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 LIFE.20 奇祭評論家 "杉岡幸徳" さん


2007/3/1 インタビュー by 雑魚ゾンビ 


  ■プロフィール
杉岡 幸徳 (すぎおか こうとく)






世界で唯一の奇祭評論家、エッセイスト。 兵庫県生まれ。 東京外国語大学ドイツ語学科修士課程に在学中、 ドラッグ詩人について書いた論文が騒動となり、学籍を離脱、世界放浪の旅に出かけ、その後執筆活動に入る(後にこの論文『ゲオルク・トラークル、詩人の誕生』として出版される)。

2000年、旅行雑誌『のまど』に書いた旅行エッセイ「ラオスの女性は美しいか?」で優秀賞を獲得。


その後、奇妙な祭りに強く魅かれ、取材成果を雑誌・書籍などに発表。 現在、「Link Club Newsletter」、「サイゾー」、「怪」、「フェネック」でエッセイを連載中。Ameba News に定期寄稿。近日公開のアメリカ映画、 'I Am A Curious Gaijin'にも出演予定。その他テレビやラジオでもレポーター、コメンテーターとしても活躍中。

著作に『日本トンデモ祭』 『日帰りでいく関東の祭り』『ゲオルク・トラークル、詩人の誕生』 などがある。


杉岡さんホームページ→http://www.sugikoto.com/


  ◆◆◆◆◆

今回登場して頂くのは世界で唯一の奇祭評論家、杉岡幸徳さん。

詳細は↓をクリック!!
日本トンデモ祭―珍祭・奇祭きてれつガイド

杉岡 幸徳 (著)

出版社: 美術出版社

日本人の魂(ソウル)がここにある。世界唯一の奇祭評論家が綴る、珍祭・奇祭ウルトラガイド。

奇祭というのは、文字通り奇妙な祭りのことで、男性の性器をニューハーフの人々が担いで練り歩くものや、不気味なメイクをした男が「笑え笑え〜」と無理やり人々を笑わせていくものまで、様々である。

殴られ屋、ナンパ代行屋、夜景評論家・・・。世の中には様々な職業があるが、奇祭評論家の氏は、どのようなきっかけで現在の仕事にたどり着いたのか?そんなこんなが気になってmixiからラブコールを送ると、氏は快く取材の申し出を受け入れてくれた。

左/雑魚ゾンビ 右/
杉岡 幸徳氏


***

雑魚ゾンビ「今日はよろしくお願いします。」

杉岡さん「よろしくお願いします。」

雑魚ゾンビ「早速ですが、今の仕事につかれた経緯を聞かせてください。」

杉岡さん「6年ぐらい前、旅行雑誌でフリーライターをやっていたのですが、その時祭りのルポをする企画があって、色々な祭りを見ているうちに、奇妙な祭りにも出くわし、
それで、こういうのばっか集めたらおもしろいのじゃないかと・・・」


雑魚ゾンビ「奇祭評論家の誕生ですね。」

杉岡さん「そうです。奇祭評論家という言葉もボクが作りました。フリーライターは売りがないとなかなか食べていくのが難しいですから」

雑魚ゾンビ「杉岡さんの文章を読むと、単なる奇祭の評論というよりも、エッセイのような、読みやすく面白みのある文体のように感じられるのですが・・・」

杉岡さん「ボクは関西出身で、元々人を楽しませたいという芸人志向もあるんです。奇祭というフィルターを通じて、フィクションを書いているような、そんな気持ちですね。」

雑魚ゾンビ「それにしても、ホームページにもあるように、日本には実にエロイお祭りが あるんですね(笑)」

杉岡さん「そうですね。日本は多神教ですから神様も多い。豊作を祈願するために、男女の営みをモチーフに上げている例も多いですね」

雑魚ゾンビ「日本って、モザイクあったり性に対してオープンでは無いイメージがありま すけど、昔はもっと開放的だったんですね」

杉岡さん「一般に知られている伝統とか文化とかそういうのはごく一部であって、全国には、かなまら祭りみたいなのが古くから多数存在するんです。このお祭りは、見物客の40%が外国人なんですよ。そんなに世界で注目されているのに、本にして表したのはボクが初めてらしいです。」


