9月に入りましたね。
ミュンヘンはいい天気が続いています。街は世界最大のビール祭り「オクトーバーフェスティバル」を間近に控え、ワクワクそしてすこしソワソワした雰囲気です。
個人的には、この夏の最大ミッションのCD制作を終えてホッとした気分です。
この時期になると思い出す。自分が船長になったあの日のこと。
あれがあったから今があるんだ。
ちょうど今から3年前。あれは9月中頃だった。
ITベンチャー企業の営業マンだった俺は、都内の込み合う地下鉄のホームの中で、次の打ち合わせのための資料を確認しながら無気力に電車を待っていた。
夜8時も過ぎ、冷たい蛍光灯の薄暗いホームで肩を落とした覇気の無い人間にまぎれながら。
調度その頃、とある案件で取引先の会社と揉めており、俺はその調整をする役目だった。自社の正当性を訴えながら取引先の文句も聞き、それでも結果的には自社が優位になるように解決せねばならない案件で、相当精神的にきついミッションだった。
自社と取引先両方のプレッシャーとストレスで心が磨り減り、体は疲れてきっていた。
やっときた電車に乗り込み、よどんだ空気の中、ふと窓に目をやった。
そこには俺が長年嫌だと思っていた人間が大勢映っていた。
生気の無い、灰色の、表情のない、利己的で、閉鎖的な、満身疲れた人間達。
そして、そこに映る自分もまたその中の一人であった。
客観的にみれば間違いなくその中の一人だった。
その事実に直面したとき、心の中で言った。
「あぁこれは俺じゃない」
それはITベンチャー企業の会社員として入社して丸3年が経った頃だった。
サラリーマンを始める前、これだけは忘れないでおこうと決めたことがあった。
「俺の人生はこれで終わらない。
俺はまだまだ可能性に満ち溢れているし、新しい世界への扉はいつでも目の前にあって、その扉を開けるか開けないかは自分が決めることなんだ。」
でも実際は3年半のサラリーマン生活で、その気持ちを常に持ち続けることは簡単じゃなかった。
忙しさが続き、会社と家の往復のみの生活。忙しいときは会社に泊まり寝ずに仕事をすることもある。
部屋は寝るだけの場所。
暗いニュースとくだらないTV番組、街をあるけば同じ格好した個性のない人間達。
サラリーマンをはじめて半年した頃、離婚をした。
最終的には憎しみ合うことしかできなかった未熟な成人の結末だった。
いろいろ重なり、辛い時期だった。
心はもう限界だった。
電車の窓に映る疲れた自分を客観的に見たときに、思った。「これは俺じゃない。」
そして、「もういいだろう」と思ったんだ。
「もうこれくらいでいいだろう」と。
自分がサラリーマンを始めるときに自分に誓った言葉「3年は絶対に勤めよう。そのなかで精一杯やってやる」
ちょうどその3年も経った。「もういいだろう」
初心の目標どおり3年勤めることができた。
自分の管轄の営業で仕事を取り、会社に利益をもたらすこともできた。後輩育成にも貢献した。
会社が躍進したというタイミングが良かったせいもあり、最終的には役員にもなった。
もう充分だろう。俺はできた。やれた。自分が決めた当初の決意を踏ん張ってやり遂げたんだ。
あとは自分の為に生きよう。
自分の魂が喜ぶように全てを選択していこう。
仕事も、住む場所も、女も、休日の過ごし方も。
見栄を張るのも面倒くさかった。社交辞令やヨイショが面倒くさかった。
もう話の合わない奴とは話さなくて良い。
行きたくないところには行かなくて良い。
そう思ったとたん、何年も何年も長い間消えていた心に、魂に、火がともった。
「人生は一回、心からやりたい事をやってから死のう。」
2008年9月、俺は会社を辞める決心をした。
そうしてこれからの生きている時間を、大好きな太鼓と音楽に費やそうと決めたんだ。
その日から俺は「成沢けやき」という船の船長になった。
どこへ行くのも自分が決める。面舵も取り舵も進むも降りるも自分が決める船長に。
南ドイツの巨大ターミナルステーション、ミュンヘン中央駅からは毎日各国へ向けて列車が出ている。
オーストリア、フランス、チェコ、イタリア、切符を買って準備を整えれば、この駅から色んな国へいける。
旅人は皆それぞれ自分で行きたい場所を選び、目的地へ向かう電車に乗る。
特別急行に乗る人もいるだろう、鈍行しか乗れない人もいるだろう。
でも乗り続けていれば、目的地には必ず着くんだぜ。
自分がそうしたいと心に決めて腹をくくれば、どこにだって行けるんだぜ。
・・・つづく
|