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田中雄一郎 …1971年大阪生まれ。'01年「サソリの詩」でデビュー。'02年には1stアルバム「虎」を発表。'03年フジロックフェスティバルROOKIE A GO-GO出演。現在ミュージシャン活動とともに映画「殴者」の原作、「ハブと拳骨」の原案、音楽、クリエイティブディレクターを手がける。2006年4月には4年ぶり2ndアルバム「STUPID SUPER STAR☆」をリリース。純不良日本新音楽をテーマに注目を集める。

田中雄一郎主催イベント「タイガーラウンジ」番外編

「STUPID SUPER STAR☆」レコ発記念ライブ決定!

日時:6月19日 [月曜日]
場所:AOYAMA 月見ル君想フ
open:19:00/start:19:30
前売り:\3,000-/当日:\3,500- [共にdrink代別途] 
tel. 03-5474-8115 
詳しくは→http://www.moonromantic.com/


BBMC
http://www.bbmc.co.jp/music/yuichiro_album.html

田中雄一郎オフィシャルWEBサイト
http://www.tanakayuichirono1.com/


…超ド級の不良、田中雄一郎を君に!!


2006年5月、小雨振る青山。その邂逅は静かにそして熱く始まった。

相対するはミュージシャンであり映画「殴者」原作者、「ハブと拳骨」の原案、音楽、クリエイティブディレクターでもある"田中雄一郎"氏

氏の作品世界に触れ、その独特の世界観にかねてからリスペクトを寄せていたフリスタメンバーである若き詩人"誠一朗"をインタビュアーに据え今回の企画は実現した。

田中雄一郎氏の半生が全てここにと言っても過言ではないほどの濃い内容。そして思い。


この複雑な現実社会をあくまで自分の流儀で次々と突き抜いてゆく田中雄一郎氏。そんな超ド級の不良、田中雄一郎氏の生き様を君に!! (フリスタ編集MIZK)


誠一朗(以下、誠)

「早速ですが生まれた場所、子供時代のことなどを教えてください。」
 
田中雄一郎氏(以下、T)

「大阪の典型的な下町の出身です。両親も健在だし家族も皆仲いいです。黒門市場の商売人でした。大阪のミナミを支えているような大きな市場だったんでやっぱり他の商店街とかとは異質でしたね。ちっちゃな魚屋とかでも年商何億も稼いでポルシェ買って遊んでるみたいな。そんなクレイジーな大人が多くて"中学生になったら煙草くらい吸え!"とか平気で言われるような場所でした。

僕が通っていた小学校なんかは現在新入生のクラスの3分の2くらいが日本語を正確に喋れないというようなところでね、中国とかフィリピンとかから来た出稼ぎの人々の子供が多くてまさに人種の坩堝でした。

そういう場所だからか犯罪とかと危険なことも多かった。ホームレスの人も多かったし。冬とかはお酒を飲んで凍死してしまう人も多かった。そういう人をたくさん見てきました。



ヤクザの発砲事件や、外国人の抗争でパトカーがわんさと来るみたいなのも日常茶飯事でね。市場で凄く羽振りのいい仕事をする人がたくさんいる半面、そういう犯罪みたいなものも多い。そんな混沌とした街でした。

下町情緒と時代の病めるところ、そういうものが同居してたと思うんだけど、でも逆にそういうものがあったおかげで家族の結束が強まっていたような気もします。

実家は不動産屋だったんですけど、トラブルも多くてね、怖い関係の人のもめごとで怒鳴り込まれることもしばしば。それに対しておふくろが逆に怒鳴り込むなんてこともありましたね。 だけどそういうのを通して小さい頃から言われていたのは、"喧嘩はしてもいいけど最後は絶対握手して笑顔で終わらせなあかん"ということ。
そういう世の中を生き抜く上での大事な法則みたいなものを小さな頃から自然に教わってきました。

あと、家庭内の問題でお金のことなど相当大変な時期もあったんですけど、うちの親は子供である自分を蚊帳の外に置かず、ちゃんと説明して意見を求めてくるような人でした。」
 
