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 2007/2/24  
この世界を自分流のスタイルで泳いでゆく人々。

  映画感想家 「大林千茱萸さん」


 LIFE.19 「 映画感想家 大林千茱萸さん 」

by フォトノス金子


■プロフィール
大林千茱萸(おおばやし・ちぐみ)
 
東京生まれ。映画感想家。3歳から映画館に通い始め、以降年間300本のペースで映画を観続けて現在に至る。14歳から雑誌・新聞・テレビ・ラジオ・各種パンフレット・インターネットなど媒体無制限に活動。うえだ城下町映画祭自主制作映画コンテストでは第一回目から審査員として参加。映画監督の大林宣彦を父に持つ。一方、かの「天皇の料理番・秋山徳蔵氏」の最後の弟子にあたり、元宮内庁東宮御所大膳課、皇太子殿下と同妃殿下の主厨を勤めていた渡辺誠氏に師事。ACADEMIE CULINAIRE DE FRANCE(フランス料理アカデミー)日本支部を創設されたアンドレ・ルコント氏、及び渡辺誠氏主宰の【Le Fin du Fin】より1997年にDIPLOMEを取得。食事、テーブルマナーからプロトコール(国際儀礼)まで、広く食文化を探求するための【西洋食作法と美食の教室】を主宰。またビデオのキャメラマンとしても活動。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの日本武道館ライブや伊勢正三のライヴ映像、邦画のメイキング撮影などを手がける。責任編集本には「リュック・ベッソン」(キネマ旬報刊)、「なごり雪」(メディアファクトリー刊)などがある。
  ◆◆◆◆◆

生まれた時から映画に囲まれて育ってきた大林さん。
映画感想家として映画の道先案内人を務めると共に
フランス料理とプロトコール(国際儀礼)の教室を
主宰するなど、多才な活動をされている。
映画監督大林宣彦氏の一人娘として生まれた彼女に
とって、映画とはなんなのか。
そして、人生とは。
じっくりとお話を伺ってみた。




***

まずはその生い立ちから。
小学校時代から映画漬けだったというお話を聞いて
当時としては珍しく自由な気風の中で育たれたのか
な、という印象を持ったのですが。


「まず"自由"って何でしょうか。
 口に出して"自由"と言ってしまった瞬間に、
相方でもある"不自由"が現れる気がしてしまいます。
言霊の持つ魔力かも知れませんが。
実は私自身は自由に育ったという概念はないんで
す。
私が親から言われたのは、常に自分らしく生きな
さいと言う事。
責任を持って、道筋にぶれがないように。
自由に生きなさいと言われた記憶はないんですね。」



自分らしくと言うのは、また難しいですね。

「子供でしたから、混乱することはありました。
 何をするにでも理由を必要とされたからです。
 小さいながらも、なぜ自分がそれをやりたいのか、
 欲しいのか、数少ない言葉で親を論破しなければ
ならなかった。
 常に何かを手に入れるためには、相手を納得させ
なければならないと言う事です。
「子供だからダメ」と言われたことがない代わりに、
「子供だから許す」ということもありませんでした。」


なるほど。
自分もそうですが、つい親としては子供に対してコ
ントロールし易いように、頭ごなしに言ってしまう
事があります。
親の都合を押し付けてしまったり。


「確かに、友達の家に行った時に頭ごなしに叱られ
るのを見て、逆に「楽そうだな…」と思った事もありました。
なにしろ10才の時に「将来後悔しなければ、今あな
たが決めた事を尊重する」と言われても悩みますよ(笑)。
でも今思えば、そこで培われた物は大きかったです。
コミュニケーションの基礎を学んだというのかしら。
"自由"と"好き勝手"は違う。
"自由"には大いなる責任感と覚悟をもって挑まねばならぬと
身をもって知りましたから。」

ご両親は子供としてと言うより、一個人として伝え
ていたんですね。
自分に責任を持つ事がいかに大事かと。
それは仕事に対しても影響しているんじゃないです
か?

「よく「自分が生かせないから辞める」と耳にしますが、
私は常に来る物は拒まずに仕事をしてきたので、
どのような場でも自分を生かせる事を見付けるのが楽しかったです。
生きて見せようじゃないかと気合いが入る。
サバイバル意欲旺盛なんでしょうか(笑)。
もちろん痛い目にも遭いますが、その分学ぶことも大きい。
痛みを知らずに散漫で思いやれない人になるくらいなら、
思い切り痛い目に遭う方を選ぶ自分であり続けたい。
そして自分がその場で生きて、軌跡を残せば、次に繋がる。
実際はすぐに評価の出ないことの方が多いけれど、
10年経って芽が出ることもある。
最近、仕事を下さる方が「実は大林さんとは8年前にお会いしていて…」と
仰ってくれるようなことが多く、
過去に巻いた種の生長を身をもって体感しています。
私は勝手にそれを"出逢い直し系な仕事"と命名しているのですが、
そのためには常に全身全霊で誠心誠意。
自分が怠けたことは、必ず自分に返ってくるので手を抜かない。
誰も見ていなくても、自分が見ていますから。
自分がいちばん恐い(笑)。」



よく環境が人を育てると言いますが、大林さんの場
合はどうだったんですか?


