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2008-6-2
タフストーリー1
中島らもの伝説の始まりは実は絶望的なまでの退屈だった。
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惜しまれながら故人となった小説家で劇作家でも才能を発揮した中島らも。彼はもともと関西のフーテンだったが、結婚を機に印刷会社に就職。そこで破天荒ではあったが、いわゆる普通のサラリーマンとして日常を過ごしていた。
そんな彼が世に”中島らも”という名前を知らしめるようになったきっかけは実に意外なこと。それは新たに転職した会社で自分の仕事がなかった…ということ。
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恩人に紹介されてやっとのことで入った会社だったが、そこは小さな会社で従業員は社長と経理と中島らもだけ。(※しかも社長、もとヤクザ(笑))そこで、毎日、やることもなく会社でTVを見ているだけで給料をもらえる日々。
楽でいいじゃないかと言われるかも知れないが実は人間はこういうのが一番辛い。(※これを見ている君ならきっとわかるはず。)
やることのない辛さ。その辛さから中島は、ついには、うつ病になる。そのうつ病を克服するために自分を追い込んで始めたのがあの伝説の宝島誌での広告"啓蒙かもぼこ新聞"。
※啓蒙かまぼこ新聞…中島が何か面白い広告をつくれないかと考え、カネテツの社長に直談判し当時人気だった雑誌、宝島のページを買取って始めた企画。おそろしく自由度が高くとても広告には見えなかったがこれが大人気となり、中島らもの名を不動にした。
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僕が持ってた宝島より。貴重です!この写真 |
この啓蒙かもぼこ新聞は大評判になるが、実はその裏にあったのは、うつ病との闘いの日々。。。中島らもは自身でも言っているが、自分を暇にすると鬱がひどくなる。だから無理やりにでも自分を忙しくすることにしていたらしい。その後も中島らもは様々な活躍をするが、その裏には同様の理由があった。
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「心が雨漏りする日には (青春出版社)」という本があるんだけど、この本には実に見事に鬱病に対する中島らもの告白が収められている。
今、日本は3人に一人がうつ病の可能性があるというたまんない状態にあるわけだけど、この本はそういう人々にとても勇気をあたえると思う。 |
なにせ言葉がふるってる。中島らもは堂々とこう言うんだ。"こころも、からだの一部だよ。"って。だから、風邪をひいたり、ケガしたり、骨折したりと同じように心が折れることもあるんだ。そしてその時は体と同じで適切な治療をすればいい。それでオールオッケー。何がおかしい?
まったくその通りだと思う。もう亡くなってしまった中島らもだけど、彼が残した数々の言葉はこれからもたくさんの人を救うだろうな。ほんとそう思う。
この世界をタフにクロールしたい人、是非、中島らもの作品に触れてみることをオススメします。かなりの確率で勇気をもらえます。そしてやっぱり人生はまっすぐで平坦なものより、多少、苦しみや悲しみがあったとしても味のあるほうがいいなあ、と素直に思えます。はい。
この世界をタフにクロールするための話。Vol.1はこんな感じでした。近々でVol.2 Vol.3と公開してゆきます。お楽しみに!!
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