どうして?俺は、節目、節目でつまづくんだ?
18歳の時、受験した大学に全て落ち、
一浪の末、やっと合格できたと思ったら、
今度は、就職が決まらない。
大学の頃に出逢った友達は皆、就職が決まっていた。
俺だけが、新しいステージにコマを進めることができない。
すごろくでいうところの一回休みのように、一人取り残された。
「就職しない」という選択肢を、自ら選んだわけじゃあない。
就職試験を受けたけれど、ことごとくダメだった。
ダメだったほとんどが、面接試験。
緊張して自分の力を発揮できない、というわけでもなく、
自分では、それなりに力を発揮しているつもりが、不合格。
たかだか15分やそこらで、俺のことがわかってたまるかあ!
と、文句をつけたところで、何の意味もなさない。
ダメだとわかるたびに、俺の気分は沈んだ。
働ければ、何でも良いとは思えなかった。
仕事にやりがいを持って働きたかった。
そうは言っても、生活という現実が差し迫っていた。
働かなければ、食ってはいけない。
実家で暮らすという選択肢もなくはないが、
就職が決まらない状況で、親に小言を言われながら生活するのは、耐えられそうにもなかった。
ここのところ、親と電話をするたびに喧嘩になる。
そんな折、大学からバイトの話がきた。
新入生受入れ準備が、その内容。
4月限定のバイトは、俺にとっても都合が良かった。
毎日、大学に通っていれば、就職の話も入ってきやすいだろう。
なんとなくそう思えて、バイトをすることに決めた。
バイトが決まり、ほっとしたのも束の間、今度は、住む場所の問題。
「あと1カ月、アパートに住むことはできませんか?」という不動産屋への申し入れは、
あっさりと、なおかつ、しっかりと断られた。
「次の住人が決まっている」って。
バイトが決まったのに・・・、住む場所がない・・・。
打ちひしがれている俺の姿を見て、
友達が、「会社の研修で家をあけるから、俺の家に1ヶ月間住んでも良いよ」と言ってくれた。
「亀の世話をしてくれると俺も助かるし」と、つけ加えて。
こうして俺は、晴れ晴れとしないまま大学を卒業し、
大学生活を送った街、仙台で、就職活動を続けることにした。
22歳、春。
俺の一日は、亀に餌をあげることから始まる。
冷蔵庫からレタスとキャベツを取り出して、手で細かくちぎり、木皿にのせる。
「亀吉、ご飯だぞ」
亀吉という名前は、俺が勝手につけた。
バイトに遅刻したとしても、亀の世話だけは欠かすことができない。
友達の恩に報いるためにも。
煙草を吸い、スーツに着替えて、自転車を走らせる。
桜が、新しい季節の到来を告げた。
つづく
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