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死なせてたまるか!

〜ポジティブ・シンキング博士の自殺撲滅大作戦〜



 Vol.1 マナブ……35歳童貞の場合。

【登場人物】

マナブ……35歳童貞。引きこもり時々派遣社員。重度の自殺願望あり。

ポジティブ・シンキング博士……自殺学研究の第一人者。


ファンタスティックネガティブ星人……人類を自殺に導く宇宙人。


◇◇◇


「ども。ファンタスティックネガティブ星人です。

私の役目は人間に自殺願望を抱かせること。なぜ、そんなことをするかって? 

私の狙いは人間を自殺に追い込み、この地球を緑溢れる美しい惑星に戻すことだ。

全ての人間が生に執着してばかりの獰猛な肉食獣なら、地球はいつもバトルに明け暮れ、おぞましき火の海と化すだろう。

そんなことがないよう、私は人間に自殺願望の種を植えつけた。

その種は昨今著しく開花し、この日本での自殺者数は年間3万人を突破している。日本では変死体の解剖が遅れているから、実際は10万人を突破しているとも言われとるな。

おおなんと素晴らしき自殺大国よ。人間よ、私のネガティブビームを思い知るがいい」




「ちょっと待ったぁー!!」

 生存戦隊サバイバーの一員、マナブが現れた。

「そんなことをさせてたまるかぁーー!!」

「ふはははは! 君は重度の躁鬱病患者と聞いている」

「そんなもんがなんだ! たしかに、時々鬱になって死にたくなるけど、精一杯生きてるんだ! 人間は生きてるだけですばらしいんだ!」

「そうかね?」宇宙人は眉を潜めた。

「君は派遣社員をしていると聞いたが、いつ首を切られてもおかしくないのではないかね?」

「それがどうした! 仕事なんて選ばなければいくらでもあるんだ! 正社員にならなくたって、僕には夢があるから幸せなんだ!」

「お気の毒に。それじゃぁ、老後は安心できないだろう。まぁ仮に、君が正社員になろうが安心できないのが今の日本だがね……。君らのような若者はこの日本では捨てられる運命にあるのだよ。天下りジジイが既得権益にしがみつき、若者の生活を苦しめているのは君も知っているだろう。

政党が変わったところで何も変わらない。国の借金はまもなく1000兆円を超えようとしているし、財政破綻の道まっしぐらだ。そんな国に生きていて何が楽しいのかね?」

「楽しいに決まってるさぁ! 日本は世界一ご飯がうまくて人が優しいんだ!」

「ほぉー。それはさぞ素晴らしい。しかし、君が手取り15万の給料でやってることは、毎日松屋の牛丼と立ち食いそばを食し、オンラインゲームに興じ、毎晩動画サイトからタダのエロ動画を落としてオナニーに励んでいることだけだろう。

やりたい盛りの中学坊主の頃はそれでよくても、今の君には一抹のむなしさが伴うのではないかね? 日本の未来を救うかもしれなかった君のDNAがティッシュのなかで溺れ死ぬのだよ。かつては快楽とも呼べた自慰行為が、いまや毎日のおつとめのように感じられるのではないかね?」

「それはぁ……」

「君は夢があると言ったな。なんだか知らぬが大方一発逆転にかけているのだろう。どうせ金持ちになって、ジャグジー風呂で女をはべらせるとかそんなものだ。だがどうだね? 

口ばかりデカいこと言っているが君は松屋とネトゲとオナニー三昧だ。そんな生活のどこに夢があるのかね? 

このまま奴隷のごとく働いたところで、どうせ若者にタバコくれってせがむ無職のジジイになるのがオチだろう。みっともないったらありゃしない」


「うわああああああああああああああ!」


マナブは卒倒し、彼の目の前には美しい花畑が広がった。




「もしもーし、もしもーし」

 ポジティブ・シンキング博士は花畑に寝転ぶ、でっぷりとした男に声をかけた。

「もしもーし、もしもーし」

 男は目を覚まさない。悪夢を見ているかのような苦悶の表情である。

 シンキング博士はため息をつき、白衣のポケットから携帯電話を取り出した。いくつかのボタンを押すと、その小さな端末から甲高い女のアエギ声が響き始めた。博士お気に入りのエロ動画である。

「はうう!」

 マナブが目を覚ました。あっという間に起き上がり、博士の携帯に目をやった。そこには悶絶する60増しの熟女が映し出されている。

 マナブが大きくため息をつくのを見届けながら、博士は言った。

「君という生き物はぁ……まったく、すぐに死にたくなってしまう生き物のようだね」

「その通りですよ。僕が死にたくなるのはあくまで僕の自己責任です。けど、仕方がないんです」

 マナブは思いのたけを全て述べた。




 幼少の頃からいじめられっ子だった。

教室にある掃除箱によく閉じ込められたものだ。

友達のいない彼を無理やりほめるために教師は「マナブ君の筆箱の鉛筆は全部きちんと削られているねー」と言った。「そんなのあたりまえじゃん」クラスの女子が言い、賞賛の価値は薄まった。