「私の場合、母親のお腹にいた頃から両親は映画を
作っていたので、周りに常に大人がいました。
 しかもため息をつく大人がいなかった。
 みんな夢と野望をたっぷり抱えた大人たちばかりで…。
 それが私の情操教育には役に立っていたように思います。
それから、映画作りに明け暮れる両親を横目に、
幼い時は一年の半分ほどは祖父母の家に
自主的に避難していたのですが、
そこで祖父に教わった言葉が『永遠の未完成これ完成なり』。
私の座右の銘でもあるのですが、この言葉は本当に深い。
生きているということに完成図はない、
未完成だからこそ毎日新しい発見をして生き続けられるという事です。」




深い言葉ですね。
さて、大林さんが映画感想家と名乗ってらして、評
論家でないと言うのは?


「我が家には「2・2・6の考え方」と言うのがありまして。
全体を10とすると、私が何をやってもほめてくれる人が2.、
私が何をやっても嫌う人が2、あとの6はそのときどきで流動的な人。
だったらその6の人達を、ほめてくれる2の方に寄り添ってもらえるよう
努力しようじゃないかという発想です。
例えば映画は1本の作品を10人が観れば10本の感想文が生まれる。
「好き」にもさまざまな意味合いの「好き」があり、
「嫌い」にもさまざまな意味合いの「嫌い」がある。
それを全部自分の理屈に合う「好き」にしてもらおうというのは
傲慢だし、無理がある。人の気持ちはねじ曲げられません。
自分に「好き」「嫌い」があるように、
人様の「好き」「嫌い」を尊重しようと。
なので自分が好きな映画を、
流動的な6の人達になんとか歩み寄ってもらえるよう、
責任と覚悟をもって紹介する。
私の役割はソコなのかなと思っています。」




それだけ映画に深い思い入れのある大林さんですが
映画と離れたいと思った事はないのですか?


「恥ずかしながら12才の時なんですが。
 それまで息をするように映画を観て育ったので、
自分から映画を取ったらどうなるんだろう?
と言う恐怖が突然ふと落ちてきたんです。
 そして無謀にも一年間映画を観るのをやめてみました。
 そしたら・・・本当に辛くて辛くて辛くって──。
 そこで覚悟が出来ました。
 自分が映画業界に行ったら親の関係で
あれこれ言われるのはわかっていたけれども。
何と言われてもいいと腹を括れた。
映画監督の娘だから映画が好きなのではなく、
大林千茱萸個人の気持ちが心底映画を好きなのだと。
で、翌年反動で538本観ました(笑)。」


年間538本ですか・・・
愛ですね。
映画以外では、食に関するお仕事も多いと伺いまし
たが。


「一昨年病気をしまして。
それまではガード下の屋台から三つ星レストランまで、
食べる事が好きだったのと好き嫌いがなかったので、
ありとあらゆる物を食べてきたのですが、明日からそういう物
を食べてはいけないと言われた時に、頭が真っ白になりました。
家の中の調味料などを全て捨てて一からやり直しました。
涙目になりながら冷蔵庫の中のモノをすべて片付けたりして。
食べてはいけない物のレベルがどのくらいかと言うと、
コンビニで買えるのは水くらい。
デパ地下で売っているお総菜はほとんど不可。外食もほぼ不可。
明日から私は何を食べればいいの?とどん底でした。
けれど下がるところまで落ちると、
こんどは自分が今まで食べた事の無かった物だけでも
生きていられるんだと言う興味がわいてきて…。
それを調べ始めたら面白くて仕方ない。
実践したら確実に元気になった。
しかも美味しい。コレ重要(笑)。
今度はそれを人に伝えていきたいですね。
予防医学にもなると思います。」




でも、そう頭を切り替えて考えられると言うのは、
やはりご両親から教わった事のおかげじゃないです
か?


「育て方の話にもなりますが、土作りは親の役割で、
どのように育つかは自分の責任だと思います。
当たり前のことですが、
殺人者の子供が全員殺人を犯すわけではないですし、
発明家の子供がみな発明家になるわけではないのと同じことです。
ただそう考えると、いま思うのは、
私は両親によって有機無農薬栽培をされたのだなと、
とても感謝しています。
いろんな虫に食べられたり、大変な目にはあったけれど、
その分"私らしさ"の味も濃く、実りも多く、
痛みを知ることで強く育ちましたから。」


今日はどうもありがとうございました。
最後に今思う事は?


「出し惜しみをしない人生を歩みたい、
そして知ったかぶりをしないと、常に自分を律しています。
 それがより丁寧に出来れば嬉しい。
 自分の持っている引き出しを全部広げておく。
 そうすることでそこでまた新たな出会いがあり、
自分の引き出しも増えて行くと思うんです。」


 

***


大林さんの話からは、いろいろな事を乗り越えた自
信を感じられた。
自由という意味、責任、そして大人としての役割。
今春から夏にかけて、父である大林宣彦監督の作品
が2作公開される。
監督の映画の道先案内人として、最大の理解者とし
て、大林さんの映画との蜜月の日々はこれからも続
いてゆく。




2007-2-7 by フォトノス金子

金子洋一<フォトノス金子)
45歳 妻ひとり子供3人
フォトノスタルジア代表
http://www.fotonoss.com








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