奇跡の転進かのように見えた新しいその会社は 働けば働くほど ダメな会社だった。 (ちなみその会社名はP社という) まず、信じられないくらい社長がワンマンだった。 もうそれは想像を絶するほどで、とにかく何か少しでも気にいらないことがあると社員を電話口で怒鳴りながら本社がある大阪まで呼びつける。 時間なんか関係ない。 夜中だろうと何だろうと、呼び出しを食らった社員は行かなければならない。 しかも自腹で。 東京から大阪までの交通費は全て自分で払わなければならない。 完全になんじゃそりゃ状態。 しかしその会社にいる人は皆、不思議なくらい社長に従順だった。 まるで奴隷みたいだった。 プライドもへったくれもなかった。 それどころか、どんな目に合わされても尚まだ、社長にゴマをすろうとさえしていた。 ある人なんか夜遅くに呼び出しをくらい、そのままタクシーで大阪に向かう始末。 そして呼び出されて延々と説教される。 何十万円の交通費を自分で払って。 あほか。。。 とにかくそんな会社であったため、入社早々から僕のレッドランプは点灯していた。 極めて反抗的に赤く赤く点灯していた。 入社早々という身分にもかかわらず、面接の時の約束と違うくだらない残業は一切拒否した。 残業した場合でも、きっちりとその分の賃金を請求した。 これは、支払われはしなかったけれど。。。 そんな僕に対して社長も良い視線を返しては来なかった。 だが、僕も本社に呼び出されようとも、何のかんのと言い訳をつけて行かなかった。 そんな僕に対して周りの他の社員は、勇気あるよなと、言ってみたり、お前はバカだと言ったりさまざまだった。 僕はお前らのほうが、よっぽどバカだという目で返答していた。 こんな会社に飼い殺されていたら、お前ら死ぬ直前に、絶対、後悔するぞと心から思っていた。 その会社の規則にはこんなものがあった。 ”社員同士結束してはならない” 要は労働組合を作ることを禁止しているわけだ。 これ今思うと完全に法律違反。 社員は会社のいいなりにならなければならない。 社員は完全に奴隷というわけだ。 ほんとふざけた会社だった。 今でも腹が立つ。 しかし、こんな会社が広告業界ではちゃんと名が通っていて、株式会社としてこの世に存在する。 この国はおかしい。 先進他国ではありえない。 しかもこんな会社はこの国にゴマンと存在する。 そんなこの会社を僕は結果的に、3ヶ月という驚異的な短いスパンでやめる。 いつもいつも同じことの繰り返しだが、上司に 「そんなんじゃ、どこ行っても生きてけねえぞ!甘ったれが!」 という有り難い言葉を頂戴しながら、なかば、バックれるような形で辞める。 とにかくこの会社のために利益を出してやりたくなかった。 この会社の社長や腐った眼をした上司を喜ばすために仕事をしたくなかった。 そして、ここでこれからの僕の仕事に対する姿勢が固まる。 それは、 「頭を下げる相手は自分で決める。」 ということだ。 これは今でもまったく揺らいでいない。 確か2月だった。 みぞれまじりの空だった。 辞めてやったことに後悔はなかった。 でもいつまでもいつまでも、子供みたいに、こんなことを繰り返す自分のことを寒々しく思った。 そんな心情を抱えながら とりあえずお好み焼き屋に入りビールを飲んだ。 ビールは冷たすぎて、うまいとは思わなかった。 そしてどうしてこうまで、僕は生きるのが下手なのだろうと、暗い目をしていた。 27才の頃のことである。