だいぶご無沙汰で、瑞穂編集長にちょっとビビリながらコンニチワ!ケヤキです。
Bali島からオーストラリアの西の街Perthに入ったのが昨年の10月。
それから今年の4月頭までPerthから南に30分の小さな港町Fremantleで暮らした。
ここは夏になると気温が40度を超し、真夏の猛暑の日中は暑すぎて外に出るのも危ないくらいだ。
大陸の過酷な自然条件は生物も植物も、そして人間もタフにする。
ヨーロッパの人々と比べても、オージーはタフでラフな性格が多い気がする。
FremantleはとてもCulturalな町で、街を行き交う人も車もカラフルで個性的。
港にはヨットが多く停泊し、夏の間はいくつもの豪華客船が寄港する。
音楽やアートがとても盛んで、夏の間中なにかしらのFestivalが行われ、地元アーティストのみならず海外からもミュージシャンやパフォーマーが多く訪れる。
海外からの観光客やワーホリも多く、色々な人や文化が交錯する土地。
俺が住んでいたのは町の中心から北に車で5分行ったNorth Fremantleというところ。
目の前がビーチでのその家は、朝は波の音で目覚め、夕方になるとインド洋に真っ赤な太陽が沈む。
ハウスオーナーはProのドラマーで、サンバスクールも主催しており、家にスタジオがついている。
俺にとってとても好条件のこの物件は、友人の紹介でめぐり合った。
偶然が重なり、毎日予想もしない新しい出来事がおき続ける連続の日々。
ヨーロッパでもそうだったが、ここFremantleに在住してからもこの国を出るまでの間、人の出会いと協力のお陰で活躍する機会を沢山いただいた。
地元FMラジオの番組に出演したり、地元高校で何百人も前に演奏したり、アフリカンドラムのWorkshopを開催させてもらったり、地元の和食レストランで毎週弾き語りのLiveをさせてもらったり、FUKUSHIMAのイベントで演奏させてもらったり。
最終的にはSoloのGigをすることもできた。
自分の目標に覚悟を決め、旅にでなければ出会えなかった沢山の人との出会いや幸運な出来事がおきてくる。まるで背中を押してくれるかのごとく。
日本を飛び出るときは、一歩踏み出すのにとても勇気がいった。
稼げる保障もなければ、安全であるという保証も無い。
でも自分の心に素直に従い、
例え何の保障もなくても目標を定めてやりぬくという意思だけ持ち続ければ、
大事なタイミングでいつもどこからか手が差し伸べられるのだ。
旅にでてますます感じることは、多くの人の協力と援助があって続けられるという事。
そして俺の責任は、さらにこの道を進み続け、目標に確実に到達する事だ。
つづく
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