誠「僕も大阪はすごい好きで高校を卒業してすぐ彼女と同棲しながら2年ほど住んでました。その彼女にふられ、まるで近所のTSUTAYAにでも行くような感覚で原付に乗って東京に出てきたんですけど、その旅立ちの日、僕は雄一郎さんの育った黒門市場にいました。そういう意味でも大阪のミナミは思い出深い場所です。」
 

T「僕らの住む黒門市場らへんは西成とかまわりの地域と不思議なくらい空気が違っていて、そしてのほほんとした風景の中である日突然事件が起ったりする。子供が人が死んでいるのを見てもさして動揺しない。そんな今考えると特殊で異様な場所で僕は生まれ育ったんだよね。」

 
誠「田中さんの作品を聞くと言葉づかいとか言葉の捉え方が凄く特殊で印象的なんですけど、それはこの頃の幼少時代と何か関係があるのでしょうか。」
 

T「関係あるかわからないけど僕は子供の頃よく粘土で遊んでたんだ。ほんと変わってて粘土で人体模型とか作ったりして、それを手術して遊んだり(笑)
普通に駄菓子屋とかも行ってたけど、僕らのまわりは皆商売人だったんで子供が皆家から一万円とか盗んでくるんですよ。それを使ってゲーセンとかで派手に遊ぶ。小学生のガキがみんな金持ちだった。

それとその言葉に関係するかわからないけど、俺はよく夜とか親父に祭りに連れていってもらってたんだけど、その時、3本立てのポルノ映画館とかに平気で連れていかれてた。
そんななんか煌びやかのようなバター臭いような、映画ブレードランナーのネオンの感じというかそういう風景を見ながら育ったのを憶えてる。そういう子供の頃の風景の感覚が自分の中には完全に根付いている。魚の匂いが濃く漂う黒門市場の通りに鎮座するポルシェみたいな。そういう不思議な感覚。」

 
誠「なるほど、わかるような気がします。」
 

T「言い換えればこの頃根付いたものによって有機質な要素が自分の作品の中で必要不可欠になった気がする。だから90年代以降、必要以上にどんなジャンルでも無機質なものがスタイリッシュだとされてきたような気がするんですけど、その感性には俺はまったく反応しない。逆にそれ"かっこだけじゃないか?本当にほんまもんか?"と常に思ってしまう。

話は戻るけどその、親父によく連れていってもらったポルノ映画館の情景が凄く好きでね。子供なんでポルノなんてどうでもいいんですぐ廊下とかに出ちゃう。でもそこで見た平日の映画館の雰囲気とか匂いに恍惚とするような子供だった。それは今でも鮮明に自分の中にあるんだよね。この頃からビルの屋上とか場末のものにずっと魅かれるんですよね。」

 
誠「その後10代の頃などはどうでしたか?」
 
T「10代の頃はね。アメリカ村が近かったんでね、古着屋のサーファーの兄ちゃんに遊んでもらったりとか、アンティークショップとかに入り浸ってた。
そのうちソフビの人形の価値とかに気づいて友達の家に眠っているお宝を持ってこさせて一体、10万円とかで売ってたりしてた。(笑)たまには50万円なんてものもあった!

そのあぶく銭をもとに友達に豪勢に奢って遊んでたりしてた。そんな都会的な街の悪ガキだったと思う。
映画のポスターなんかも大好きでそういう店があったんだけどそこにもよく行ってた。そこのオーナーがニューハーフの人で、なんかこう本当に子供ながらに色々なタイプの人と付き合ってたし、可愛がってもらった。やっぱり特殊な環境だったと思う。」

 
誠「僕は本当に田舎で育ったんで、そのもの凄いライフスタイルはとても想像できないです。僕は本当田舎のただのダメなやつでしたよ。(笑)九州だったんですけど、田んぼで何かイタズラするのが日常だった。」
 
