孤独は贈り物だ。
…映画「酔いどれ詩人になる前に」より
チャールズ・ブコウスキーの自伝”勝手に生きろ!”を映画化した「酔いどれ詩人になる前に」
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そのラストで、
ブコウスキー演じるマットディロンがこう語り、物語はしめくくられる。
もし何かにトライするなら、徹底的にやれ
でなきゃ、やるな
恋人や妻を失うかも知れない
親戚や定職や・・・ 正気すらも・・・
3、4日メシにありつけないこともある
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公園のベンチで凍え、留置場にブチこまれることも
また、冷笑され、徒労や孤独も味わうだろう
だが、孤独は贈り物だ。
そして忍耐力のテストだ。
自分がいかに本気かが試される
それらを越え、拒絶や確立の低さを、ものともせず
やり遂げた時の素晴らしさは格別だ
もし何かにトライするなら、徹底的にやれ
最高の気分に浸れる
徹底的にやれば、世界は自分と神々だけになり、夜は火と燃える
最後に笑うために、ハードルをつき破れ
それだけが価値ある戦いだ。
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ありとあらゆる職場をクビとなり、どんなに、バカにされようと、足蹴にされようと、”書く”ということを諦めず、73歳の人生を生き切ったチャールズブコウスキー。
彼の経歴をざっと、あげてみると、こんな感じ。
★1920年8月16日 誕生
ドイツのアンデルナハで生まれ、第一次世界大戦につづくドイツの経済崩壊ののち、アメリカに移住。幼年時代、
父親はしばしば失業状態にあり、ブコウスキーによれば、父親から虐待を受けていたという。
その後、 ロサンゼルス・ハイスクールを卒業したのち、ロサンゼルス・シティ・カレッジに入学し、芸術、ジャーナリズム、文学を学ぶ。
★1944年 24歳
ニューヨークに移り住み、本格的な創作活動をスタート。いくつかの短編が雑誌に掲載されるが、ブコウスキーはここで一度、作家になる夢をあきらめる。その後は適当な仕事をし、安宿に泊まりながら国内を放浪。
その10年後、長年にわたる放浪と大量の飲酒がたたり、出血性の潰瘍で入院。
退院したころからまた詩を書きはじめる。
★1960年頃〜 40歳
ロサンゼルスの郵便局で事務員として勤めはじめる。
★1964年 44歳
内縁の妻、フランシス・スミスとのあいだに、娘のマリナが生まれる。
★1969年 49歳
ブラック・スパロー・プレスのジョン・マーティンから「生涯毎月100ドル」という俸給を約束され、郵便局をやめる。その後の主要な作品のほとんどが、ブラック・スパロー社から出版され、1975年 55歳ついに初出版本、"Factotum"
『勝手に生きろ!』 が世に出る。
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