■プロフィール
妹尾隆一郎
・・・ ウィーピング・ハープ・セノオ。ブルースハーモニカの分野では日本を代表するミュージシャン。
1949年大阪市生まれ。1972年、B.B.キング来日時には前座で出演。1974年9月、「オフ・ザ・ウォール」を経て「ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ロ−ラーコースター」を結成。同年、現在も名盤の誉れ高い1stアルバム『メッシン・アラウンド』発表。内田勘太郎、近藤房之助など日本の第一線のブルース・ミュージシャンが結集。翌1977年、2ndアルバム『ブギ・タイム』発表。渡辺香津美、村上秀一、泉谷しげるなど、1stアルバム同様豪華なミュージシャンたちを迎え好演。その後も精力的に活動し、全国のライブハウスを行脚。また上田正樹、久保田真琴、桑名正博、憂歌団、矢沢永吉、サザン・オールスターズ、泉谷しげる、もんたよしのり、プリンセス・プリンセス、B'z等、過去から現在において、共演したアーティストは多彩で非常に多い。また、自らハーモニカ教室も開き、後進の育成にも力を注いでいる。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~blowharp/weep.htm
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西濱哲男
・・・ 19才よりプロ活動をスタート。
1975年 実力派バンドトランザムのヴォーカルに参加。
トランザムを脱退、以後、映画のテーマ曲、CMソング等を製作、及び参加する。1976年
映画ドーベルマン刑事主題歌<黒い涙>発売、同時に映画にも出演する。
1978年 シングル<ディスコ・ポパイ・ザ・セーラーマン>を発表
1981年 シングル<なめんなよ>アルバム<なめんなよ>大ブームになったあの、なめ猫。
アルバム3枚、シングル10枚発表。1998年 妹尾隆一郎、内海利勝と共にブルース・ファイル・NO1を結成(最初は3人でスタート)演奏活動を開始する。
http://members-abs.home.ne.jp/teebf/
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>>2006年12月16日、東京は豊島区にあるブルースバー”SPOONFUL”
にて今回の企画 ”妹尾
隆一郎 & 西濱哲男 VS HATA / 誠一朗 〜世代を超えたブルーストークセッション〜 ”が行われた。
音楽をやる人であればすぐわかるこの豪華な企画。歴史に残るような勇気をもらえる名言が炸裂しています。
妹尾さん、西濱さんに相対するのはフリスタでお馴染みのブルースマンHATA、(※インタビュー&LIVE会場となったSPOONFULはHATAが店長を務めるお店です。)
そして若き詩人 誠一朗。人生の全てを音楽に、そして自由に生きることに捧げた男たちの声にどうぞ耳を傾けて見てください。
自由に生きることの厳しさ、切なさ、そして素晴らしさ。世代を超えて必ず伝わると思います。(フリスタ編集長MIZK)
※ちなみに妹尾さん、西濱さん最近ではともに週刊モーニングにて連載されていた”Hey!ブルースマン”のモデルとなっています。
読むとキャラクターがそのまま出ていて面白いです。是非書店でどうぞ。 |
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HATA/誠一朗 「今日はよろしくお願いします。」
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妹尾氏 「うん、よろしくね。ところで唐突だけど誠一朗君、年いくつ?」
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誠一朗 「自分は25歳です。」
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妹尾氏 「俺の半分以下やな・・・ 生意気な(笑)」
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西濱氏 「ちょうど、うちの下の息子と同じくらいだ(笑)」
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左から西濱さん、妹尾さん、HATA、誠一朗
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HATA 「おつきあいのきっかけは西濱さんが僕のライブに来てくれたことだったと記憶してるんですけど、あの時は本当にありがとうございました。酔っぱらいの誘いに応じてもらいまして(笑)」
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西濱氏 「うん。ほんと酔ってるとこばかり見てる(笑)」
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HATA 「でもほんと、妹尾さんの音楽、そして西濱さんの音楽は僕にとっての基本で何度でも何度でも聞きたくなります。」
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妹尾氏 「そうやな。音楽っていうのはその時その時で色々な面があるけれども、結局のところよりシンプルにシンプルにつきつめてゆきたくなるね。自分は。テクニックを追い求めた時期もあるし、それはもちろん大切なんだけど、それを超えるとやっぱりシンプルなものがいいなあと思えるんだよな。」
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西濱氏 「本物のブルースを聴くと、腕が上手いとか下手とかぶっ飛んじゃうんだよね。音の圧力というかなんというか、つまるところテクニックなんか関係ないじゃんという風になるね。」
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HATA 「誠一朗も若い世代では珍しくブルースに凄く興味を持っているけどそれはどうして?」
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誠一朗 「ブルースには何かこうネガティブなものを弾き返すパワーというか、そういう目に見えないものを感じるんですよ。わけのわからないものを。」
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妹尾氏 「そうやな。そのわけのわからんものは凄く大事やな。それこそがブルースとも言えるかも知れんな。」
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HATA 「俺はマディウォーターズを聞いてからブルースにはまったんですけど、とにかくあの声がかっこよくて。。今だに最高にかっこよいと思えます。声に惹かれますね。西濱さんの渋い声にもまったく同じかっこいいものを感じます。」