T「環境って大きいよね。改めて話すと僕の環境はやっぱり変わっていたなあと思う。」
 



誠「それで高校を卒業して板前になられたんですよね。」
 
T「うん。友達のアニキが凄い料理人で憧れてたんだよね。だから本当は高校をすぐにでも辞めてその道に行きたかったんだけど、高校の時の先生が凄いいい人で引き止められた。高校は出ておいて損はないって。それで思いとどまって高校を出てからその道に入った。」

 
誠「どういうスタイルの料理人の世界に入ったのですか?」
 
T「大阪の上方スタイルの料理の世界。ついたのはこの世界の第一人者で、本当に凄い人。業界の人は必ず知っているような上方スタイルの料理の第一人者。そんな凄い人のもとで修行させてもらった。

上方スタイルの特徴は仕事は一流なんだけどお客さんへのサービスは型にはまったものではなく臨機応変のスタイル。それが凄く勉強になった。僕はその人の晩年の最後の弟子だったんだけど、ここでプロとは何かを徹底的に叩きこまれた。」
 
誠「その頃の何かエピソードがあれば教えてください。」
 
T「白魚ってあるでしょ。厨房でその白魚のかき揚げを作るんだけど、そのかき揚げは絶対に白くなくちゃならない。どういうことか言うと白魚って目の部分だけは黒いでしょ、この目の部分を残したままだと完全に白いかき揚げにならない。だから料理人皆で爪楊枝片手に一生懸命目を取るんだ。それこそ膨大な数の白魚の目を何時間もかけて一心不乱に取る。いい大人がそういうことを真剣にやる。妥協は一切許されない。そういうところにプロとはなんぞや?という部分を見たと思う。」

 
誠「生活はどんな感じだったんですか?」
 
T「完全な徒弟制度の世界で、6人部屋の寮で生活してた。みんなで銭湯いったり。それで5年間ほどきっちりと一通りのことを修行した。そしてこの時代のことが今の自分のクリエイティブ活動のバックボーンになっているとも思うんだけど、一流と呼ばれる仕事を若いうちにこの目で見て、そして日本の文化というものを体で感じることができた。これは自分でやってみないと絶対に得られないことなので本当に大きいと思う。」
 
誠「その料理の世界から音楽の世界へ転進したわけですよね、そのいきさつを教えてください。」
 
T「料理の世界はね、自分の全人生を差し出さなければ成し遂げられない世界。言うなれば朝、厨房に始まり、夜厨房に終わる。全てが厨房という場所で完結してしまうもの。

料理の世界はその中に無限のクリエイティビリティがあるんだけれども、正直、僕は他のもっと広い世界が見たくなってしまった。もっと色々な人に会ったりだとか、世界中を旅してみたりだとか。そういうことをしたいという欲求を抑えられなかった。これが爆発しちゃったんだよね。そういうこと。言うなれば僕の人生の第一章はこの料理人時代だったと思う。そして音楽で第2章が始まったわけです。」
 


誠「音楽を求めての人生第2章に入り、まずはどのようなアクションを起こされたのでしょうか。」
 
T「うーん、話すと凄く長くなってしまうんだけど。。。もうほんと何から喋ればわからないくらい。
とりあえず僕は一時ストリッパーの娘とつきあっていて、その娘と一緒に地方を転々とした。肩書きはマネージャーだったんだけど、まあ、ヒモだよね。完全にその娘に食わせてもらってた。地方地方の色々なブルースを感じる人びとに出会ったりしたのを憶えてる。

そんな時期があったかと思えば、キックボクシングをはじめて大阪のクラブのセキュリティ、まあ用心棒だよね。そういうことをして暮らしたりもしてた。その頃くらいにビースティボーイズとかそういう亜種のHIPHOP文化が出てきてDJをやってたりしてたんだけど、そうこうしているうちに音楽が盛り上がってきてね。大阪のガレージを借りてそこで音楽を作り出した。ここはもう色んな仲間が集まってもう完全に悪の巣窟。まんま映画ファイトクラブの世界。


映画ファイトクラブより

毎夜殴りあったり、音楽をつくったり。。。ここでは言えないような事件がたくさんあった。。。いい意味で悪名高かった。あいつらには手を出すなという扱いだった。それが25くらいの時。作品もインディーズで出したりしてた。」
 
