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  2007/7/7


 LIFE.25

 " 高沖 清乃さん " 株式会社ポーラスタァ 代表取締役 社長

by フリスタ編集長 MIZK


■プロフィール

高沖清乃さん

1974年生まれ。出身地長野県。恋愛系IT企業 株式会社ポーラスタァ 代表取締役社長。

株式会社ポーラスタァ

〒103-0013
東京都中央区日本橋人形町2-24-5 日本橋澤井ビル1F
TEL:03-5651-7391 /FAX:03-5651-7392

WEBサイト⇒
 http://polst.jp


◆◆◆◆◆ 


自由型の人生100vol.25、今回は恋愛系IT企業”ポーラスタァ”社長の高沖清乃さんを皆さんに御紹介します。


IT系の企業で女性社長と言うと皆さん、どんな方を想像しますか?いい大学を出ていい会社に就職してたくさんのセレブな人々と交流して…

もしそういうイメージで高沖さんのことを捉えると、これからするお話しに驚くかも知れません。何せ高沖さんは、大学中退、フリーター、派遣社員、幾多の転職、離婚、鬱病などなど、とても真っ直ぐとは言えない困難な道のりの中ただひたすら上を向いて歩いてきた人ですから…

そんなポーラスタァ社長の高沖清乃さんの自由型なライフストーリー。
きっとあなたに勇気をあたえると思います。

是非!!


<編集長MIZK>



左/高沖さん 右/パートナーである取締役 増田編集長 日本橋ポーラスタァ事務所にて


***

「こんにちは本日はよろしくお願いします。」

「よろしくお願いします。」

「まずは出身地についてお聞かせ願えますか?」

「長野県の小さな町です。そこで生まれ高校生まで暮らしました。」

「どんな町だったんですか?」

「生まれた頃は電車も高速も東京につながっていない凄い田舎でしたね。外に出てゆこうとする人がいない町でしたね。」

「その町を出るきっかけというのは。」

「大学ですね。でも最初は埼玉にある大学に行ったんですけど、そこは半年で辞めて(笑)」

「それはまたどうして?」

「高校生の頃から好きだった人についてゆく形でその大学に行ったんですけど、やっぱりそんな安易な気持ちの学生生活は続かなかった!(笑)何か違うなあ、違うなあと思いまして。それで翌年、改めて大学を受けなおして千葉大学へと進みました。」

「どんな学生生活だったのですか?」

「中学生くらいの頃に親が離婚していまして、それが故か家が貧乏で。。なので学費や生活費を稼ぐためにひたすらバイトバイトの日々でした。家庭教師とか塾の講師とか4つくらいかけ持ちでやっていました。今思うと、学生らしいことはあまりしていない日々でしたね。」

「忙しい日々で大学は無事卒業できたのですか?」

「いえ、それが私、3年の時に辞めちゃうんです。」

「ええ??そんなに苦労して入った大学なのに?それはまたどうして?」

「私は教育学部にいたので4年になると教育実習を受けなければならないんですが、それを受けると時間がとられすぎてバイトが出来なくなる状態になったんです。それは私にとって本当に死活問題。その時点で取るべき単位も全て取得していたし、もうここでは学ぶことはない!と思って辞めちゃったんです。」

「い、潔いですね(笑)」

「はい。だから私は大学中退です。でもこのことはしばらく親には内緒にしていました。さすがに悪くて。(笑)」




「では、そこからが実社会への第一歩なんですね。」

「はい。在学中の頃からやっていたモスバーガーで契約社員として働いていました。そこが私の社会でのスタート地点でしたね。」

「モスバーガーではどのくらいの期間働いていたのですか?」

「学生時代も含めると3年くらいですかね。学校を辞めてからは一年くらい働いていました。22歳くらいの頃ですね。従業員のマネジメントとかもやっていたので大変でした。」

「そこを辞められて次の職場にうつった動機とかは覚えていますか?」

「ある日、自分の手には何もないんだということを凄く感じてしまったんですよね。大学も中退しちゃったし、わたしは何も出来ない存在なんだなあと。それがたまらなくて、ある日偶然目にしたAPPLEコンピューターのサポートセンターの仕事に応募したんです。コンピューターとかそういうスキルがあればこれからはいいかなと思って。ここで学んだことが今の私のバックボーンになっていますね。感謝してます。

