かに触れるということに、非常にナーバスになりますね。見学に来るお客さんも、ショールームで試飲するのは歓迎ですけど、蔵の中にはまず入れないです。
麹づくりの時間は、何が何でも40時間以内に収める。40時間あれば、菌糸が麦の芯まで入りますから。欲を言えばきりがないですが、今日はいまひとつだな…とか足踏みしていたら、次の行程に進めないですから。麹だけつくればいいわけでは、ないですからね。全体の行程があるから」
ーー麦も麹も、いま目の前にないので、イメージが難しいのですが(笑)、麦の粒に麹が繁殖するって、どんな感じになるんですか?
「麦の表面全体に、まっ白く、びっしりつきますよ。麹菌は、それだけでは目に見えないからね。だけど、この蔵の至る所に、麹はいるから。たとえば、炊いたごはんとか置いておいても、時間が経てば、麹がついてますよ」
ーーへえ! じゃあ今、このへんにも、麹菌が漂っているんですか?
「そう。いますよ」
ーーへえ?! 色もにおいもないから、わからないけど、ここにいるんですね…。
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「次は、今できた麦麹を、そこのタンクに移して、水と酵母菌を加えて、発酵させます。発酵を促すため、普通は塩を加えるのですが、同じ大島で塩をつくっている塩職人、阪本章裕さんのアドバイスで、僕はにがりを加えています。
阪本さんのにがりには、海水の栄養素がふんだんに含まれているせいか、発酵の状態がよくなりましたね。
この行程を一次発酵=Bここでできるものを一次もろみ≠ニ呼びます。数時間で行うのが一般的ですが、僕は1週間かけています」
ーー数時間と1週間。その違いって、どこでわかるんですか?
「次の行程の後、蒸留して試飲してみると、すぐわかりますね。全然味が浅いです、数時間のものは。深みがない。旨みがない」
ーーその次の行程とは?
「二次がけ≠ニいいます。今の行程でできた300kgの一次もろみを半分に分けて、タンクに水を入れます。そしてそこに、でんぷん質を入れます。つまり麦焼酎なら麦、芋焼酎ならさつま芋ですね。いずれも一次もろみ150kgに対して、300kg入れます。
すると一次もろみの、麹と酵母の合わさった菌が、麦や芋のでんぷん質を分解していく。これが二次がけ≠ナす」
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ーー麦も芋も、ずいぶん大量に入れるんですね。
「そうですね。麹も300キロでしょう? 仕込みの時期は全部合わせると、1日1トンは運んでますね。肉体労働です」
ーー麦と芋は、ふかしたものを入れるんですか?
「そう。ふかさないと、菌も、ごはん食べられませんからね。分解できない。これで焼酎のもと、アルコールができるもと、もろみ≠ェできていくわけです」
ーー麹は菌。その菌が麦や芋のでんぷんを分解して、アルコールの素ができるんですね。いや僕、本当に酒造りのこと、何も知らないので(笑)。だけど「菌がごはん食べる」って、面白い表現ですね。
「焼酎って本当は、人間が、おれが、造るわけじゃなくって、菌の住み心地が良い場所を、いかに整えるかにかかっているんですよ。菌がごはん、つまり麦につきやすいものを、いかに上手くふかしてあげられるか。なんですね」
ーー人間相手ではなく、目に見えない菌が相手の仕事。
「焼酎を造るって、そういうことだと思うんですけどね。造った後は、飲んでくれる人はもちろん、酒屋さんや税務署も相手にしないといけないですけど(笑)。
麹づくりは、1回でタンク1本。週に2回つくるので、タンク2本がふさがります。次の週にまた2本。この蔵にタンクは10本あるので、5回つくるといっぱいになる。それに二次がけをしていく。これをひと冬かけて、延々と繰り返していきます」 |
2 「1円ぶんだけ、納税させてくれ」
ーー税務署の話が出ましたが、谷口さんの著書『一円大王』(道出版/02'年)でも、立ち入り調査の様子が描かれていましたね。
