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東京 第2話 

外苑前「トルコ料理ゲリック」 ベリーダンサーTamaki


(取材・構成/高山リョウ PHOTO/MIZUHO

【プロローグ】

Tamakiさんが踊ると、フロアにバラ色の風が吹く。バラって赤一色じゃない。ピンクも黒も白も黄色も、紫も青もある。ふだん目に見えないはずの風の流れには色や香りがついていて、見るものを光と闇の世界に誘う。全身全霊、爪先から髪の先1本1本まで、気持ちの行き届いた、魂のダンス。

外苑前のトルコ料理店「ゲリック」でのショーを中心に、東京の夜を踊り続けるベリーダンサーTamaki(たまき)。彼女の踊りは、なぜ見るものの心を打つんだろう? 





1 ベリーダンス、見たこともなかった




ーー僕は音楽が好きで、ライブに行くと、たまにステージや会場と一体化して、我を忘れることがあります。Tamakiさんの踊りを最初見た時も、気付けばTamakiさんの指先や髪の先になっていたような、見ている自分と踊りがひとつになった感覚にとらわれました。それまでダンスって興味なかったんだけど、凄いなあって…。

「いえとんでもない、そんな恐縮です!でも、ありがとうございます。そうですねえ…私自身、踊っている時は無意識かもしれません。もちろん動作としては、ベリーダンスで要求される動きをしています。でもそういう意味ではなく、踊っている最中は、自分が何をやっているのかわからない時はありますね」

ーー本当、髪の毛の一番先まで気持ちが行き届いているような、心のこもった踊りだと思いました。あと腹筋がすごい勢いで波打ってるのに、肋骨から上は微動だにしないとか(笑)。

「(笑)」

ーー昔、仕事で伝統武術の達人の動きを目の当たりにする機会が何度かあったんですが、Tamakiさんのボディコントロールもすごいレベルに達してるなって。

「ホントですか(笑)!?」


ーー武術家と比べるのが適切かわからないですけど(笑)。でも先日、ベリーダンス教室でのレッスンを見学させていただいた時も、正直驚きました。全身を細かいパーツに分けて、それらの繋がりで、骨盤から起こる力を指先まで伝えていくような。ダンス教室でああいう教え方する人、いないですよね?

「どうでしょう? 他の先生方がどう教えているか、私にはわからないですけれど…ただ、私が紆余曲折して気づいたものを、最短距離でマスターできる教え方にはなっていると思います」

ーー華やかで高度なダンスに必要な、基本の地味な動きを、これでもかってくらい細かくていねいに教えてますよね?

「そうですね。基礎って簡単に教えようと思えば、簡単に教えられるけれど、私は難しいと思っているので、難しく教えていこうと思っています」

ーーでもそれが結果的には、上達への一番の近道なんですよね。

「そうなんですよね。ホント、そうなんです」

ーーTamakiさん自身は、どういう教わりかたをしたんですか?

「一番最初、習い事として体験レッスンに行った時の先生は、一切何の説明もしない方でした。私、ダンスするの初めてだったので、それが普通の教えかたなのかなって(笑)」

ーー先生が踊ってるのを、見よう見まねで?

「そうですね。ストレッチを見よう見まねでして、ひと通り腰を回してーーフィギュア・エイトという基本の8の字の動きがあるんですけどーーそれを見よう見まねでクネクネやって(笑)。とにかく説明がないので、びっくりするくらい自分が何もできなくて。『私、こんなに鈍かったかしら?』って…」





ーー体験レッスンにしては、不親切な(笑)。

「でもなんか楽しそう!って思ったので、そのまま入会しました」

ーーそもそも何故、ベリーダンスの体験レッスンに?

「当時デスクワークをしてまして、肩こりがひどかったんです。学生時代って体育の授業があるので、みんな最低限は体を動かしているんですけど、勤め出すと、意識的にやらないと運動しなくなっちゃうんですよね」

ーーじゃあ最初は「体を動かしたい」くらいの軽い動機で?

