「あの日は、本当に寒かった。生まれたれのは夜中だったんだよ」
自分の名前の由来を訊いた俺に、
母は俺が生まれた日を思い出しながら話してくれた。
「あなたは生まれてすぐに泣かなかったの」
生まれたばかりの赤ちゃんは、
泣くことによって肺に酸素を送り込む。
母から訊いて、初めて知った。
「逆さにしてお尻を叩いて、やっと泣いたんだよ。初めはお父さんの一字をつけた名前を考えていたんだけどね・・・」
父と母は、この子は健康であれば良い。
そう願いを込めてケンイチとつけた。
父と母の願いどおり、
俺は大きな病気も怪我もなく育った。
ただ、大きな怪我はなかったものの、
体の傷は絶えなかった。
「けつにトゲが100本刺さったあ!」
木造校舎の廊下で転んで、
無数のトゲがけつに刺さった。
母は途方もない数のトゲを一本、一本抜いてくれた。
また、ある時、
あずきを見ていたら、
あずきと耳の穴とでは、どちらが大きいのだろうと思い、
試した結果、耳の穴の方が大きく、
あずきが耳の穴に入って取れなくなった。
母はピンセットで、何度も何度も取ろうとしたが、
ピンセットではとれないことがわかり、
俺を耳鼻科に連れて行ってくれた。
「あずきが耳の穴に入っちゃいまして・・・」
そう言う母は、どれほど恥ずかしかったことだろう。
今、振り返っても、なぜ、そのような行動をとったのかわからないものが多い。
そもそも意味なんてなかったのかもしれない。
おもしろければ良い。
やりたいから、やる。
ただ、それだけだった。
それは、一人に限らず、パンダちゃんでも同じだった。
二人で長州力のサインをひたすら書く。
まきまきうんちを作れるか、連日、試す。
吹雪で集団下校だったにもかかわらず、
集団から二人で抜け出して家に帰る。
記憶のかけらは、
どうでも良い、くだらないことばかりだけれど、
後に語られるのは、
こんなどうでも良い、くだらないこと。
愛すべきくだらないこと。
生まれてから季節が9回繰り返そうとしていた。
小学4年生になった、ある日、
家で一人遊んでいた俺に向かって、
母は何か言いにくそうに、こう言った。
「マサヤくん、転校しちゃうんだって」
俺達が好きだった野球でいうところの9回最終回が、
あまりにも突然、俺を襲ったんだ。
つづく
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