誠「悪の巣窟…ファイトクラブ…想像できて恐ろしいです。(笑)」
 
T「そしたら何か盛り上がってきて、もうこれからは東京やろ!という感じでその音楽のメンバー全員でいきなり上京した。あんまり後先考えずに。その時期はフリーマーケットで金を稼いでたね。タイに行って仕入れてきたTシャツとか売ったり。けっこう売れるんだよね。かなり儲かった。それでタイでの生活がすごい気にいっちゃって、もう日本にいるよりタイにいるほうが多かった。物価も向こうのほうが安いし。でも、完全に本末転倒。音楽がやりたくて東京に来たのにそんなことばっかり2年くらいやってた。でもこのタイで今につながる重要な人と出会ったりもしたんだけど。」
 
誠「僕もタイには縁があって色々なエピソードがあったり、友達もいます。もの凄い金持ちの知り合いもいて昔大変お世話になったのを覚えています。」
 
T「あ、そうなんだ、もしかしたら友達同士つながってるのかも知れないな。でもまあ、そんな生活しているうちに音楽のほうはガタガタになっていっちゃったんだよね。バンドの仲間も食い詰めてゆくし、結局バンドは自然消滅。東京の現実に思いっきり直面した。それが27くらいの頃。生活は大久保でしてた。ここでは言えないようなことも生活のためにしてた時期。」
 
誠「その音楽がだめになってゆく頃はどんな日々だったんですか?」
 
T「もうボロボロ。精神的にも肉体的にも。俺は精神的にやられて電車に乗れなくなっちゃったり。大久保のマンションにひたすら篭ってた。そんなことを一年もやっていた。そしたらある日完全にクラッシュしちゃって呼吸の方法がわからなくなった。そんな極限状態に突入してた。」
 
誠「それでも音楽はあきらめなかったんですか?」
 
T「うん、そんな中でもやってた。なかば強迫観念で無理やり続けてた。音楽は自分の唯一のアイデンティー。これをなくしたら自分は完全に崩壊する。その思いひとつでやってた。だから楽しくもなんともない。この頃のは”音楽”ではなくて”音苦”。ほんとそう。」
 
誠「その頃はどういう音を出していたんですか?」
 
T「その頃はHIPHOPというよりもゴリゴリした音のロック系。そしてそれをやりながら知り合いのPOPバンドの手伝いとかもしてた。自分では興味のない音だったけど、金ももらえるし音楽業界に触れていられるという理由でやってた。でもこれが本当に自分にとってストレスでね、レコーディングの途中に逃げ出したり、ついには完全におかしくなってしまって病院とかにも通ったりした。この頃はもう人様に顔向けできないという思い、親への申し訳なさ、ありとあらゆる負の感情が渦巻いてた。そしてますます崩壊していった。」
 
誠「・・・・」
 
T「その後、結果としてどうしても療養が必要な状況まで行っちゃったんだよね。だからここで一度全て休んだ。でも結果的にこれが自分によって良かった。休みながら改めてゆっくりと自分はどういう音楽をやりたいのかを考えたんだ。そしてこの時作ったのが自分のデビュー曲になる"サソリの詩"。だからこの唄は自分の自己再生の第一歩。一生歌ってゆく唄だと思う。そしてラッキーにもこの曲がきっかけになって今の自分に全部つながるキーマンと出会うことになったんだ。」


サソリの詩 01年リリース 田中氏のデビュー曲
 



誠「田中さんはミュージシャンでもあり、映画の原作者でもありますよね。その経緯などを。」
 
T「サソリの詩がきっかけになって、自分でもまったく予測しなかったんだけど、いきなり映画に出ることになったんだ。サソリの詩によって出会った人々の誘いによって。

最初にやったのはマフィアで撃たれる役なんだけど。それから映画の世界にも足を突っ込むことになった。

それがまた面白くてね。子供の頃から映画好きだったし、映画の世界で出会う人が皆本当に凄くて。そうこうしているうちに、格闘技団体PRIDEが映画に参戦するという話が僕のとこに来て、どうだお前原作を書いてみないか、挑戦してみないかと言われて、断るのは僕の性分じゃないんで、やります!って言って書いたのが"殴者"。」