「そうですね。何となくストレッチとかできて、動いてるぞ的な満足感があれば。ただ、どうせやるなら美しいものがやりたいって思いはありました。大人から習うバレエとか。そこでなんだか知らないけど、『ベリーダンスをやりたい!』って浮かんだんですね。その時私、ベリーダンスがどういう踊りか見たこともなかったんですけど、『ケイコとマナブ』という習い事の雑誌で教室を見つけて(笑)」

ーー僕は今のTamakiさんしか知らないので、ちょっと想像つかないです(笑)。

「当時、中目黒に住んでいて、近くの渋谷にカルチャースクールがあったので、そこに電話したんです。そしたら電話を取ってくださった方が、すごく親切な方で、『カルチャーは隔週で上達しないから、本部の方がいいですよ』って」


ーー本部はどこにあったんですか?

「四谷三丁目です。その時は私正直、『乗り換えあって面倒くさいな、そこまでしてやりたくないな』って思ったんですけど(笑)、電話の方がすごく親切に言ってくださるので申し訳ないな、一度行ってみようかなって」

ーーきっかけは、すごく気軽だったんですね。デスクワークと言っていましたが、何の仕事だったんですか?

「団体職員をしていました」

ーーはあ。何の団体に?

「経済産業省直下の外部団体です」

ーーえーーー(笑)!!!

「今は特殊法人改革で無くなった、というか公庫になったみたいですけど」

ーー経産省関連からベリーダンサー…すごい転身ですね。






2 東京に住む気はなかった

ーー正直、趣味の教室から始めたとは思えないです、Tamakiさんのダンス。それまでにダンスの経験はなかったんですよね? 学生時代の部活やサークルでも。

「なかったですね。高校時代は箏曲をやっていました」

ーーますます謎だ?(笑)。生まれは東京ですか?

「いえ、短大を卒業するまで広島でした。父方のもとの実家は山口でしたけれど」

ーーじゃあ就職で東京に。

「そうですね」

ーーその団体に入るのって、すごく大変だったんじゃないですか?

「まあ運が良かったんですよ。お話はいただきましたが、私も受かると思ってなかったですし。東京に住む気も当時は全くなかったので、試験受けて、ついでに遊んでこようくらいのつもりで…(笑)」




ーー学生時代は東京に住む気なかったですか?

「よく遊びに来ていて、それは楽しかったのですが、空気は汚いし、食べ物もおいしくなかったので。東京は遊びに行く所で、住む所ではないと思ってましたね」

ーーご両親は上京に反対は?

「就職先がまあ良い所だったので、それありきで、反対はなかったですね。老後まで安泰な職場じゃないですか? ひとさまの税金で(笑)。なので『頑張ってきなさい』って」

ーーある意味、将来が約束された人生だったわけですよね。それが何故、体ひとつ、習い事で始めたベリーダンスにここまでのめり込んで…???

「自分が人前で踊るなんて、信じられないーーダンサーとして独立して6年経ちますが、そんな気持ちは正直今だにあります」

ーー今だにですか?

「ありますね。チェックのために自分が踊っている映像は見るのですが、本当、他人の踊りを厳しく観察している感じで。そこで踊っているのが自分だとハッと気付いた時には、恥ずかしくてたまらなくなります」

ーーでも自覚もなしに、気付いたらプロのダンサーになってた…って訳でもないですよね?




「のめり込むきっかけ、転機みたいなものはありました。仕事帰りに週1,2回でレッスンに通い、身内の小さな発表会で踊り…あくまで習いごととして2年くらい続いていたんですけど、3年目に入った頃、団体で部署異動がありまして。勤務地が変わり、レッスンの開始時間に間に合わなくなってしまったんです。そして異動先の上司が、団体内でも有名な、かなり問題のある方で…(笑)」

ーーストレスにさらされてしまった?

