会田さんは、フリーのカメラマンだ。
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会田法行 -
Noriyuki Aida -
1972年 横浜生まれ。
米ミズーリ大学ジャーナリズム学部報道写真学科卒業。
1996年 帰国後、朝日新聞社にてカメラマンとして従事。
2003年 同社退社後、フリーに。
2004年、仏ガンマ通信社と契約。自己のテーマをもとに精力的に世界を駆け巡る。
受賞歴
/DAYS国際フォトジャーナリズム大賞読者賞(2005年/2006年)
http://www.daysjapan.net/award/photo.html
/米学生報道写真チャンピオンシップ・組写真部門2位(1994年)など。
被爆者たちの写真を収めた『被爆者 60 年目のことば』(ポプラ社)を2005年7月に発売。
http://www.aida-photo.com |
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アメリカの大学で報道写真を学び、日本の大手新聞社でカメラマンとして活動。
そして独立。
現在はフランスのガンマ通信と契約を結ぶとともに自らのテーマを追い続けている。
昨年は原爆被爆者の今を追った「被爆者60年目のことば」
(ポプラ社)を出版、今夏にはその作品展も予定されている。
「最初アメリカに渡ったのは、ボクシングがやりたかったからなんです。
それとジャーナリズムにも興味があった。
それで向こうの大学の報道学部に入りました。
1990年、湾岸戦争の時です。
写真をやりだしたのは、大学3年になってからですね。
そこで多くの人達に影響を受け、この道を選びました。」
在学中にインターンシップで新聞社へ。
そこから報道カメラマンとしての第一歩が始まる。
卒業後、帰国して日本の新聞社に就職。
「人生の四分の一をアメリカで過して、今、日本に
帰らないと日本人としてのアイデンティティーを
見失ってしまうと思いました。
それで日本の新聞社に入って7年。
仕事は充実していましたよ。
ただやっぱり組織ですから。
どんなに情熱があっても、ある年齢になったらカメラを
置いて、違ったポジションに就かなければならない場合も
あるわけで・・・
結論として、フリーの道を選びました。」
それ以来、イスラエルやタイなど世界各地を飛び回る生活だ。
2003-gazza
「フリーになった以上、行動あるのみ。
世界は動いているし、僕を待ってはくれませんから。
力強い写真っていうのは、写っている人が力強いんです。
被写体の強さがプラスになって、いい写真が生まれるんですね。
ただ、人の不幸を待ち望むようにはなりたくないです。」
2004-baghdad
情熱的に被写体と向い合う会田さん。
仕事に対する姿勢は一貫している。
「絶対自分のスタイルは曲げたくない。
理想は、その場にとけ込んで空気になりつつ撮りたいですね。」
最後に会田さんからのメッセージを。
「紛争地を歩いていても、バックパッカーなどの日本人に会う
ことが多々あります。
自分の経験のため戦車を見たとか、ご馳走になったとか、
嬉しそうに話してくれます。
でもね、そこでは人々が生死の境界線上で一生懸命生きていて、
パン一切れだって大事なものなんだということを考えて欲しい。
自分の経験を増やすことは大事だけれど、相手を思いやり、
色んな面から物事を見て欲しいですね。
私達は平和な日本を誇りにすべきですよ。
『平和ボケなんで』なんて恥じる必要はない。
日本人は日本人なりに家族や友人など周りに優しく、
出来ることから始めればいい。
そんな気持ちが平和に繋がっていくのでは。」
日本人である事を意識しつつ、その枠を越えて世界を相手に
勝負する会田さん。
今年はタイのエイズ孤児施設にいる子供たちの写真集を出したい
という。
会田さんのレンズを通して、これからもこの世の真実を
我々に伝え続けて欲しい。
Street
of Baghdad―バグダッド 路上の少年たち
新泉社 ; ISBN: 4787704117 ; (2004/08)
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