殴者

監督:須永秀明、原作:田中雄一郎、脚本:伴一彦

出演:玉木宏、水川あさみ、陣内孝則、虎牙光揮、ヴァンダレイ・シウバ、 桜庭和志、高山善広、クイントン・ジャクソン、ドン・フライ、クリスチャン・ストームズ他

発売・販売:
メディアファクトリー
「殴者」製作委員会

 
誠「文章の経験は今まであったんですか?」
 

T「いやよくわからないから、そういうことに詳しい友達にメソッドを聞いて書いてみた。ワードでバーっと。そしたら思ってた以上に反響が良くて一気に採用された。その流れがもとになって次の映画「ハブと拳骨」にもつながったんだ。」

ハブと拳骨 ・・・ 2007年公開予定 
主演:虎牙光揮、尚玄、宮崎あおい(正式表記は→旧字体の崎です)、石田えり 
監督:中井庸友 
原案、音楽、クリエイティブディレクター:田中雄一郎

 


誠「今回の最新作"STUPID SUPER STAR☆"を聴き、その底辺に常に怒りのようなエネルギーを感じるのですが田中さん自身は音楽にどのような思いをのせているのでしょうか。」

「STUPID SUPER STAR☆」

2006.4.26.発売 BBMC-1004 ¥3,000 (TAX IN)
CD+DVD /2枚組
CD :収録曲数11曲(シークレットトラック含)
DVD :収録曲数3曲

発売・販売元:株式会社BBMC
 

T「僕は不良、"良であらず"という言葉をよく使うのだけれども、それはこの現代社会にある"良い"とされるものが本当に"良"なのか??という強い疑念がもとになっているんだよね。

だから逆に"良"でない
"不良"でありたい。現代社会に対するアンチテーゼ。僕は正直言ってTVとかでバンバン流れるヒット曲みたいなものが嫌い。それを聴いて楽しむ人もいるわけだからそれはそれで決して認めないわけではないんだけど、でもそういうものが聴く人に怒りのエネルギーのように思われるのかも知れない。」

T「音楽や芸術というものは本当に奥深いものなんだけど、それを逆に隠れ蓑にしてしまう輩も多いと思う。芸術って言っておけば訳分からないことやってもいいだろう。みたいな。

でも俺はそういうのを一切否定したい。基本的にはわからなければ、伝わらなければ無意味だと思う。あと芸術を称してふたを開けてみれば外国人の真似でしかないとか、そういったものは全く無意味だと思う。だけど世の中ではそういうまがいもんが横行していてそれが"良"とされていたりする。そういうもに対してあくまでアンチテーゼを提示したい。」

 
誠「手厳しいお言葉ですが同じ表現を志すものとして心に突き刺さります。」
 
T「それとこれは俺の中にあることなんだけど、俺はもうね、"がっかり"することに飽き飽きしているんだよね。

世の中がっかりすることばかりでしょ。そういう思いが俺の中では爆発していて。。。だから音楽や表現の世界において俺はもう"がっかり"したくないんだ。だから一切妥協せず自分の信じたこと自分のやりたいことを全力でやるというこだわりがある。」
 
 
誠「確かにそういう全ての背景が作品に全部表れていますよね。田中さんが見てきた最悪のこと、最高のこと全てが凝縮されて今につながっているんだなあと思います。面白いです。」
 
T「今回のアルバムのタイトル"STUPID SUPER STAR☆"にもその思いが全て込められているんだ。俺のまわりは不良というか、なんというか本当バカなやつばっかりなんだけど、じゃあ、それが果たして本当に悪いことなのか?確かに快楽主義で刹那主義のやつらも多いんだけど、だけど皆凄くナイーブな内面を持っていたりする。そんなあいつらと、外面は"良"でありながら裏では本当に汚いことをする世間で認められている人々、どっちが良なのだろうと常に思う。」
 