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「税務署のチェックが、ものすごく厳しいんですよ。酒税はなんというか、いい収入ですからね。25度の焼酎で一升ビン1本あたり、約360円。そんなに持っていかれちゃ(笑)…。『一円大王』に書いた税務官の人、あれ読んだら、怒っちゃってねえ」
ーーあれで怒ったんですか? ものすごく税務官を立てて、好意的に書いてると思いましたけど。
「すごい怒った。何年も」
ーーそんなにですか? やっぱり民間とは感覚が違うんですねえ。まあでも谷口さんも、通常の納税に加えて、雑誌の企画のために「1円ぶんだけ納税させてくれ」とか、かなり挑発的だとは思いました(笑)。あと取引先の銀行に、「1円だけ融資してくれ」とか。
「(笑)そういうこともあったなあ。あの頃は東京でライターをやりながら、こっちでも焼酎造りを始めていた時期でしたね。そこのふかし器の横で、『一円大王』の原稿を書いていましたよ。最初は僕ひとりでなく、父の代の杜氏のおじいさんとお手伝いさんがいて。その横で灯りつけて、ひとりで書いてましたね」
ーーそのシチュエーションで、原稿書きと酒造りを両方やるのは、複雑な思いがあったでしょうね。
「ありましたね。なんでも敵視してた。『やるんなら、やってやるぞ!』みたいな、ね。今から12、13年前ですかね。だけど今も、基本的な姿勢は変わらないですね。ただ最近はその気持ちが、外側の世界に対してではなく、自分の内側に向いてきた気はします
」
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ーー話が飛びました。アルコールのもとのもろみ≠ェできる二次がけ≠フところで止まっていました。次の行程は?
「二次がけのもろみを、蒸留器≠フタンクに入れて、加熱します。水は100℃で沸騰、気化するでしょう? アルコールは78℃で気化するんです。だから先にアルコール分が気化して、タンクの上に上がっていくんです。
そしてタンクの上についている蛇管という管を冷やすと、そこを通る気化アルコールが、液体に戻るわけですね」
ーー結果的に、もろみからアルコールの液体だけ、分離される?
「そう。これが蒸留≠ナす。最初は60度くらいのアルコール純度の高いものが、出てきます。度数はどんどん下がっていって、最後にはとても薄い、12度くらいのものが出てくる。これら全て合わさったものが焼酎≠ナ、最終的な度数が42度にならされるようにしています。僕のやりかたでは」
ーーそれがいわば、焼酎の原酒の状態なんですね。
「そう。そこに後で割り水≠します。42度のものに水を足して、35度とか25度の焼酎として、ビン詰めする。水はすべて、麹づくりの段階からそうなのですが、ここの裏山で採れる、三原山の伏流水を使っています。水道をひいてきてね」
ーーそれで焼酎「御神火(25度)」が完成するわけですね。ひと通りの行程が終了と。ワンシーズンで何リットルの、一升ビン何本分の焼酎を造っているんですか?
「その年によって違うけど、今年は少なかったですね。1万リットル」
ーーそれって、一升ビンに換算すると……すいません、僕、計算ができなくて(笑)。
「後で計算すれば、全部出ますよ。帳簿をつける仕事は、妻がしてくれているので、本当に助かっています。僕も計算が苦手で、帳簿つけられなかったから(笑)。
毎年、何キロの麦から、何リットルの焼酎ができて、タンクに今どれだけあるか? アルコール度数は何度か? ビンに何本あるか? 全部、正確に合ってないといけないから。帳簿を提出して、税務署立ち合いのもと、貯蔵タンクから何から、全部調べていくんです。4日がかりで、泊まり込みで調査に来るからねえ。疲れるよぉ?」
ーー『一円大王』で、試飲ぶんの焼酎にも、全部酒税がかかってると知って、「そこまでやる?」って驚いたけど、原料からビン詰めになるまで、漏れがあったらいけないんですね?
…そっか! たとえば僕が勝手に酒つくって、それがバレたら捕まりますもんね。今、日本にどれだけの酒があるか、国は全部把握してないとマズいわけだ。お酒イコール、酒税だったんですね、国にとっては。そうだったのか!
