大阪二日目の現場を終え、 また僕は西成の宿泊施設へと戻ってきた。 風景は変わらず、酒を片手の赤ら顔のおじさんがうろうろし、 ほうぼうに設置された街頭博打の屋台では 古いタイプのヤクザが少しでも金を持っていそうな鴨を探し 異様に目をギラつかせている。 そんな中でさして珍しくもない怒号が 響き渡る。 喧嘩だ。 夏のドヤ街は喧嘩が多い。 怒号のほうへ行ってみる。 全身に刺青を入れた30代くらいの大男が 酒で顔を真っ赤にしながら小さな老人のことを殴っている。 小さな老人は抵抗する素振りも見せずただ 涙目で男に振り落とされる拳を見つめている。 それを止める人間はここにはいない。 悲しいがいない。 そのあまりに凄惨な光景に僕も止めることは出来なかった。 かかわったらこちらが確実に殺されてしまいそうな光景。 それを前に僕は何も出来なかった。 未だに後悔している光景。 心の底から力が欲しいと思った。 酒屋のほうへ行くと、その日仕事にありついたのか 少し日銭を持った人ったちが楽しそうに酒盛りをする。 話していることは、大体はその日の現場のこと。 あそこは楽だった。 あの手配師にはついていっちゃいけねえ。 などなど。 中には相当ひどい現場もあるのが話しから 伝わってくる。 作業中に指を切り落としたがろくに手当てもして もらえなかったなどの物騒な話もチラと聞こえた。 僕は自販機で缶ビールを買った。 ここで酒を飲むことに抵抗はあったが、 喉の乾きには耐え切れず、ビールを買い、その場で飲んだ。 ビールを飲みながら、明日はこの街にはいない自分のことを 思った。 そして本当に申し訳ないが、僕はここの住民でないことを ありがたく思った。 まだまだやり直せるチャンスがある自分の状態に感謝した。 缶ビール2,3本とと夕飯のおにぎりを買い 寝床である宿泊施設へと向かった。 途中、道のはしで壁にもたれ うなだれてている人を見つけた。 近寄ってみた。 さっき殴られていた小さな老人だった。 晴れ上がった顔が見ていられなかった。 僕はさっき止めることが出来なかったことを 思いだした。 心の中でわびた。 そして自分の持っていたビールと食べ物の入った袋を その老人の手に持たせた。 せめてもの罪ほろぼしだった。 最近、10代や20代の人の中で、 西成や山谷、寿町などのドヤ街での生活に あこがれている人がいると聞く。 ドヤ街は誰からも拘束されず、自由にやれる。 今の自分の面倒くさい人間関係から解放され、 貧乏かも知れないが楽しく生きられる。 きっとそんな、むしのいいことを考えているのだろう? でも、はっきり言っておく。 それは大間違いだ。 ドヤは地獄の一歩手前だ。 来たくて来た人なんていやしない。 もう一度いうここは地獄なんだ。 そのへらへらした精神を引き締め、 自分の生活をもう一度見つめてみろ。 きっとドヤで暮らすよりはましなはずだ。