…超ド級の不良、田中雄一郎を君に!!
2006年5月、小雨振る青山。その邂逅は静かにそして熱く始まった。
相対するはミュージシャンであり映画「殴者」原作者、「ハブと拳骨」の原案、音楽、クリエイティブディレクターでもある"田中雄一郎"氏
氏の作品世界に触れ、その独特の世界観にかねてからリスペクトを寄せていたフリスタメンバーである若き詩人"誠一朗"をインタビュアーに据え今回の企画は実現した。
田中雄一郎氏の半生が全てここにと言っても過言ではないほどの濃い内容。そして思い。
この複雑な現実社会をあくまで自分の流儀で次々と突き抜いてゆく田中雄一郎氏。そんな超ド級の不良、田中雄一郎氏の生き様を君に!! (フリスタ編集MIZK) |
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誠「それで高校を卒業して板前になられたんですよね。」 |
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T「うん。友達のアニキが凄い料理人で憧れてたんだよね。だから本当は高校をすぐにでも辞めてその道に行きたかったんだけど、高校の時の先生が凄いいい人で引き止められた。高校は出ておいて損はないって。それで思いとどまって高校を出てからその道に入った。」
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誠「どういうスタイルの料理人の世界に入ったのですか?」 |
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T「大阪の上方スタイルの料理の世界。ついたのはこの世界の第一人者で、本当に凄い人。業界の人は必ず知っているような上方スタイルの料理の第一人者。そんな凄い人のもとで修行させてもらった。
上方スタイルの特徴は仕事は一流なんだけどお客さんへのサービスは型にはまったものではなく臨機応変のスタイル。それが凄く勉強になった。僕はその人の晩年の最後の弟子だったんだけど、ここでプロとは何かを徹底的に叩きこまれた。」 |
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誠「その頃の何かエピソードがあれば教えてください。」 |
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T「白魚ってあるでしょ。厨房でその白魚のかき揚げを作るんだけど、そのかき揚げは絶対に白くなくちゃならない。どういうことか言うと白魚って目の部分だけは黒いでしょ、この目の部分を残したままだと完全に白いかき揚げにならない。だから料理人皆で爪楊枝片手に一生懸命目を取るんだ。それこそ膨大な数の白魚の目を何時間もかけて一心不乱に取る。いい大人がそういうことを真剣にやる。妥協は一切許されない。そういうところにプロとはなんぞや?という部分を見たと思う。」
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誠「生活はどんな感じだったんですか?」 |
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T「完全な徒弟制度の世界で、6人部屋の寮で生活してた。みんなで銭湯いったり。それで5年間ほどきっちりと一通りのことを修行した。そしてこの時代のことが今の自分のクリエイティブ活動のバックボーンになっているとも思うんだけど、一流と呼ばれる仕事を若いうちにこの目で見て、そして日本の文化というものを体で感じることができた。これは自分でやってみないと絶対に得られないことなので本当に大きいと思う。」 |
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誠「その料理の世界から音楽の世界へ転進したわけですよね、そのいきさつを教えてください。」 |
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T「料理の世界はね、自分の全人生を差し出さなければ成し遂げられない世界。言うなれば朝、厨房に始まり、夜厨房に終わる。全てが厨房という場所で完結してしまうもの。
料理の世界はその中に無限のクリエイティビリティがあるんだけれども、正直、僕は他のもっと広い世界が見たくなってしまった。もっと色々な人に会ったりだとか、世界中を旅してみたりだとか。そういうことをしたいという欲求を抑えられなかった。これが爆発しちゃったんだよね。そういうこと。言うなれば僕の人生の第一章はこの料理人時代だったと思う。そして音楽で第2章が始まったわけです。」 |
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誠「音楽を求めての人生第2章に入り、まずはどのようなアクションを起こされたのでしょうか。」
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T「うーん、話すと凄く長くなってしまうんだけど。。。もうほんと何から喋ればわからないくらい。
とりあえず僕は一時ストリッパーの娘とつきあっていて、その娘と一緒に地方を転々とした。肩書きはマネージャーだったんだけど、まあ、ヒモだよね。完全にその娘に食わせてもらってた。地方地方の色々なブルースを感じる人びとに出会ったりしたのを憶えてる。
そんな時期があったかと思えば、キックボクシングをはじめて大阪のクラブのセキュリティ、まあ用心棒だよね。そういうことをして暮らしたりもしてた。その頃くらいにビースティボーイズとかそういう亜種のHIPHOP文化が出てきてDJをやってたりしてたんだけど、そうこうしているうちに音楽が盛り上がってきてね。大阪のガレージを借りてそこで音楽を作り出した。ここはもう色んな仲間が集まってもう完全に悪の巣窟。まんま映画ファイトクラブの世界。
映画ファイトクラブより
毎夜殴りあったり、音楽をつくったり。。。ここでは言えないような事件がたくさんあった。。。いい意味で悪名高かった。あいつらには手を出すなという扱いだった。それが25くらいの時。作品もインディーズで出したりしてた。」 |
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誠「悪の巣窟…ファイトクラブ…想像できて恐ろしいです。(笑)」 |
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T「そしたら何か盛り上がってきて、もうこれからは東京やろ!という感じでその音楽のメンバー全員でいきなり上京した。あんまり後先考えずに。その時期はフリーマーケットで金を稼いでたね。タイに行って仕入れてきたTシャツとか売ったり。けっこう売れるんだよね。かなり儲かった。それでタイでの生活がすごい気にいっちゃって、もう日本にいるよりタイにいるほうが多かった。物価も向こうのほうが安いし。でも、完全に本末転倒。音楽がやりたくて東京に来たのにそんなことばっかり2年くらいやってた。でもこのタイで今につながる重要な人と出会ったりもしたんだけど。」 |