雑魚ゾンビ「40%!世界でそんなに注目されているのに、もったいない・・・」

杉岡さん「あまり紹介されていないですが、今でもそういう伝統を、町内会のおじいちゃんとかが、頑張って継続させているわけです。」

雑魚ゾンビ「少子化の日本にとっては、打ってつけの試みだと思いますねえ。」

杉岡さん「そうですね。面白い統計があって、性に対する取締りやタブー化が進むほど、暴力犯罪が増すという傾向もあるみたいですよ。」

雑魚ゾンビ「確かに、コペンハーゲンとか街にエロイ銅像がいっぱいあるんですが、ものすごく平和ですしね。それに、全然イヤらしくない!」

杉岡さん「昔の日本も多分、もっとオープンで開放的だったのではないでしょうか。」





渋谷にて

雑魚ゾンビ「話は変わりますが、奇祭評論家として活動するためにまずホームページを立ち上げられたとか?」

杉岡さん「そうです。2001年にパソコン買って、その一ヵ月後にワードで個人のページを作ったんですよ。」

雑魚ゾンビ「現在、テレビやラジオのコメンテーターもされてますが、ホームページ経由が多いのですか?」

杉岡さん「そうですね。気がついたら、ヤフーのカテゴリにも登録されていますし・・・、あれよあれよと言う間に仕事が来て、今に至るという感じですかね。」

雑魚ゾンビ「個人のページというのは、どのようなページだったんですか?」

杉岡さん「普通に、自己紹介とかそんな感じです。何でもいいから人に焼き付けたいという気持ちは当時から強い方でしたね。今、こういう仕事をやっていますが、奇祭評論家というのも仮の姿だと思っています。今後は、小説なんかも書いてみたいですね。」

 
◆◆◆


奇祭評論家は仮の姿・・・。小説家になりたい、写真家になりたい、映画監督になりたい・・・。
世の中にはクリエイターと呼ばれる仕事に就きたい数多くの人々がいる。普通に、純粋に夢を追い求めて、そのまま食べていけるようになる人は一握りだ。夢破れ、中々踏ん切りのつかないまま、悶々とした現実の日々を送っている人々も多いのではないだろうか。 (実際、ボクもそうである。)

そんな中、「奇祭」というニッチな部分に目をつけ、着々と活動の範囲を広げていく氏の生き方は、新たな巧妙を見出す活路のように思える。実際、氏は執筆活動のみならず、テレビ・ラジオのコメンテーター、レポーター、近日にはアメリカ映画で俳優を務めるまでの多彩な活動ぶりである。

◆◆◆





雑魚ゾンビ「少年時代はどんな感じだったのですか?ちなみに、ボクは札幌随一のガリ勉でした(笑)」

杉岡さん「ボクも家が厳しかったせいか、勉強は良くしていましたね。本や詩が好きで、自分でも詩を書いたり、作曲なんかをしていたこともありました。」

雑魚ゾンビ「ボクも暗い詩ばっか、書いていましたねえ(笑)当時から、作家になりたかったのですか?」

杉岡さん「漠然と、物書きになりたいという気持ちはあったのですが、自分の作品を人に見せるようなことは、ありませんでした。」

雑魚ゾンビ「大学の修士論文で、ゲオルク・トラークルという詩人について書かれていますが、当時から、この詩人の影響を受けていたのですか?」







杉岡さん「そうですね。トラークルの詩を原文のまま読みたいという気持ちがあって、ドイツ語に興味を持ったんですよ。それで、外大へ行きました。」


雑魚ゾンビ「大学院へ行かれていますが、学者になろうと思っていたのですか?」


杉岡さん「全然です(笑)モラトリアムを満喫していた時代ですね。院にいる時から、自分は学者には向いていない人間だと感じるようになったんですよ」

雑魚ゾンビ「と言いますと?」

杉岡さん「文系の教授の中には、そういう職についておきながら、一冊も本を書かない人がいるんですよ。面倒くさいんでしょうね。それに、理系なら実験をやって成果を 論文に書けばいいんですが、文系の論文なんて、正直、何が良くて何が悪いのか わからないみたいなところがあって、教授の好き嫌いもありますからね。」


雑魚ゾンビ「教授職争奪ゲームですか。ボクの大学時代の教授にもいましたね。たまに本を書くんですが、そっから丸々テストに出すんですよ。だから、みんなテスト前に5000円とかする、高い本を無理やり買うハメに・・・。あと、何を教えたいのかよくわからない人もいました(笑)」