誠「田中さんの詩の世界、特に"星型のピストル"なんかには色濃くアメリカ的なものへと批判というか、理不尽な世界への強烈な怒りというかそういうものが感じられるんですが、この現実世界というものに対する思いはどうでしょうか。」
 
T「俺はもう地球はそうとうダメになってしまったと思っているんだよね。もともと人間はただの猿というか、ちょっと頭のいい猿でしかなかったのに自分を滅ぼすような矛盾ばかりを繰り返してきている。そんなこの世界にすごくバカげたものを感じる。



だけれども正直に言って俺にはこの世界を変えようとか良くしようとかいう考えは一切ない。無理だと思ってる。パレスチナの問題にしても何にしても全てこの世界は修復不可能なまでに捻じ曲がってしまっていて戻れないところに来ている。

そういう世界の中、一筋の希望を見失わずに叫びつづけようという考えもあるのだろうけれど、はっきり言って俺にはない。そんなことよりもこの腐りきった現実の中で一体何が出来るのかを考える。
 
  例えば雨の中俺も調子悪い状態で歩いていて、おなかを空かせた子猫かなんか見つけたとする。そしたらかわいそうやなあと思ってミルクかなんか買ってやろうか、そんなくらいのことを考える。そんな自分の目で見えるミニマムな世界の平和。そういう価値観を作品に投影させたりしている。

このある意味、絶望の中の覚悟とでも言うかそういうものの考え方は、子供の頃見た世界と密接にリンクしているとも思う。子供の頃、酒が切れて苦しそうにしているホームレスのおっちゃんにワンカップの酒をあげるような。

奇麗事を言えばそのおっちゃんに、ちゃんと働けと諭したりするのが正しいこととされると思うんだけど、肌で感じてきた現実ではそんなことはやっぱり奇麗事。そんなことよりもホームレスのおっちゃんにまやかしでもいい一瞬の安堵を与えてあげたい。

それと世界平和も似たようなもので、世界を平和に!なんてただの現実を知らない人間の言葉だと思う。現実は同じ家族同士でも殺しあったりしてしまうような、それが人間という存在。

だから皆つながろう、世界を平和にともに手をつなごうなどという考えは理想としては理解できるけど、俺の中ではハッキリ言ってカルト宗教と一緒。つきあえない。
だから俺は世界のためというよりも、まずは初期衝動として自分のためにやる。その結果として世界のためになったり他人のためになったりすれば最高だけど決して最初からそこは求めていない。あくまで自分のためにやる。それが俺のこの作品を通しての世界への思い。無情と思われるかも知れないけど。」
 


誠「この捻じ曲がった現実社会で、生き方を見失い彷徨っている人が多いですが、そんな迷えるものたちへ自分の人生を力強く生き抜いている田中さんからの何かメッセージを頂きたいです。」
 
T「僕もそない立派な人間やないからね(笑)でも僕も自分のアイデンティーが崩壊してしまうような最悪の時期を通ってきたから思うんだけど、考えてみるとそのアイデンティーが崩壊してしまうような強迫観念とかは言い換えれば"自分の心の声"だったんだよね。やっぱりこの世の中で自分のことを大事にしてくれるのは自分しかいないわけでそんな自分の心の声に耳を傾けて自分で自分のことを大切にしてやらなあかんと思うね。

だから何をしていたって最悪の時期だってあるだろうし、先が見えないときもある、だけど断言するのは決してそこで終わることなんかないってこと。大切なのはその状況を認めるということ。そして自分の命のろうそくを自分の手でちゃんとかこってやること。

自分が見ている世界と現実の世界は違うということを認識することも大事だと思う。自分が住んでいる街の見慣れた景色だって、どこか今まで自分が入ったことのないお店のドアを開けるだけで、そこには自分の知らなかった世界、技術、考え方が広がっている。それくらいこの世界には新しいことが無限に転がっている。