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誠「僕もタイには縁があって色々なエピソードがあったり、友達もいます。もの凄い金持ちの知り合いもいて昔大変お世話になったのを覚えています。」 |
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T「あ、そうなんだ、もしかしたら友達同士つながってるのかも知れないな。でもまあ、そんな生活しているうちに音楽のほうはガタガタになっていっちゃったんだよね。バンドの仲間も食い詰めてゆくし、結局バンドは自然消滅。東京の現実に思いっきり直面した。それが27くらいの頃。生活は大久保でしてた。ここでは言えないようなことも生活のためにしてた時期。」 |
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誠「その音楽がだめになってゆく頃はどんな日々だったんですか?」 |
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T「もうボロボロ。精神的にも肉体的にも。俺は精神的にやられて電車に乗れなくなっちゃったり。大久保のマンションにひたすら篭ってた。そんなことを一年もやっていた。そしたらある日完全にクラッシュしちゃって呼吸の方法がわからなくなった。そんな極限状態に突入してた。」 |
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誠「それでも音楽はあきらめなかったんですか?」 |
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T「うん、そんな中でもやってた。なかば強迫観念で無理やり続けてた。音楽は自分の唯一のアイデンティー。これをなくしたら自分は完全に崩壊する。その思いひとつでやってた。だから楽しくもなんともない。この頃のは”音楽”ではなくて”音苦”。ほんとそう。」 |
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誠「その頃はどういう音を出していたんですか?」 |
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T「その頃はHIPHOPというよりもゴリゴリした音のロック系。そしてそれをやりながら知り合いのPOPバンドの手伝いとかもしてた。自分では興味のない音だったけど、金ももらえるし音楽業界に触れていられるという理由でやってた。でもこれが本当に自分にとってストレスでね、レコーディングの途中に逃げ出したり、ついには完全におかしくなってしまって病院とかにも通ったりした。この頃はもう人様に顔向けできないという思い、親への申し訳なさ、ありとあらゆる負の感情が渦巻いてた。そしてますます崩壊していった。」 |
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誠「・・・・」 |
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T「その後、結果としてどうしても療養が必要な状況まで行っちゃったんだよね。だからここで一度全て休んだ。でも結果的にこれが自分によって良かった。休みながら改めてゆっくりと自分はどういう音楽をやりたいのかを考えたんだ。そしてこの時作ったのが自分のデビュー曲になる"サソリの詩"。だからこの唄は自分の自己再生の第一歩。一生歌ってゆく唄だと思う。そしてラッキーにもこの曲がきっかけになって今の自分に全部つながるキーマンと出会うことになったんだ。」
サソリの詩 01年リリース 田中氏のデビュー曲
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誠「この捻じ曲がった現実社会で、生き方を見失い彷徨っている人が多いですが、そんな迷えるものたちへ自分の人生を力強く生き抜いている田中さんからの何かメッセージを頂きたいです。」 |
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T「僕もそない立派な人間やないからね(笑)でも僕も自分のアイデンティーが崩壊してしまうような最悪の時期を通ってきたから思うんだけど、考えてみるとそのアイデンティーが崩壊してしまうような強迫観念とかは言い換えれば"自分の心の声"だったんだよね。やっぱりこの世の中で自分のことを大事にしてくれるのは自分しかいないわけでそんな自分の心の声に耳を傾けて自分で自分のことを大切にしてやらなあかんと思うね。
だから何をしていたって最悪の時期だってあるだろうし、先が見えないときもある、だけど断言するのは決してそこで終わることなんかないってこと。大切なのはその状況を認めるということ。そして自分の命のろうそくを自分の手でちゃんとかこってやること。
自分が見ている世界と現実の世界は違うということを認識することも大事だと思う。自分が住んでいる街の見慣れた景色だって、どこか今まで自分が入ったことのないお店のドアを開けるだけで、そこには自分の知らなかった世界、技術、考え方が広がっている。それくらいこの世界には新しいことが無限に転がっている。
自分のやりたいことなんて空からは決して降ってこないんで、自分から探しにゆくしかないと思う。運命にぶつかってゆくというか。
それは誰にだって出来ること。スタートラインは毎日あると思う。うまくいかなかったらまた違うドアを開ければいいだけのことだし。この世界は自由だ。年も関係ないし。魂は年をとらない。」 |
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誠「"魂は年をとらない"最高の言葉ですね。」 |
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T「生きていたら、たまに魂が疲れることはあるだろうけど、だけどその魂を守るのも自分しかいない。でもそれは決して難しいことじゃない。自分の好きなことだけをやればいい。自分の欲でもなんでもいい。全ては自分次第。若い子らの中には、この世界にがっかりしているのも多いと思うんだけど。俺から言わせれば"いいかげん、がっかりするのに飽きようぜ"ということ。それくらいですかね。僕の経験の中から言えることは。」 |
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