そしてここでコンピューターのスキルを身につけて、次は派遣社員の立場として職場を移ってゆくわけです。」

「今、話題の派遣ですね。何か高沖さんは世の中にある全ての労働形態を通ってきていますね(笑)」

「はい(笑)。」

「派遣のときの印象的なエピソードなどあれば教えてください。」

「同じ職場にいる、同い年くらいの新卒社員さんとの待遇の差にとても悔しい思いをしたのを覚えてます。私も大学を出ていれば、今はどうなっていたんだろう?とか凄く考えました。凄く深く考え込んじゃいましたね。うちが貧乏だったからこんなことになってしまったんだろうか?とか…色々マイナスの感情がありましたね。

ここではじめて大学をやめてしまったことの現実を感じましたね。凄いショックでした。」

「そのショッキングな現実とはどう折り合いをつけたのですか?」

「色々考えましたけど、でも、今の自分の状態はまぎれもなく事実ですから、そのありのままの自分を一種、あきらめにも近い形で受け入れようと思ったのを覚えています。今の自分の立ち位置でベストを尽くしかない。そう思って生きていましたね。どうせいつか結婚するからいいんだ!みたいな逃げ道もありましたし(笑)」


ポーラスタァオフィスにて。

ちなみに… 『ポーラスタァ』とは、北極星のこと。
地図がなくとも、日が沈んでしまっても、ポーラスタァさえ見失わなければ、 かならず陸にたどり着くことができるはず。“大切なことだけは、見失っちゃダメ”そんな願いをこめたそう。


「高沖さんの流転人生はまだまだ終わらずにさらに続くんですよね。」

「はい。その後、私結婚してしばらく専業主婦していたんですけど、これがどうにも水が合わなくて、何かしたくてしたくて仕方がない。何か作っていないと落ちつかないんですよね。そんなエネルギーがたまりにたまって、たまたま縁があった知人の紹介でリクルートという会社に派遣で入りました。

そして、ここで私はとても重要なことに出会うんです。」

「重要なこと?」

「はい。お恥ずかしい話しなんですが、リクルートで働いてみて、私はじめて”働く”ことのなんたるかを知ったんです。それまでの私にとって”働く”ということは生きるための金銭をえるためであり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

でも、リクルートの中にいた人々はそんな私とは違い、仕事を通して人の役に、社会の役にたとうと真剣に考えていました。わたしそれを見て素直に”凄くない?”と思ったんですよね。そしてそれまでの、日銭を稼ぐことしかなかった私は大変ショックを受けました。

働くって尊いことなんだあーって。27くらいの時ですね。いやはや、遅いですねー(笑)」




「このリクルートでの経験は高沖さんにとってターニングポイントですよね。」

「そうですね。色々な人に色々なことを教わり、いいエネルギーをもらいましたね。そして私も自分が本当にやりたいことにチャレンジしてもいいんだと思わされました。それまでは、自分は中退であるとか、結婚してるとか、新卒じゃないとか、デメリットばかりを考えて立ちすくんでいましたが、そんなこと関係ないんだということを気づかされました。

そしてここから今の私にもつながる、昔からずっとやってみたかった編集を学べる、小さな出版社へと職場を移しました。未経験だったんですけど。」

「出版関係は普通、新卒しかとらないですよね。よく採用されましたね。」

「私自身、採用されるとは思っていなかったんですけど、ありがたいことに採用してくれました。専門誌の年間購読誌の会社でした。

そして私、ここで生まれて初めて”正社員”というものになれたんです。28才にして初めて!嬉しかったー。」

「じゃあ、さぞや充実した日々だったんではないですか?」

「そうなんですけどね。。。ただこの時期はプライベートで色々ありまして・・・結果、私、鬱病になってしまったんですよね。完治するのに一年くらいかかったかな。仕事とプライベートの問題とで板ばさみになってしまって・・・病院に行って薬をもらったりしてましたね。」