自分のやりたいことなんて空からは決して降ってこないんで、自分から探しにゆくしかないと思う。運命にぶつかってゆくというか。

それは誰にだって出来ること。スタートラインは毎日あると思う。うまくいかなかったらまた違うドアを開ければいいだけのことだし。この世界は自由だ。年も関係ないし。魂は年をとらない。
 
誠「"魂は年をとらない"最高の言葉ですね。」
 
T「生きていたら、たまに魂が疲れることはあるだろうけど、だけどその魂を守るのも自分しかいない。でもそれは決して難しいことじゃない。自分の好きなことだけをやればいい。自分の欲でもなんでもいい。全ては自分次第。若い子らの中には、この世界にがっかりしているのも多いと思うんだけど。俺から言わせれば"いいかげん、がっかりするのに飽きようぜ"ということ。それくらいですかね。僕の経験の中から言えることは。」
 
 



誠「田中さんが率いる一匹狼レコーズレーベルについて少しお願いします。」

 

マネージャー堀中氏(以下、堀)

「もともとは螢音響というレーベル名だったんですけど、今回4年ぶりのアルバムリリースということで、心機一転一匹狼レコーズレーベルと改名しました。文字通り一匹狼があつまるレーベルです。自立したそれぞれのアーティストが集まって何かが生まれればと思っています。」

T「あとこれはまだまだシークレットですが、今はYMPDというムーブメントを画策中です。これはまた是非次の機会に。。。」

堀「羊がいくら集まっても羊の集団。私達はあくまで一匹狼を集めたいんです。羊は羊の集団にしかならないけど一匹狼は集めるとそれ以上のものになりえる。そういうベーステーマがあります。」

T「そう、一匹狼レコーズはクリエイティブ界の肉食獣です。とことん暴れます。」

 
 
誠「本日は貴重なお時間とお話しをどうもありがとうございました。」
 
 


>>>インタビューを終えて

最初に、出逢う前、僕はmailで氏と何回かやりとりをさせてもらってて、「君と俺はいずれ出逢うコトになるよ」と言われて、 実際、会ったときに「出逢えたね、」のヒトコト。 カッコいいコトを真っ直ぐにカッコよく言える、カッコいい大人。まじに痺れて、電流が身体中に流れて。

人から発信される言葉やアクションは、その人の「過去の重さ」だと僕は思っている、濃厚な過去を生きた人の現在の「生き様」は色や形になってその人を包む、田中氏から溢れる1000色の刺激にそれをはっきりと感じた、爆弾みたいな図太い感性、繊細な人間性、底の見えない切り札、隠し持った無数のジョーカー、同じ表現者として、先を歩むカッコいい不良から言葉の拳銃で右脳に風穴開けられた感じ。

こ洒落たカフェの道路沿いの一席で、歪むほど濃厚な時間を過ごすコトが出来て幸いでした。

田中氏が撮る映画や、書く小説、創り出す音や、言葉。
全てが一流の不良だから、限られた人だけが紡ぎ出せる「イマジネーション」をガンガンに感じながら、インスピレーションをもらい、自分も昇華させていきたい、1+1が2じゃなくて、100になる可能性を感じさせてもらえた夜と、一流のアウトローに感謝します、

「一流の不良ごっこしようぜ、」 まじで、かっこいいぜ。

 (誠一朗)  
http://pinkrock.gozaru.jp/easy-going/


田中雄一郎氏とお会いしてお話しを聞くうちに、ほどなくして、あるひとつのことに気がついた。それはストイックさ。表現、芸術というものに対する一途なまでのストイックさ。それが氏のワイルドな風貌、言動と重なって1つの魅力になり、まわりの人を惹きつけているのではないか。そんな気がする。

あくまでもプロとして自己満足に終わるまじという徹底したスタイルの背景に料理人時代が見え隠れし、それが大変興味深く感じられた。氏の音楽に根強く反映される”和”のテイスト。日本人としてのアイデンティティー。決して既成概念に捕らわれない音楽性。それら全てが田中氏のリアルな人生経験に裏打ちされたもの。言うなれば全てが真実。真実の表現者ここにあり。そう言ったら大袈裟だろうか。

 (フリスタ編集MIZK)



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