「要は、『一滴も漏らさず、納税しろ』ということで、昔から何も変わってないんですよ。麦のふかしかたから、蒸留時のアルコール濃度まで。税務署推奨のやりかた、基準がありますからねえ。全てを守る必要も、ないですけど」
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3 「12年前、最初に造った焼酎です」
「ひと口、焼酎をなめさせてもらえますか?」 僕のリクエストに、谷口さんは隣のもうひとつの蔵に案内してくれた。こっちは貯蔵ぐら。酒のにおいがすごい。大人が数人で両手を伸ばして、やっと囲めるくらいのでっかいタンクが、何台もそびえている。所狭しと。見上げながら奥に行く。暗い森に迷いこんだ感じ。
まずは今年3月にできたばかりの、一番若い原酒を飲ませてもらう。後述するが、「雑味、旨みをとる前のもの」だという。はしごをかけたタンクから、ひしゃくで掬ってもらい、湯呑についでもらう。
ひと口。素朴でみずみずしい香りと味わいが、澄んだ鐘のようにひろがっていく。瑞穂さんも、ひと口。
瑞穂「ものすごく麦の味がするんですね! びっくりしますね!」
谷口「穀物の味を引き出してあげれば、麦の味になるんですよ。人によっては『芋焼酎じゃない?』と驚かれる方もいますね」
瑞穂「味が多重的ですね。これは初めての体験。得がたい…」
谷口「この酒はまだ新しいから、どんどん味が変わっていきます。だけど、この時点で味がないと、いくら時間をかけて寝かせても駄目ですね。おいしくならない」
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続いて12年もののタンクへ。12年前、まだ東京でライターをやっていた谷口さんが、初めて造った焼酎だ。毎年、新酒を少しづつ足しながら、12年寝かせてきたものだという。
覆いを外して、タンクの中を谷口さんが覗かせてくれた。古井戸を、おそるおそる覗き込む感じ。一瞬、頭がまっしろになるくらいの、強いにおいが吹き抜けた。何百リットルあったんだろう? あんな大量の酒と対面したのは、初めてだった。静かに波うち、神社のご神体みたいに、おごそかな光をたたえていた。
水で口をゆすいで、ひと口。うまい! こーれ、うまいっすねえ……。
12年ものは、一瞬で持ってかれる感じ。新酒の素朴さは色気に変わり、味の層のグラデーションは消えている。いや消えていない。層のきめがあまりに細かくなり、消えたように感じるのだと思う。渾然一体。でもたしかに新酒のおもかげはある。すげー!
「これが12年前、本当に最初に造った焼酎です。当時から、こういうものを造りたかった。こう造れば絶対うまくなるという確信も、最初からあった。でも当時、12年後にこうなるとは、ねえ?」
ーー今までは、何年もの古酒っていうと、いまから●●年前に、一気にワープした感覚で飲んでいたけど、考えが変わりました。お酒って、成長し変化していく、生き物なんですね。
「これを造った12年前、僕は半分素人で、経験も技術もなかったから、というか、全て手探りでやっていたから、蒸留したものの味に、バラつきがあったんですね。だからうまい部分だけ取っておいて、手を入れてきたものが、これなんですよ」
ーーうまくない部分は、捨てたんですか?
「いや、安い焼酎に混ぜた(笑)。そういうことをする人も、いないんですけどね。僕は造り酒屋の家に生まれて、普通そういう所の子弟は、醸造の専門学校に行くんだけど、僕は行かなかったんです。若い頃は家を継ぎたくなかったし、やはり作家になりたかったから。
だから醸造学校で教えるような、常識的な酒の造りかたは、知らなかったんです。だけど自分の納得がいく酒造りをするうえで、結果的にそれはすごくラッキーだったと思う」
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4「だんだんひとりに、なっていく」
ーー谷口さんが12年前、焼酎造りを始めた時、お父さんの代の杜氏さんがいらしたんですよね?