杉岡さん「ボクが目にした教授の世界は、100のインプットで1のアウトプットしか生み出せない世界でした。ボクはその逆、1のインプットで100の物事を生み出したかった。」

雑魚ゾンビ「研究者より、表現者になりたかったわけですね?」

杉岡さん「そうです。でも大学に8年もいたのですが、そういう漠然とした物書きへの憧れはあったけど、具体的な展望が無かった。ただ、4年の時、みんな当たり前のよう に就職活動をしていて、ボクはうらやましいなと思っていましたね。」

雑魚ゾンビ「ボクの場合はそういう気持ちもあったんですが、不安の方が大きかったですね。大学3年になると、それまで遊びまくってたヤツらが急にスーツ着て、自己分析だの、SPIだのよくわからない言葉を発し始めて、みんなー!俺を置いてかないでー!って、思っちゃいましたね。」

杉岡さん「何とかなるだろぐらいの、根拠の無い自信はありましたね。」

雑魚ゾンビ「そんな中、騒動の引き金になる修士論文を発表するわけですね。」

杉岡さん「トラークルは、いわばドラッグ詩人だったわけですが、そこに言及したわけです。題材自体もドラッグと芸術というタブーなんですが、論文の形式を全く無視した
ものだったんですよ。」

雑魚ゾンビ「と言いますと・・・?」

杉岡さん「論文って、普通、はじめに→考察→おわりに、みたいな流れがありますよね?ああいうのを、全く無視して、一つの作品として書いたんです。構想は一年くらいかけて、書くときは二週間くらいで一気に仕上げました。」






雑魚ゾンビ「今、その論文が出版されて大反響を呼んでいますが、正直な話、当時はかなり危険な賭けだったんじゃないでしょうか?」

杉岡さん「教授が認めないだろうってのは、十重にわかっていました(笑)ただ、自分は表現者として自分の書きたいものを書きたかった。自分の感情を押し殺してまで、博士過程に行くためだけの、安易な論文を書きたくなかった。」

雑魚ゾンビ「すごい・・・」

杉岡さん「と、まあ、カッコつけてみても、論文が酷評された時はうんざりしましたね。『これは論文ではない』とか、『アカデミズムに対する攻撃か?』と言われたり、一番ひどかったのは、『君は院にいるのはもったいない人間だから・・・』と言われたことですかね。」

雑魚ゾンビ「それはひどい。遠まわしな否定。タチが悪いですね。院を出た後は、どうされたのですか?」

杉岡さん「就職活動はしていなかったし、お金も全然無かった。だから、毎日図書館へ行ってむさぼるように本を読んでいましたね。文学から編み物の本まで読み漁りました。後は、公園に行ってハトのカンサツ・・・」

雑魚ゾンビ「無職になると、どうしてか人は公園へ行っちゃいますよね。ハトの中にもやたらにデブなやつがいて、なんで、オマエは野良ハトなのに、そんなにデブなんだ?って一人ツッコミ入れたり・・・」

杉岡さん「あまり知られていないですが、町田康さんや、故青木雄二さんもそういう、むくわれない図書館時代を過ごしていたようですよ。それが、後々の源になるわけですが・・・」

雑魚ゾンビ「そんな時代、たとえば図書館に通う道で、通勤ラッシュのサラリーマンとか見てどう、思われましたか?」

杉岡さん「やっぱり、うらやましいなと思ってましたね(笑)不安は無かったわけではないですが、自分はそういう生き方はやりたくないし、できないし・・・とか。根底にそういう楽観的な部分があったからこそ、今があるのだと思います。」

雑魚ゾンビ「その後、フリーライターになられるわけですが、これはどういった経緯で?」

杉岡さん「当時は、お金もコネも無かったし、どうやったら物書きになれるのかなんて全くわからなかった。だから、とりあえず、学生時代に旅した話とかを書いては、旅行系の出版社に原稿を送ったり、電話をかけて企画を売り込んだりしていましたね。ああいう業界の人は、意外と話だけでも聞いてくれるんですよ。それで、活動を続けていって、徐々に徐々にご飯が食べれるようになったわけです。」





 


 

