最近、よく聞く言葉”プレカリアート”って知ってる?
プレカリアート(英precariat、仏precariat、伊precariato)とは、「不安定な」(英precarious、伊precario)という形容詞に由来する語句で、新自由主義経済下の不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者の総称(国籍・年齢・婚姻関係に制限されることなくパートタイマー、アルバイト、フリーター、人材派遣・業務請負労働者、契約社員、委託労働者、移住労働者、失業者等を包括するカテゴリー)。
また、貧困を強いられる零細自営業者・農業従事者等を含めることも。ただし、互いの生を貶めあう際限なき生き残り競争へ駆り立てる新自由主義経済下、自らの不安定な「生」を強いられながらも、その競争への参加を「放棄」する人々は、上記のカテゴリーにとらわれることなく包摂されうる。プロレタリアートと語呂を合わせることで、新自由主義における新貧困層の現実との向き合い方を示している。イタリアでの落書きから始まった言葉と言われる。 Wikipedia
より |
まあ、わかりやすく 言えば話題の格差社会と呼ばれる事象の下層のほうの人たちの総称ということになるかも知れない。
そんなプレカリアートたちの怒りのデモ”自由と生存のメーデー07”が2007年4月30日、新宿は歌舞伎町周辺で行われた。
http://www.youtube.com/watch?v=ebbEXlWBJXA
You tubeの動画↑ かなり面白い。オススメ。
|
「自由と生存のメーデー07」
──生きることはよい。生存を貶めるな!
──低賃金・長時間労働を撤廃しろ。まともに暮らせる賃金と保障を!
──社会的排除と選別を許すな。やられたままで黙ってはいないぞ!
──殺すことはない。戦争の廃絶を!
──メーデーを抗議と連帯と反攻の日に!
http://mayday2007.nobody.jp/
|
|
僕も20代の頃は、日雇い労働者であった時期があったし、派遣や契約という形で多くの労働現場を流浪してきた。幸いにして今はそんな環境から脱出できているけれども、現在進行形でそういったことを経験している若者たちの顔がどうしても見てみたくてデモの現場にダイブしてみた。
|
***
新宿につくと、おそろしいくらいの警官の数。
何も知らない人が見たらテロでも起こったんじゃないかと確実に思ったと思う。
この警官たちは全てデモの警護や監視のために出動していたんだけど、とにかくその警戒たるや尋常じゃなかった。 |
おそらくデモ隊が引き金になって暴動が起ることを恐れていたと思うんだけど、確かにそういう不穏な空気はヒシヒシと感じられて僕も少し緊迫した。
この感覚は何かなとずっと思っていたんだけど、あ!っと途中で思い出した。日比谷の野音だ。ラフィンノーズというパンクバンドが最も物騒だった時の匂い、あの時代の空気をひさしぶりに嗅いだ気がした。
※とにかく凄い警官の数。デモの人より多くてこれは逆に警官のデモなんじゃないかとさえ思った(笑)
デモ隊の先導車にはスピーカーが積んであって、そこからかなりラウドな音が街に響く、その音もフォークからラップ、パンク、ロック、トランスと多岐に渡っていて個人的に凄くいいなと思った。
デモ隊と一緒に歩いていて単純に楽しかった(笑)
そして今は忘れられた音楽のルーツの1つ、怒りというものを再確認できた気がした。
|
|
|
デモに参加している人には老若男女様々な人がいて、なかにはお子さんづれの方もいた。
もの珍しいのか海外の観光客(?)も多く参入していたように思えた。
現役のホームレスのかたがたとかの姿も見られた。 |
基本的には安全なデモだったけど、時折、危うげなシーンなどもかいま見られた。
その光景はこの怒りを忘れた日本では凄く新鮮にすら思えた。
警官も時折、てめえら、バカヤロー!などと激高していたのが印象的だった。
***
|
|
デモ隊は一時間半くらいかけて無事、終着点へと着き、特に問題もなく終了。
デモに触れてみての感想だけど、今の日本は怒っている人と怒っていない人の二極化がひどく進んでいるなと思った。
例えば今回のデモ行進を冷めた目で”あいつらバカじゃね”といった感じで見ていた沿道の茶髪の同世代の若者たち。
そんなことしてる暇があったら汗水垂らして働けよという視線で見ていたサガワ急便のお兄さん。
そんな彼らの視線を前に現代版ええじゃないかを繰り広げる生きずらさを抱える若者たち。
そして時給をあげよと叫ぶフリーター。
|
理解できない人から見たら今回のデモ行進はさぞや奇怪に見えたに違いないと思う。
たしかに格好よいか、格好悪いかと問われれば決して格好よいものではなかったと思う。
でも凄く意味のあるかっこ悪さだったと僕は思った。 |
環境においても産業においても、この世界は今、確実に分岐点を迎えていると思う。
このまま言ったらマジで僕らの次世代に未来はない。
次の世代のために今僕らに最も必要なものは、もしかしたら”かっこ悪い”ことなのかも知れない。
そんなことをこのデモを見て思った。
|