7天閣 〜阪神淡路大震災〜
おかげ様で、まだ生きてます。
1995年1月17日午前5時46分。
ドーーーーン!!!!! ズズズズーーーーー。
爆弾!? 戦争!?
ユッサ、ユッサ、ユッサ・・・。
あー地震か。 大阪は大丈夫。 いつもの事や。
まだ時間早いし寝とこ。
ところが揺れが止まらん! ひどなって行く。
目を開けてみたら、天井にぶら下がってる蛍光灯が揺れ過ぎて、
天井の板にガッツン、ガッツンぶつかってる。
気持ちの整理もでけへんと寝たまま見上げたら、頭の上にクーラー。
これ落ちたら死ぬなあ。
オカンも前から揺れるたんびに心配してたなあ。
取り敢えず布団にもぐってみたけど、布団ぐらいでクーラーの重さ
カバーできんやろ。
ガバッと起きて、どうするか考えてたら足下の本棚が足の上に倒れ
ようとしてる。
これは恐い!
ヤーッ!と押さえたら、立たれへんぐらいの揺れやから本棚と一緒
に揺れて壁にガッツン、ガッツンぶつかって止まれへんやん。
当然中身は、全部頭の上にバサバサッ!ドカッ!ガツン!と。
押さえんほうが良かったかなあ? イヤイヤ。
やっとおさまって、オカンのところへ。
取り敢えずテレビかラジオ。 まずテレビ。
ほんまに戦争かと思った。
神戸の映像。 一面焼け野原。
昔の戦争映像のカラー版。 正直にだぶった。
それ見ながら自分と比べて、親戚もいないし一安心。
「オカン風呂は入るわ」「アホか!!!」ほんまにアホです。
何時に仕事に行くか電車情報見たら、自分のところの沿線だけなん
と早い復旧や。(バイク通勤やったから関係ないけど、エヘッ)
軽く仕事休めたけど約束の仕事があったし、なんやったら納期守る
のに、仕事に行きたいぐらいやったから、それはOK。
もういいかな?って風呂湧かして入ってたら、当時の仕事仲間から
電話かかって来て。
「テレビで見たけど、大丈夫???」
なんか嬉しかったわ。
で、当たり前に出かけて外注先に約束のものを受け取りに行ったら、
全員で掃除中。 そらそやわ。 あらためて少し実感が湧いた。
会社に着くと会社の近所に住んでた人たちも掃除してた。
机とか全部まん中に集まってて、掃除にはちょうどええわ、やって。
荷物配送の兄ちゃんが来て「この会社優秀ですね」って。
割れ物関係は、揺れる方向に対して横向きの配置で、周りの人たちは
大体小規模で助かってたみたい。
ほんでみんなが集まって来てその話。
1人神戸の人で、救援物資等大問題。なんとか助かってホテル暮し。
(彼は後に使い込みが発覚し、逃亡)
関西は地震が少なくて、なめてるから対策もなってないって、
散々叩かれたけど、朝5時でっせ!
立ってられへんのに避難具なんか出されへんで。
言うてる間に崩れんねやろ?
自分の命守るんで、精一杯やろう。
気が着いたら家族が挟まってんねんもん。
当時、平日は企画事務所のパートで、土日にバイトしててんけど、
そのバイト仲間が、その朝に高速道路を走ってたねん。
パンクしたと思って車止めてタイヤ見に降りたら「地面揺れてる!」
って、速攻で帰ったらしい。
その高速道路は、後で横倒しになりました。
現在までの復興には、自分らでは計り知れへん苦労やろなあ・・・。
南海地震の確率も上がって行くし、恐いなあ・・・。
避けようがないもんなあ・・・。
このまま落ち着いといて欲しいなあ・・・。
あーほんま、ゆるい場所に住んでて助かったわ。 家は傾いたけど。
対策でも考えながら飲も。
・・・つづく
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