「はい。かなり精神的に参ってしまって、過呼吸になったり、朝の電車で心臓がバクバクになってしまったり…それでも悔しかったから、会社は休まなかったんです。レッスンに行けなくなっていたのも、ストレスになっていたんでしょうね。そうして無理しているうちに、救急車で運ばれてしまって…」

ーー大変でしたね。僕もサラリーマン時代、似た経験をしました。

「それでも夏休みとかはちゃっかり取り(笑)、トルコに旅行に行ったんです」


 

3 イスタンブールにて


「トルコのイスタンブールにアヤソフィアという、ものすごい美しい寺院があるんです。イスラム建築の大きな建物なのですが、キリスト教が強かった時代には聖堂としてマリア様とかキリスト世界の宗教画が壁に描かれ、イスラム教が強くなるとモスクになり、光輝くイスラムの細密画がそこに上書きされて。それらが今、剥げ落ちてきていて…」

ーーあー、それ凄そうですねえ…。見てみたいな。

「巧まざる、偶然が故の美しさが生まれているんです。それで初めて行ったその時、その美しさにゾッとして、『私、なんでベリーダンスが好きなのに、今休んじゃってるんだろう?』って思ったんですね。そしてその夜、ベリーダンスのディナーショーに行き、改めてその思いが猛烈に沸き上がってきて…」

ーーアヤソフィア、本場のベリーダンス。東京の自分を、トルコで見つめ直した。

 


「その夜思ったんです。『遅刻したっていいじゃない』って。それまでは仕事の都合でレッスン開始に間に合わないからって遠慮していたけど、最初から参加できなくたって、最後の30分だけでも行ってやろうって。それから一念発起しました。先生からはどのクラスに出てもいいと言われていたので、もう出られるクラス、全部出るようにしたんです」

ーーへえ?、すごい……。

「だけど最初はショックで落ち込みました。以前できていたはずの事が、休んでいる間に、随分できなくなっていたから…。だから超入門のクラスからやり直しました。最初は、失った時間を取り戻したい一心で。そしてそれから、大好きなベリーダンスをもっときれいに、もっとうまく踊れるようになりたいと心から思うようになりました」

ーーあー、なんか今のTamakiさんに繋がってきました。

「仕事は続けていましたが、生活の意識はベリー中心になっていました。レッスンは最後まで、オールレベルのクラスに出ました。超入門のクラスにも最後まで出続けました。今、自分の教室でクラス分けをせず、基礎から上級まで一貫して教えているのも、その時の経験が基なんです。とにかく基礎が大事!」

ーー先生は相変わらず、見よう見まねで何も教えてくれなかったんですか?

「いえ、その時の先生はタカダアキコさんという、私が師と仰ぐ素晴らしいダンサーだったんです。アキコさんのクラスは楽しい雰囲気が常に絶えず、それもあって通い続けることができたと思っています。私はついつい根を詰めてしまうタイプなので、アキコさんの器の大きさには憧れますね(笑)。私がゲリックで踊るようになったのも、アキコさんが最初出ていて、私にもチャンスを与えてくださったんです」




4 東京は魔界だなって思います

ーー話は飛びますが、この連載を通して皆さんに聞きたい質問なので答えてください。今年の3月11日は、どこで何をしていましたか?

「ちょうどレッスンの日で、レッスン用の選曲や事務処理を終え、出かける前、お昼休憩の時でした。ネットで調べものをしていて、普段使っていないTwitterをたまたま開き、友人とやりとりをしていたら、最初の揺れが来ました。『揺れてる』『けっこう揺れるね』とかつぶやいていたら、それどころではない、大変なことが起きていると、皆さんのつぶやきで知って…」


ーーTwitterで震災の状況を知った?