小学校の卒業アルバムには「なんでもランキング」というものがあった。「面白い人」「運動神経のいい人」などがベスト3で紹介されており、公正を期すためにクラスの全員をどこかのポジションにあてがわなければばならない。

勉強だけは人一倍得意なマナブであったが、どういうわけか「頭のいい人」ランキングはなかった。

結局、他に特技もなかったマナブは「転校してきた人(遅い順)」の第一位に選ばれた。

「生きていたって、なんにもいいことなんてないんですよぉー」マナブは嘆いた。

「ぐうむ……」

 博士は唸った。




彼は、自殺学研究の第一人者である。ファンタスティックネガティブ星人が植えつけた自殺願望の種を人々の心から取り除くため、このたび生存戦隊サバイバーなるものを結成した。

死にたがっている若者をピックアップし、彼らから自殺願望を取り除き、同時に人生の素晴らしさを世に広めるのが狙いである。

博士は、サバイバーの面々の自殺願望がMAXに達した時、異次元にある花畑に召集することができる。つまりや、バレーボールのテクニカルタイムアウトのように、一定時間彼らにアドバイスすることが可能なのだ。

その代わり、サバイバーの面々は街角でネガティブエナジーを放つ宇宙人を攻撃せねばならない。調査によると、強力な「生」のエネルギーがあれば、宇宙人をこらしめることができるようなのだ。

メンバーのなかで、マナブは一番脆弱な存在だった。大学こそ名門を出ているが、そのあとの転職歴がすさまじい。少しでも職場の上司に怒鳴られるとすぐに死にたくなってしまうのだ。

いわゆるダメ人間である。だが、デリケートな彼にその言葉を投げると自殺する可能性がある。博士は彼の自殺防止対策に困窮していた。

「僕なんか……生きていたってなんもいいことないんですよぉ……」

マナブが気の毒なほど苦悶に満ちた顔で言った。

「彼女だってできないし、仕事だって一生懸命やっても、給料はまったくあがらないし……」

「ナンパでもしてみたらどうかね?」博士は提言した。

「やったけど、ダメでしたよ。みんなキモイって言うし、夜道歩いているだけで前を歩く女の人に逃げられちゃうんです……」

 完全に無気力ではないのだと博士は思った。

彼はある程度の活動はするが、何度かの失敗でダウンしてしまうのだ。そうしてしまいには何をやっても自分はダメなんだというネガティブスパイラルに陥ってしまう。それならばいっそのこと、死んでしまった方が得策だと考える気持ちはわからなくもない。いわゆる逃げ癖だ。

「はーあ……昔は神童って言われるほど頭がよかったのになぁー。まさか、こんな人生になるとは……」

 プライドも高そうだ……。

 心のなかで博士はため息をついた。

 この男はかつての栄光を引きずっているのだ。そういうタイプは何かのきっかけでうまくいかないとネジが外れ、人生全てがどーでもいいと自暴自棄になってしまう。このままでは街角でナイフを振り回すのではないかと博士は危惧した。

「はーあ、死にたいなぁ……死にたいなぁ……死にたいけど死ねないなぁ……勇気がなくて、死ねないなぁ……生きてても鬱だから何もしたくないし……何もしないと死にたくなるし……死にたいけど勇気がなくて、死ねないなぁ……」

このままでは、マズイ……。

不安いっぱいのまま博士は質問を続けた。




「マナブ君、もしかして君は、人生に飽きているのかね?」

「はい、その通りです。何をやってもつまんないです」

「けど、夢はあるんだろ?」

「はい。アーティストになることです」

「どんなアーティストだね?」

「まだ決めてないけど……なんでもいいです。画家でもミュージシャンでも映画監督でも作家でもフォトグラファーでもいいです」

「どうしてアーティストになりたいのかね?」

「だって、一番モテるでしょ」

 救いようのないダメ人間だと博士は思った。だがそこでその言葉をかけるとますます彼が病んでしまいそうなのでやめにした。

「女にモテる仕事なら、なんでもいいのかね?」

「そういうわけでもないですけど……僕はブサイクだから俳優なんかは無理だろうし……一時は大学教授を目指していましたが、レースに破れました。ポストは限られていますからね。IT企業の社長も目指しましたが、アフィリエイトもドロップシッピングも情報商材販売もデイトレも全然儲からなくて大損です。ネットの草分け期に始めていたらチャンスはあったかもしれないけど、今は完全に飽和してますから無理なんですよ。はーあ、タイムマシンがあれば、1995年に戻ってたんまりとYAHOOの株を買っちゃうのに……けど、タイムマシンなんかないですよね? だから僕がモテモテになるには、アーティストしかないんですよ」

「それなら、なんらかの創作活動に励むといいのではないのかね?」

 苦々しい思いで博士は告げた。

 すると、マナブが意外なほど苛立った顔で反論してきた。

「だからぁー、鬱だから何もしたくないんですよぉ! オナニーだって義務みたいなもんだし、僕には多分何かの才能があるというのは感じてるんですけど、それが何なのかわからないんですよぉーーー!」