◆◆◆

1994年に「パルプ・フィクション」でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したクエンティン・タランティーノ。彼は、処女作「レザボア。ドッグス」の脚本をハリウッド中の映画会社に送りつけた。毎日の食事にも困るほどの貧しさで、時には着払いで送りつけたこともあったらしい。

また、映画「デート・ウィズ・ドリュー」の監督、ブライアン・ハーズリンガーは、クイズ番組の優勝賞金で得た1100ドルの賞金を元手に映画を製作し、成功を収めた。製作直前の彼の貯金残高は、わずか300円程であったらしい。今やメジャーとなった彼らににだって、杉岡氏のような「不遇の図書館時代」があったはず。大切なのは、そこで卑屈になったり、周りと比較してネガティブにならないこと。ひたすら前を見つめて行動すること。単純だが、世の中そういう風に生きていった方が紛れも無く得である

・・・そんな風に感じた。

◆◆◆





雑魚ゾンビ「クリエイターとか、表現者になりたいという人がたくさんいますが、何が必 要だと思いますか?」

杉岡さん「先ほども言いましたが、根底にあるポジティブさ。それと、狂気ですかね。」

雑魚ゾンビ「狂気ですか?」

杉岡さん「そうです。たとえば、有名な話でゴッホは37歳でこの世を去っているわけですが、生前売れた作品はたった一枚で、たしか2000円とかそんなもんです。彼は炭鉱夫やったり、弟に食わせてもらいながら絵を描き続けるわけですが、そういう暮らしを続ける勇気があるかどうか。尋常じゃない狂気があるかどうか。」



雑魚ゾンビ「なるほど・・・」 

杉岡さん「成功への黄金率なんかは無いし、成功者の真似事をしても必ずしも成功するわけではない。生きて破滅しても別にいいんじゃないかぐらいの気持ちが重要だと思います。」

雑魚ゾンビ「そういう生き方をしてる人って、ものすごい少ないですよね」

杉岡さん「そうですね。働きアリの話があって、100匹アリがいると、必ず3匹くらいはロクに働きもせずフラフラしているヤツがいる。で、その3匹を排除して97匹になっても、またそのうち3匹ぐらいは、フラフラしちゃうヤツがいるというのを聞いたことがあります。

世の中って、それでバランスを保っているというか、そういう仕組みなんだと・・・」

雑魚ゾンビ「一番悲惨なのは、97匹の中で不満爆発していながら、なかなか3匹に紛れ込めないヤツですね。」

杉岡さん「大切なのは、そこに踏み込む勇気だと思います。そして、頭で考えるだけで無く、カラダを動かし行動すること。」




 
◆◆◆



ボクの話になるがバーテンダーをしている時、サラリーマンのお客に「生まれ変わったら俺もやってみたいなあ・・・」という言葉を良くかけられた。そういう時、決まってボクは「明日からやればいいじゃないですかぁ!」と何も考えずに言ってしまっていた。だが、実際サラリーマンの暮らしをしているとそんな風にも行かないことがわかってくる。安定した収入、健康保険や年金・・・多少の人間関係さえ我慢すれば、そんな見返りが待っているからだ。

だがしかし、それでも本当に自分で何かを始めたいタイプの人間なら、いつかその世界に勇気を持って飛び込んでいくしかない。底知れぬ不安や恐怖が待ち受けているのかもしれないが、そんな日々を乗り越えていくことが、実りある豊かな人生を形成するものだとボクは信じている。

奇祭評論家という、教科書にも13歳のハローワークにも出てこない職業を自ら作り上げてしまった杉岡氏。インタビューを終え、氏と朝まで飲み明かし、ボクは改めて一つの確信を得た。

「世の中に、選択肢は多い」




信念を持って行動することが、選択肢を広げることに繋がるのだ。

杉岡氏はその、生きた証である。


 

***





2007-3-1 by 雑魚ゾンビ

雑魚ゾンビ(ザコゾンビ)〜プロフィール〜


1979年生まれ。慶応義塾大学卒業。一流企業に就職するも、10ヶ月でドロップアウト。

以後、テレビAD、バーテンダー、AV男優、派遣社員など、30種近くの仕事を経験。暇をもてあまし、人間モルモットで稼いだ金で訪れた国は47カ国。現在、週休三日のサラリーマンをしながら、妄想の日々。








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