「そうなんです。私、去年の9月からTVをつけていないので。それで首都圏の交通機関が止まっていることも知り、教室にどうやって行こうかとまず考えました。『休んではいけない!』、真っ先に浮かんだ思いでしたね。運良くすぐ教室の関係者と電話が繋がり、その日のレッスンは結局休みになったのですが…明らかになっていく被災状況を知るにつれ、かなり精神的に落ちてしまいました。震災後もそれはしばらく続きましたね…」


ーーTamakiさんは広島出身。実家のご両親は身を案じたのでは?

「安定した勤務先を辞め、ベリーダンスで生きるようになってからは、私が広島に帰って来るとは両親も思わなくなったので、特には。

ただ『いざという時は、いつでも帰れる家があるよ』とは言ってくれています」


ーーでもそれはすごい安心感ですね。その一言があるとないとでは、全然違うと思います。ご両親は、Tamakiさんが踊っている所をリアルで見たことはあるんですか?

「広島のショーに出演した時に、招待しました。でもうちの両親、そもそもがカタいので、ベリーダンスには反対なんです。それは今だにです。実際に踊りを見て、『ここまで頑張っているとは思わなかった』と認めてくれてもいるのですが…やはり特に父は複雑な心境のようですね」

ーーだってお父さんが知ってるのは、箏曲をやってる高校生の“たまき”さんなんだもんね(笑)。でもTamakiさん自身、東京から離れようと考えませんでしたか? 最近また首都圏の放射線情報とか騒がれているし…。

「まったく考えませんでしたね」

ーーへえ! それは何故?

「今やるべきことがここにあるから、ですかねえ?」

ーーすごい。腹括ってますね。僕は子供の頃、転校続きの田舎暮らしで、東京への憧れがすごいあったんです。大人になって、やっと住むことができた。もともと生まれ故郷もなかったし。だから、地震がどうだろうが放射能がどうだろうが、ここを離れるつもりはないんだけど、Tamakiさんは事情が違いますよね?

「そうですね。そういった意味での、東京への思い入れはないです。でもやっぱり東京は魔界だなって思います。離れられないですね」



ーー魔界ですか(笑)!

「魔界ですねー。やっぱり可能性が無限ですので。自分さえ気力があれば、可能性は拡がる街だと思うんです。地方だと、気力がどんなにあっても、やっぱり動けない環境ってあると思うんですよね。でも東京は、ひとこと何か言ったことが現実になったりする」

ーーあー、そういう意味では確かに魔力ありますね。僕も仕事で、会ってみたいけど会えないだろうって人たちに、何人も会うことができました。地方じゃ絶対無理だったと思う。

「もちろん何も行動しなければ、何も起こらないですよ。でも何かアクションを起こせば、リターンが絶対返ってくると思います。これは自己満足かもしれませんが、震災後しばらく落ちていたのですが、『このままじゃいけない!』と思い、ベリーダンスのチャリティライブを企画したんです」

ーー強いですね。僕の周りでも、すぐにアクションを起こしたのは皆、女の人でした。物資を送ったり、いち早く募金を始めたり…。

「本当は被災地にボランティアで行こうと思ったんですけれど、うまくタイミングが合わず、教室も休むわけに行かず…。一人で気持ち的に落ちて行きそうになっていたのですが、そんな時、思いを分かち合い、支えになってくれた親友がいたんです。彼女が力を貸してくれたから、チャリティーライブも企画できた。私ひとりじゃ絶対出来なかったですね」


ーー東京に来てから知り合った人?


「はい。広島で暮らしていたら、絶対会えなかったタイプの子です(笑)。彼女と話していて、自分にできることはやっぱり踊りだって。被災地に行けなくても、東京で踊り、ささやかでもその収益を差し上げることで、何がしかのお役に立てればという気持ちになれました」


ーーそういう時って、思わぬパワーが出ますよね。


「そうなんですよねー。理不尽な出来事に対する、怒りにも似た感情があったと思うのですが、そういう時のステージは意外と自分を出し切れる気がしています。ネガティブな気持ちが踊りで浄化されるというか。チャリティライブで踊ったことで、悶々としていた自分も結果的に救われましたねー。おかげさまで最近、調子がすこぶるいいんです(笑)」