「そうですね。僕が小学生の頃からいた人でした。僕がここで酒造りを始めたのは、98年頃だから、約14年前かな? 父と祖父の代は、いわばオーナーの立場で、酒造りにはタッチしていなかったんです。杜氏を含めて、4人くらい雇って、人に造らせていました。でも酒造会社ではそれが普通で、今の僕みたいなのが例外なんです」
ーーそうなんですか。当時の谷口さんは、自分でもおっしゃってたように半分素人で、その杜氏さんの下で、仕事を覚えていったんですよね?
「そうですね。でも不思議なことに、最初から、その杜氏のやりかたとは違う、「絶対これでなきゃ」という自分のやりかたは、わかってたんです。本当に感覚的なものなんですけど、やってるとわかるんですよ。
最初の麹づくりの麦のふかしかたから、発酵にかける時間、最後の蒸留のやりかたまで、何もかも」
ーー今日、最初にうかがった、焼酎造りの行程ですね。
「もちろん最初は、何がよくて何が悪いのか、わからなかった。でも『今までのやりかたは違う』ことだけは、確かなんです。だから、ひとつひとつの行程で、何度も何度も実験を重ねて、データを取っていくわけですね。手帳につけて。
それでやりかたをちょっと変えると、杜氏はやはり『何だ?』って感じでしたよ。だけどそこは少しずつ、でも確実に進めていきました」
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ーーその新しいやりかたは、谷口さんの分析による、理論的なものだったんですか?
「いや、僕は理詰めで話すのが苦手なんです。だから本当に直感的な感覚なんですけど、『あ!』って、こう、掴める瞬間があるんです。それを他人に説明しているうちに、その瞬間、過ぎちゃうんですよ」
ーー間に合わない。
「そう、間に合わないんです。それがもう、すごく嫌で、他人に説明する情熱を全部、造りの方に注ぎ込みたかったんです。それで、だんだんひとりになっていくんですね。
和醸良酒≠ニいう言葉もあって、人の和を大事に、協同作業で造ると、いい酒ができると言われています。でも一人でもできる。あまりみんな、やらないけど」
ーーということは、谷口さんは三代目だけど、伝統の味を引き継いだというより、自分で一から、今の味をつくりあげたんですね?
「御神火ブランドは昔からありましたけど、味に関してはそうですね。『これじゃ全然うまくない』と思ってました。島の中だけなら、まずくてもしょうがないけど、もっといいものを造りたかった」
ーー谷口さんは、東京を知ってますもんね。
「だけど最初、何やっても父は反対して、『こんなんじゃ、うまくない』って。自分はすごくうまいと思っても、やっぱり島の人はね、『うまくない』。そう言われ続けたんで、がっかりしてましたねえ。
それで一番がっかりするのは、親戚で集まったりするじゃないですか? そうすると、おれの造った焼酎じゃなくて、他の島の焼酎を(笑)、飲んでるんです。だから、ああやっぱりうまくないのか…と落ち込みましたね。
でも、それでもやっぱり、やめないんですね。これが、絶対。ま、絶対じゃないけど」
ーー「こうとしか造れない」みたいなのが、たぶん谷口さんの中に。
「あるんでしょうねえ」
ーーそれがさっきの12年ものに、なった。
「たとえば蒸留の段階では、脂でギットギトの焼酎が、最初はできてくるんです。麦の雑味がいっぱい入ってるんですね。でもそのままにしておくと、脂が酸化して、だんだん臭みを持ってくる」
ーーとても飲めたものではない?
