千葉に”ロックウェルズ ROCKWELL'S”という伝説のロックバーがある。
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ROCKWELL'S
千葉県千葉市中央区富士見2−19−4 2F (千葉パルコの川を挟んだ向かい側)
「ロックウェルズ」
OPEN pm 6:00〜am2:00
毎月第一木曜日定休
TEL 043-227-6562
cocktail ¥700〜
bouebon ¥500〜
テーブルチャージ/サービス料なし! |
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サンクチュアリ出版で有名な自由人、高橋歩氏が1994年に始めた店がこのロックウェルズ。→高橋歩氏公式サイト http://ayumu.ch/
この高橋歩氏の著作「毎日が冒険」の世界に憧れ、そしてこの店に飛び込み、小中高大学と続けてきた野球人生を全て投げ打ってまで新たな自分の夢を追いかけたのが今回登場してくれたヨージロー氏(本名:冨恵洋次郎さん)だ。
現在は独立し広島にスワロウテイルというバーを持つ26歳の若き起業家。
経営の他にも大規模なイベント(ゲスト、・高橋歩 ・てんつくマン ・殴られ屋(晴留屋明)
・山北健一など)を手がけたり、広島に落とされた原爆の話しを後世に伝えようと語り部の活動なども精力的に行っている。
そんなヨージロー氏に今回は色々とお話しを伺ってみた。
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---ヨージローさんは小中高大学とかなり、期待された野球選手だったんですよね。。それがまたどうしてこの夜の世界に飛び込むことになったんですか? |
「一言で言うとあれですね。ずーっと厳しい野球の世界にいて、大学に行ってから知った高橋歩氏の世界観があまりに魅力的で・・・。もうそれまでの価値観が全部吹っ飛んじゃった。それでもうわずか半年で大学も辞め、高橋さんのお店”ロックウェルズ”で働かせてもらったんです。」
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---でも、野球でずっと期待されていたわけですから、そうとう反対があったんじゃないんですか? |
「それは、もう当然っていう感じで、親からは勘当されました。もう2度と家には帰ってくるなと。それはキツかったですね。それにまわりの友達からは道を外れたなっていう感じで冷めた目で見られました。何か誤解されたみたいで、夜の悪い世界にはまったみたいな。そういことじゃないのに(笑)」
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---親に勘当・・・ それは本当に大変なことじゃないですか。そこで、それでも突き進んだ理由というのは何だったんでしょうか。 |
「うーん、まあ、勘当されてもやる意味のある魅力的な世界だったってことですね。これからの自分の野球人人生とこの新しい世界の魅力を天秤にかけたら、やっぱりこっちの方が楽しかった。このバーという世界が。あと、もう前に突き進むしかなかったというか。戻れないというか(笑)。大学も辞めちゃったし。だから結果を出すために必死でやりました。幸いにも今は理解してくれて勘当はとけているんですけど(笑)」
bar ロックウェルにて
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---それからこのロックウェルズの店長として認められ、そこから故郷、広島に戻り自分のお店を出されたんですよね。 |
「はい。90万円というちっぽけな資本で強引にカウンターだけの小さなお店を出しました。でもやっぱり最初は大変でしたね。一日の売り上げが1500円なんて日もありました。今は色々な人のおかげで楽しくやらせてもらってます。」
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---僕から見るとヨージローさんはとても自由で楽しそうに見えるのですが、ヨージローさんにとっての"自由”とは何ですか? |
「難しいですね(笑)自由か・・・僕にとっての自由はルールありきのものですね。あくまでルールをもとに皆で感動を共有して自由を目指す。それが僕にとっての自由でしょうか。でもこういう感覚って実は野球をやっていた頃の考えがベースにあるんですよね。だから野球時代も僕にとってとても大切な経験だったってわけです。」
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---ヨージローさんのように自由にはばたきたいと思っている次の自由人たちにぜひメッセージを。 |
「本当にやりたいと思っていることなら、迷わず進むべきだと思いますね。この国でなら出来ます。生きるだけならどこかで一日8時間バイトするだけで充分クリアできる。ようは残りの16時間をどう使うのか?でも、16時間もあれば、結構自由じゃないですか??
僕自身最初この世界に飛び込んだ時には喰えなくて、カラオケ屋とかでバイトしてましたよ。」
ロックウェル ヤスさんと”ヤスさん曰く、ヨージローさんは本当にエネルギッシュで人に愛される人。”
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---今後の抱負、目標などはいかがでしょうか? |
「全国のバーをつなぐネットワークをつくりたいと思ってます。バーって情報の宝庫なんですよね。だからみんながもっとバーを気楽に使えるようなそんな情報のネットワークを。バーってまだまだ入りづらいところがあるじゃないですか。そういうのをクリアにしてゆきたいですね。そしてそのネットワークをもとにバスツアーを組むんです。その運転手はもちろん僕です(笑)」
「あと、将来的には僕は色々なことをやった上で最後は改めて”いちバーテンダー”として原点を忘れずに生きてゆきたいです。ただのバーテンダーとして色々な人の話を聞き、そして一緒に遊んでゆきたい。そう思っています。」
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---定期的に行われている、広島原爆の語り部活動のことについてお話しください。 |
「僕は広島を心から愛していて、そこで起きた悲劇を後世に伝える必要があると思っています。ビデオとか映像とかで伝える方法もあるのでしょうが、でも、やっぱり人間の口から聞くことが本当に伝わることだと思っていて、それで語り部のかたにお願いして自分の店で話してもらっています。若い世代の人も皆真剣に聞いてくれるのでこれは本当に必要なことなんだと思っています。」
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---最後になりますが表題の”僕が栓を開けたビンビールが、美味いって言われたいんですよ”という言葉にこめられた思いをお聞かせ願えますでしょうか.。
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「僕は、新人にBARTENDERとしての最初の指導をする時、ビンビールを2本出して、「1本開けて!」って言うんですよ。それで、もう1本は僕が開けて、カウンターに並べてみて、「悪いけど、このビンビール!俺の方が何倍も美味いよ!」って言うんですよ。
もちろん、ビンビールそのもの味じゃなくて、お客さんに対する、BARTENDERとしての優しさが違うよって意味なんですけどね。
BARTENDERとは BARの優しさ(TENDER)。
お酒に頼るのではなく音楽の選曲やタイミング、気の使い方や会話の内容、そしてなによりもお客さんを大事にするそんなバーテンダーでありたいというのが、”僕が栓を開けたビンビールが、美味いって言われたいんですよ”という言葉にこめられた思いなんです。」
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---本日は貴重なお時間をありがとうございました。今後もそのエネルギーで色々な人を元気にしてあげてください。 |
「はい、ありがとうございます(笑)」
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