Vol.4 オハナシ:「遠近両用」
私は今「ゼルダの伝説〜時のオカリナ〜(NINTENDO64)」をやっています。
30分くらい前から。
でもこれ、アクションRPGだから今日一日ポッキリやったって終われないんです。
だから始めっから最後までやれないことを前提にプレイしています。
虚しいですよそりゃ。でも仕方ないんです。
これしかやることないから。
薬局で風邪薬(フィルムコーティング錠30錠入)、栄養ドリンク(3本)、冷えピタ(12枚入大人用)、ポカリスエット(500ml×2本)を買って、自転車で20分かけて彼のお部屋にやってきました。
「なんか、熱出ちゃったみたい」
電話越しの彼は甘えっ子でした。
愛しの彼にそんなこと言われたら、誰だって駆けつけちゃいます。
彼はよく私のお部屋に来るけれど、
私が彼のお部屋に来たのは、これが初めて。
余計なものが何もないお部屋。
だけど、彼女の気配がそこらじゅうにあるお部屋。
私がどこにもないお部屋。
寝ている彼のおでこに冷えピタを貼っつけて、栄養ドリンクを差し出しました。
ありがとう、と言ってドリンクを飲む彼は、そこまで重症ではないみたい。
私に会いたかっただけかな?
まったく素直じゃないんだから。
「今日バイトだったんでしょ 」
彼は私に聞きました。
そうですよ。でもアナタのために休みましたよ。そんなの当然!
遠くの彼女より、近くの彼女。
だって、遠くの彼女に、彼を介抱することはできませんからね。
ピンポーン。
「あ」
「誰」
「多分、荷物」
「出よっか?」
「だいじょぶ」
ベッドからモソモソと這い出した彼は、荷物を受け取って戻ってきました。
「実家から?」
「うーん」
「彼女から?」
「う、うんまぁ」
ためらいながらも、荷物を開ける彼。
「あ、そか。チョコレートだよね」
「うーん 」
もうすぐバレンタインなのでした。
好きがいっぱい表現してある箱の中には、スイートなチョコレート。
それと、モコモコしたマフラー。
と、手紙。
彼女からの手紙を読む彼のおでこには、私が貼り付けた冷えピタが。
今、彼のそばで一番貢献しているのは、私が貼り付けたあの冷えピタ。
でも、その手紙の熱さに、もうすぐ負けてしまいそう。
頑張れ冷えピタ。
彼女への愛も、彼女の想いも、冷やして吸い取ってしまうのだ!
冷えピタに念を送る私。
「あ、ごめん。暇だよね」と彼。
「あ、ううん。だいじょぶ。だけど」
「だけど?」
「いや別に今手紙読まなくても。いいんじゃないかなと」
「あ、ごめん」
「ううん。だいじょぶだけど」
こうしてゼルダの伝説が始まったのです。
暇な私に、彼が用意してくれました。
彼女の余韻に浸りたい彼が、私に用意してくれました。
私が余計なことを考えなくてもいいように。
主人公リンクの体力は、ハートの数で示されています。
敵にやられる度に、リンクのハートが減っていくのです。
ダメージを受ける度に、リンクのハートが削れていくのです。
ひとつ、またひとつ。
まるで私の心みたいだ、と思いました。
暫くして、彼のケータイが鳴りました。
すると彼は、それにはすぐ出ずにベッドから跳び起き、ずんずんずんと私に向かってきました。そして、棚にあったヘッドホンを「がす」と私の頭にセットし、テレビにプラグを挿し、またずんずんずんとベッドに戻り、そこで初めてケータイを耳に当てました。
ヘッドホンから「ぽよんぽよん」と敵が跳ねている音がしています。
BGMも聞こえます。
でも私は、ゼルダの外の世界の、彼の会話が気になるのです。
「届いた届いたよぅ」
嬉しそうに話す彼。
やはり電話の相手は彼女みたいです、いや彼女です。
チョコレートが無事届いたかどうかの確認らしいです。
そんなのクロネコさんにまかせたんだから、心配しなくても届いてますよ無事に。
あほか。
Aボタン連打。
「ぽす」
敵消滅。
なにやら、会いたいだの会いたくないだの、いや、会いたくてたまらないということを、お互い語り合ってるようです。
遠距離恋愛って大変だなぁ、と思います。ええ完全にヒトゴトですけども。
でも、会いたい時に会いに来れる私が幸せかって言えばそうでもないと、今思っています。
ヘッドホンをして、気配を消して、幸せそうに話をしている彼を横目にゲームをしているこの姿は、決して幸せではないと思います。
何も知らずに、愛の言葉をケータイに注いでいる彼女がやはり、幸せなんだと思います。
恋愛って腹八分よね。
全てを知ったら、おいしくない。
Aボタン連打。
「ず。ぽす」
敵消滅。今ちょっと殺られかかった。
危なかった。
「ぐ」
あ、どうしよう。なんだか咳が出そうです。
苦しい。
今ここで、私が咳をしたら、彼はどんな顔をするのでしょうか?
困るでしょう。慌てるでしょう。
さて彼は一体、どうやってこのピンチを切り抜けるのでしょうか?
あー、咳したい咳したい。
修羅場を経験してみたいと、イケナイことを思ってしまいました。
黙って人の恋路など見ていたくはありません。
人間だもの。
「こ、こほ」
彼が目を見開いてこっちを見ました。
口に人差し指を当てて「しー!」のポーズをしています。
「く、くほん」
更に彼は、今まで見たこともないような、慌てた表情をしました。
「しー!」のポーズ2度目。激し目に。
それでも彼女との会話は平穏に続けているあたり、器用な男ですねこれ感心しちゃう。
「ごほごほごほ・・・」
「ぶわっくしょ!」
なんと!
彼は自分のニセくしゃみを私の咳にかぶせてきました。
「ごめん。うんうん。うんダイジョブ。熱がねー、まだ下がらなくて。げほげほげほ。ちょっと待って、げほ。く。ごほ。あ、ダメだ、ちょっと咳が止まんないからげほ。後でかける」
彼は電話を切りました。
彼は私に静かに言いました。
「あのー、なんで咳するの?」
「え、だって我慢できなくて」
「我慢してよ」
「我慢したよ」
「死ぬ気で我慢してよ」
「死ぬ気で我慢したよ」
「嘘」
嘘です。後半はわざと咳をしました。
「ちょ、勘弁してくれよ〜」
彼は、ずさ、とベッドから立ち上がり、ずんずんずんと私に向かってきました。
そして、頭にあったヘッドホンを「ぼし」と私の頭からはずし、こう言いました。
「俺もう大丈夫だから帰って」
「へ?」
「だから、もういいよ。ありがとう」
彼は私の手をつかみ、立ち上がらせ、私の背後に回って、玄関へ玄関へと背中を押します。
「ゼ、ゼルダ・・・」
「どっちみち最後まで出来ないじゃん」
ピンポーン。
「なんだよもー」
彼は玄関へ行き「はい」と溜息まじりに返事をしました。
「あたしだよー」
サプライズを狙って、彼女が来たみたいです。
あらあら彼は顔面蒼白。
やっと悪寒の始まり始まり。
彼女さんへ。
お部屋の中はもっとサプライズですよ。
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