「いや、だから最初の段階ではうまい。すごくうまい。だけど父の代では、早い段階で、その脂質を取ってしまっていた。そうすると、臭みもないかわりに、旨みもない焼酎になってしまうんです。僕は、その最初の段階の雑味、旨みを、なんとかキープしていきたかった。臭みは抑え、旨みを残すにはどうすればいいか? いろいろと試しましたね」
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5 「レクイエム、抜群にいいんです」
「それからもうひとつ。その前の発酵の時点で、音楽をかけてみることにしました。蔵にスピーカーを取り付けて。牛とかでも、モーツァルト聞かせると、乳の出がよくなるって言うじゃないですか? それで色々と試してみたんです。まずエアロスミス。『ゲット・ア・グリップ』をかけてみました」
ーー(笑)。
「味、こわれちゃった(笑)。グズグズですよね。アレはダメだねえ、発酵には(笑)。それでエンヤ、ウィーン少年合唱団とかけてみたけど、変わりませんでした。モーツァルトをかけてみると、やはりいいんですね。最初に『クラリネット協奏曲』をかけて、よかったんだけど、『じゃあモーツァルトでは何が一番いいのか?』って試していって、『レクイエム(鎮魂歌)』。アレをかけてみたら、抜群にいいんですよね」
ーーレクイエムだったんですか? よりによって(笑)。モーツァルトっていうから、明るい曲だと思ってました。
「死ぬ前につくってた未完の、暗っらい曲なんですけどね。でも抜群にいいんです。それでシーズン中の5ヶ月間は24時間不休で、レクイエムを延々とかけることにしたんです。
ボイラーの音が大きいので、かき消されないよう、大音量でかけてますね。外から声かけられても、気付かないです。島の人にしてみれば、既知外ですよね(笑)」
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ーー僕は酒造りも麹もわからないけど、菌の世界って、死に近いのかもしれないですね。目に見えないけど、生きている。それって、僕たち人間にとっての「生きてる」よりは、死に近いと思う。
その時に『レクイエム』ってのは、この世とあの世をつなぐ、架け橋のような気はしますねえ…。
「造ってて、ひとりなもんだから、本当にこの世とあの世の境のようなところに、行くんですよ。本当に朦朧としちゃってて、最後は。疲れてますしねえ。10月から3月までは、毎日休みなしで、朝8時から夜9時すぎまでやってますから。こっからちょっと行けば、ああもう死ぬなあ…というところまで、本当に行きました。うちの前、お墓建ってるしね(笑)。
高山さんには、前に話したでしょう? 麹菌アレルギーになっちゃいましてねえ。どうやら麹菌が肺に入って、増殖してるみたいなんです。息が吸えなくなる。背中がこわばる。首は曲がる。息が入らないから、夜も眠れない。気持ちも鬱々としてくる。そこにレクイエムが効いてきて…」
ーーちょっとヤバい世界ですね(笑)。
「ヤバいですね。だから本当に、とんだところに来ちゃったな…というのが、去年ぐらいまでだったですね」
ーー12年ひとりでやってきて、納得のいくものが造れるようになって、そこで重度のアレルギー。ちょっと、きついですね。
「症状が出始めたのは、5年目くらいからだったんですけど、最初はなんで苦しいのか、わからなかったんです。ただ苦しい、苦しいって言ってた。後で知ったけど、麹アレルギーって、医学的に確たる症状がないんですね。
それで塩職人の阪本さんの所に、鍼を打ちに行ってたんです。鍼灸師もされているので。そこで阪本さんが、『麹じゃないか?』って。
それで、アスベスト用の防塵マスクをつけて作業してみたら、最近だいぶ良くなってきましたね。一日の仕事を終えて、マスクを外してみると、やっぱり菌がついてるんですよ(苦笑)。本当に入ってきてるんだなって、わかりますね」
ーーしんどいですね。
「しんどいですよ。でも、もろみが発酵してる時って、本当に雰囲気が違いますよ。モーツァルトをかけると、まあ活発になりますよ。何かがいる感じは、ありますね。面白いですよー。
レクイエムはきっと何楽章かの、どこかのパートが、音の振動的にいいと思うんです。けど、どこかわからないから、全部聞かせてます(笑)。でも本当にうまいものができるんですよ」
(続く)
>>大島町「谷口酒造」 谷口英久 (後編)
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【 お店データ 】
「谷口酒造」
〒100-00104 東京都大島大島町野増ワダ167番
TEL・ 04992-2-1726 FAX ・ 04992-2-1753
ショールーム「ツバキ城」にて試飲可。要電話予約。工場見学は原則不可。公式サイトにてインターネット通販も。
WEB http://www.gojinka.co.jp/ |
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