「その状況を打開されて今にいたるわけですよね。」

「はい。自分の周りの現実をちゃんと受け入れて打開しました。そして、さらに自分のやりたい仕事が出来る、オールアバウトという会社に移りました。オールアバウトは本当に理念の素晴らしい会社で、私はプロデューサー職をやらせて頂きました。」

オールアバウト WEBサイト⇒ 
http://allabout.co.jp/

「ハンバーガー屋さんから始まり、本当、見事なまでに登りましたね。職業版わらしべ長者状態ですね(笑)

そして最後に現在のポーラスタァ、起業につながるわけですね。ポーラスタァ起業の経緯を教えてください。」


「組織にいるといいことも多いんですけど、でも半面、それはどうかな?と思えることがやっぱりあるんですよね。当然なんですけど、自分の理想どおりにいかない。そこで仕事とは、そういうもんだと思う方法もあるとは思うんですが、でも私は自分の理想を追い求めたかったんですね。

そのためには行動して自分でやってみるしかないなと思い、ポーラスタァ起業へとなりました。そしてちょうど時期を同じくして離婚も経験しました。」

「逃げたり、自分をごまかすほうが生きる上では当然楽なんですが、それを一切しないのはただただ凄いなあと思います。」

「私は本音は安定志向なんですけどね。変ですね(笑)。不思議ですね。」


ポーラスタァの看板とともに

「起業は大変でしたか?」

「皆さん、よく頑張りましたね。大変だったでしょう?とおっしゃるんですけど、私にとっては今までの転職のほうが大変でした。正直に言って起業するほうが楽チンでした(笑)

けっこう色んなことを楽に考えていて、おっきな会社だったら維持も大変だと思いますけど、小さな会社だったらそんなに、頑張らなくても生きていけるかなー大丈夫かなーみたいな(笑)」

「転職より起業のほうがラクちんだった!何かいい響きですね。」

「起業してからは、どんどん楽になる一方といいましょうか。ほんと楽ちんです。会社員には向き不向きがありますからね。会社に行っていて大変だーという人は思い切って飛び出してみることをおすすめします。」


ポーラスタァの発展を祈り、近くの神社にて

「高沖さんが生きるうえで大事にしていることは?」

「やっぱり正直でいることですね。いい自分もダメな自分も正直に。それにつきますね。」

「最後に恋愛系企業というネーミングについてお聞かせください。」

「私は恋愛している時のあの何でも出来ちゃうような感覚をとても大事にして生きてゆきたいんです。そういうプラスのモチベーションで働く時に人は成長すると思うんですね。だから恋愛系企業なんです。たまに、恋愛系企業って何ですか?出会い系の一種ですか?とかたまに言われますがまったく違います(笑)

色々ありましたが、わたしはきちんと恋愛をしてきたと思っているんですね。それは私にとってとても大切なことでウリでもあるんです。そして恋愛をして誰かを幸せにしたいと思う気持ちをみんなに忘れないでいて欲しい。そういうことをポーラスタァという会社を通して伝えてゆきたいんです。」

「最後になりますが今後のビジョンなど。」

「恋愛系企業というものをもっと分かりやすく伝える媒体をリリース予定です。リリース情報などはポーラスタァWEBにて御報告しますので是非チェックしてみてください。」

http://polst.jp

「本日はありがとうございました。」



ポーラスタァ事務所のある日本橋人形町の通りにて。

 




2007-7-7 by MIZK


***

>>>インタビューを終えて

自由型の人生100をやっていると毎回そうなんだけど、改めて人って色々あるなあとか、その複雑さに驚かされる。

今回の高沖さんも、まさかここまで色々あるとは。。。まいった。

高沖さんの実社会でのスタート地点はまぎれもなく大学中退であり、ハンバーガー屋さんの店員であった。そのスタート地点から高沖さんは、時に挫折しながらも、ただ一歩一歩歩いてきた。そして今は楽しいという笑顔がある。

その時間、10年。

どんな場所からだろうと、歩みを止めなければきっと自分で満足できる所にたどり着ける。その事実に僕は凄く勇気をもらえる。

皆さんはいかがでしょうか。




<フリスタ編集長MIZK>



***




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