5 今日が世界の終わりでも、ここで踊っていたい

「だけど寂しいのは、外苑前という街は最近廃れてきてるんですよ。交差点のハーゲンダッツも無くなりましたし、まさかというお店が無くなったりしている。私は少し前に初めて連れていっていただいたんですけれど、日本で初めて24時間営業を始めた無国籍料理のレストランがあったんですね。いわゆる西麻布の黄金期を象徴するようなお店だったらしく、リアルタイムで麻布近辺で遊んでいた方に連れて行っていただいたんです。そこがこの間見たら、無くなっていて…」

ーー都心、パワーみるみる落ちてきてますよね。それはすごい感じます。山手線内の繁華街の大半、あと2.3年で浅草や銀座みたいなモノクロの街になる気がする。

「いい悪いは別として、華やかだった時代の象徴が廃れていくって、やっぱり悲しいですよね。暮らしのゆとりや幅の広さ、品格まで失われていく気がして、ちょっと怖いです」


ーーこのお店だって、外苑前ならではの独特な雰囲気ですよね。異国情緒ありすぎ(笑)。

「踊っていて、『私、生きてるんだ!』って初めて実感したのが、このお店だったんです。ベリーダンスを始めて5年目くらいだったかな? 踊っていてというか、生まれて、生きて来て、初めて、『生きてる』ことを実感した瞬間だったかもしれない」

ーー団体勤めを続けていたら、その瞬間はきっとなかったでしょうね。

「そうですね。だからあの時の実感が、今の私の踊りの原点。『生きてる証を踊りで残したい』と思い、今も踊っています。もし今日が世界の終わりでも、ここで最後まで踊っていたいな。お店が休みの日だったら、マスターから鍵借りて、勝手にお店開けて(笑)







【 お店データ 】

「ベリーダンサー&インストラクター Tamaki」ベリーダンスショーの他にもオルタナティブな音楽イベントにも出演のTamakiさん。出演情報、ベリーダンス教室などは公式サイトまで。

http://www.k5.dion.ne.jp/~seyes/


「トルコ料理ゲリック」 

営業時間 AM11:30?15:00 17:30〜24:00(日曜定休 ベリーダンスショー:水/土20:00より。要予約。Tamakiさん出演日はWEBにて確認を)

〒167-0042 東京都港区南青山4-9-30 安藤ビルディング2F TEL・FAX 03-3404-9177 

WEB http://www.aoyamagelik.com




【 エピローグ 】

ひとつ、書き漏らしたことが。Tamakiさんの人生の転機はもうひとつあって、それは団体時代に下された、仙台への異動辞令。本文中でいうと、たとえ残り30分でも、通えるクラスの全てに通っていた時期。肩書こそ団体職員だったが、彼女にとってベリーダンスは、もはや習い事の域を超えていた。

「今やめたら、今までのことが全部駄目になる」ーー長く勤めた団体に、彼女は迷わず辞表を出した。

もし異動辞令がなかったら。もし困った上司がいなかったら。あるいは彼女はここまで、踊りにのめり込まなかったかもしれない。心の奥で強く求めていたとしても、それに気付くまで、もっと時間がかかっていた気もする。

取材を終えて今だに謎なのが、見たこともないベリーダンスを、Tamakiさんが習おうとした動機。何度聞いても本人もわからないと言ってたけど、いったい何がそうさせたんだろうね?




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高山リョウ 

フリーライター。インタビュー取材を中心に、WEB、書籍企画の仕事に携わる。

紀伊國屋書店FOREST Plus「代々木忠インタビュー」

http://forest.kinokuniya.co.jp/interview/238/


『日本人の心を奮い立たせるサムライの言葉』(著・成嶋弘毅/PHP研究所)等。

年内に書籍2冊を刊行予定。


「高山リョウのブログ」

http://blog.livedoor.jp/samwriter/







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