1993年9月。
上海は熱かった・・・
車の騒音、猛烈な勢いで駆け抜ける自転車。
喧騒の中に人々の熱気がうごめく。
中国で一山当てようと、日本から乗り込んでいった
我々Y社の中国流通事情視察ツアーの一行は、その活気に
圧倒されながらも、北京・上海と精力的に歩き回った。
当時の中国には、未来の大市場を求めて、バブルの勢い
そのままに、日本からも多くの企業が進出し始めていた。
その筆頭がY社だった。
そのY社が上海の浦東地区に東洋一のショッピングセンターを
オープンする。
そこへのテナント募集の一環として、今回のツアーが
組まれたのだ。
北京に出店した店舗では、高級化粧品などが売れて
いるらしい。
確かに都市部ではきらびやかに着飾った女性も目立つ。
富裕層が生まれて、マクドナルドを始めとして外食産業も
進出しだした。
当時ハンバーガー一個が、日本円で約60円。
現地の物価からするとかなり高いはずだが、これが飛ぶように
売れている。
驚いたことに、なんとディスコもあった。
洋楽が流れ、英語が飛び交う。
しかし、強烈な違いも感じた。
サービス精神という考え方が無いのだ。
上海一といわれる百貨店に行った時、どこの売り場でも
店員が雑談していて、お客の顔を見ようともしない。
買い物をすると、それを包装もしないでそのまま寄越す。
お客もそれが当たり前のようで、誰も文句を言ったりしない。
現地に駐在している日本人に聞いても、とにかく人を
雇うのに苦労すると言う。
サービスという概念を教えるだけで、大変らしいのだ。
結局ただの物見遊山で終わってしまった中国ツアー。
後日華々しくオープンした上海のショッピングセンター。
日本でもその模様が大々的に報じられた。
しかしそれをピークにY社があっという間に崩壊していく
事など、誰が予想しただろう。
そして俺の身の回りでも、バブルというまぼろしが少しずつ
はじけ出していた・・・
つづく
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