 これはかなり手ごわい相手だと博士は思った。こんなダメ人間など一刻も早く見捨ててしまいところだがそれでは良心が痛む。

 博士は思案をめぐらせた。その間も男は「死にたいよぉー」を連発する。いっそのことぶん殴ってやろうとも思ったが、それをきっかけに死なれてしまってはやっかいなのでやめにした。精神科医はつくづく大変な仕事だろうと博士は想像した。

 やがて、博士の頭にひとつの名案が浮かんだ。はっぱをかけるつもりで尋ねてみた。

「そんなに死にたいなら、ワシが殺してやろうか?」

 マナブの顔に驚きが広がった。




「いいんですか?」

「ああいいとも。青酸カリくらいならすぐ手に入るぞ」

「それはぁ……」

 マナブの顔から見る見るうちに血の気が失せた。萎んだ花のように俯いてしまう。
 それを見た博士はこの男はまだまだ大丈夫だろうと思った。

 本当に死にたい人間ならばすぐに首を縦に振るだろう。

 この男にはまだまだ欲があるのだ。たとえ、他人から見て明らかに無謀な夢といえど、生きる活力があるのは素晴らしいことだ。

「どうなのかね? さっさと死ぬかね?」博士は尋ねた。

「やっぱり、ママに悲しまれるのが嫌なので無理です」

 なるほど。

完全なダメ親ならばあっさりと見捨ててしまうだろうが、「ママ」という呼び名からすると、かなりのマザコンなのだろう。家族にショックを与えたくない。それだけでも十分な生きる動機である。

「うわうわうわぁー! 死にたくなってきたぁ! どうすりゃいいんだぁー!」

マナブがガチャガチャ騒ぎ始めた。

ガキそのものだ。

こんなゆとりホルマリンに骨の髄まで浸かった人間に、戦時中の食糧危機など想像もつかないだろう。博士は昭和30年代に初めてバター醤油ご飯を食べた日の感動を今でも鮮明に思い出せる。

 こやつは懲らしめる以外に術はない。

「ちみちみ、財布は持っているかね?」

博士は柔和な笑みを浮かべて口を開いた。




「ありますよぉー」

「見せてくれ」

 マナブがズボンのポケットから財布を取り出した。

一丁前にヴィトンだ。受け取ってなかを見ると、諭吉が二枚も入っている。

「これは君のお金かね?」

 尋ねると、彼の顔に狼狽の色が浮かんだ。

「正直に言いたまえ」

 マナブが苦々しげな顔で口を開いた。

「半分は僕のお金で……半分はママのお金です」

 博士はいまいちど財布をチェックした。キャッシュカードが二枚にゴールドカードまで挟まっている。

「持ってるカードも、全部ここにあるわけだね?」

「はい……それが何か?」

 マナブが怪訝そうに尋ねてきた。

 博士はさわやかな笑みを浮かべて告げた。

「この財布を一週間、ワシに預けてくれないかね?」




「はあーーーーーーーーーーーーっ?」彼は絶叫した。

「それって、泥棒じゃないっすかぁ? はぁはぁっ??? あんた自殺学研究の第一人者じゃなくて泥棒だったのぉ? はぁーーっ?? 僕から自殺願望を取り除いてくれるんだろ? はぁーーっ??」

「泥棒ではないよ」

「うそつくなよ! はあ? はーあっ???」

「君は幸せな人生を送りたいんだろ?」

「そうだけど、それと僕の財布となんの関係があんの? はあ? はーあっ???」

 マナブが財布に掴みかかってきた。

 博士は素早く身を翻し、その攻撃をかわした。

「なにすんだよ! ハゲジジイ!」

 博士は沸き起こる怒りをかみ殺し、おもむろに口を開いた。

「一週間、この財布なしで生活できたら、君に特別の褒美を進呈しよう」

「えっ? なになにー? 特別のご褒美ってー?」

「それは秘密だ。ただしその間、君は君のママも含め、一切の友人に金を借りてはならぬ。消費者金融と闇金もNGだ」

「はあー? 意味わかんないんですけどー」

「君はご褒美が欲しくないのかね? 幸せになりたいんだろ?」

 マナブが黙り込んだ。しばらくして、観念したかのように呟いた。

「ご褒美、欲しいです……幸せになりたいです……」

「だったら携帯電話も出したまえ」

 マナブがしぶしぶといった感じで電話を取り出した。博士は素早く受け取った。

「では、達者でな」

「はぁ? なにそれ、はぁーーっ???」

 マナブがそう叫んだ時には、彼の視界から花畑は消えていた。

 目の前にはいつもの東京が広がっている。ファンタスティックネガティブ星人もどこかへ消え去っていた。

ズボンのポケットをまさぐるが財布も携帯電話もない。

 完璧な無一文になっていた。




(つづく…)




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1979年札幌生まれ。プー太郎。実家で細々と文章書いてます。著書『ホスト裏物語(彩図社)』、『ザ・ドロップアウト(アルファポリス)』、『アムステルダム裏の歩き方(彩図社)』(高崎ケン名義)。『新小岩パラダイス』で第3回角川春樹小説賞受賞(又井健太名義。2011年10月上旬出版予定)。

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