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HATA 「お二人がブルースに出会ったきっかけを教えてください。」
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西濱氏 「僕はラジオ。オールナイトニッポンですね。それを聞いて最初はブルースっていう概念も知らずにただかっこ良いロックだと思ってた。」
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妹尾氏 「あの頃のアメリカの音楽は全部ロックだと思ってたよね。ブルースっていうのものを理解していったのは後からだったね。」
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西濱氏 「でもブルースに出会わなければ今の人生はないですね。でも本当は絵描きになりたっかんだけどね。生活のためにアルバイトで始めた音楽がいつのまにかメインになっちゃった(笑)」
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HATA 「お二人はどういう経緯でプロミュージシャンとなったのですか?」
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妹尾氏 「僕らの時代はプロとかミュージシャンという概念があまりなかったんだよね。だからなり方みたいなものも別になかった。
とにかく浪人中にディスコに出るようになって音楽おもろいなあと思って、どうしたらもっと音楽活動できるかなあと思ってまずはNHKののど自慢大会に応募したんだよね。落ちたんだけど(笑)ガットギター持っていって、ドリトル先生動物航海記を一人で歌ったのを憶えてる。繰り返すけど落ちたんだけど(笑)
そんなしょぼくれた時期があって、そこからたまたま飛び込んだ大森の貧乏アパートで西濱ちゃんと出会った。」
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西濱氏 「まっ昼間からオバケが出るすごい貧乏アパート(笑)家賃は確か3千円くらい。」
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妹尾氏 「オバケは出るけど、すごい暮らしやすかった。とにかく家賃が安いし、一日何かアルバイトでもすれば楽勝で暮らせる。そんな時代だった。ほんと遊んで暮らしてた。今の若者は家賃が高すぎてかわいそうだと思う。
僕らはほんとに一日100円で暮らせたからね。
」
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西濱氏 「結局、カラオケもなかったし、音楽を出来る人間が少ない時代だったから音楽の仕事もたくさんあったんだよね。流しとか。すごい儲かったよ。チップだけで生活できるくらい。そんな時代ですごくわかりやすく言うと、何となくやってたらプロになってた。」
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妹尾氏 「うん、そんな感じやな。」
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西濱氏 「だけど妹尾と違って僕は結婚もして子供もいたから、妹尾みたいに音をつきつめるというか、自分の好きな音楽だけをやるという道へは行かなかった。商業的な音楽のほうに行ったんだよね。妹尾はその逆で金にならなくてもいいから自分のハープの道を究めていった感があるね。」
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妹尾氏 「うん、そうね。だからプロになってからは、しばらく会ってない時期があったよね。でもそんな二人が何十年かたち再び音を出してみたら一発で音があった。そして今のブルースファイル、そして”てっちゃん、せのちゃん”があるね。」
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てっちゃん、せのちゃんLIVE
その笑いを交えたエンターテイメントぶりは圧巻。
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HATA 「その当時、ハーモニカを吹いている日本人て他にいたんですか?」
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妹尾氏 「いたよ。でもハープ一本のやつはいなかった。うまいやつもいたけど、でも俺のようなブルースハープを吹くやつはいなかったね。フォークの人とかが多かった。だから困ったことに誰も教えてくれないんだよ(笑)自分で全部レコード聞いて憶えていったんや。布団かぶって(笑)」
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HATA 「長いあいだ音楽とともに生きて来れられたと思うのですが、苦しかったこととか、辞めたいと思ったことはなかったのでしょうか?」
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妹尾氏 「うーん、苦しいことは山盛りやな(笑)仕事干された時期だってあるし(笑)今だって大変やで(笑)社会保険の問題もあるしな(笑)でも結局のところ、これしか出来ないからズルズルズルズルと今に至っている感もあるね。」
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西濱氏 「もうダメだ!辞めたい!って思うことがあってちょっと止めてみても、結局無理なんだよね。一週間もすると体が音楽をやりたくてムズムズして来ちゃう。そして戻る。それの繰り返し。」
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妹尾氏 「でもとにかく喰っていかなあかんかったからな。親にも勘当されとったし、音楽の道しかなかった。でも振り返ってみると一時期、俺のまわりでは仲間がどんどん音楽をやめていって一人になってしまったことがある。その頃はマージャンばっかりやって暮らしてた。」
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西濱氏 「一時期、みんないなくなっちゃたよな。」
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妹尾氏 「ライブも出来ないから雀荘にいる時間のほうが長い。でもそんな時でもハープの練習はめちゃくちゃやってたね。家にこもって布団かぶって、中にレコードプレーヤー持ち込んで、ひたすらコピーしてた。でもこの頃の時間は今思うとほんと自分の身になったね。飯も喰わずに気がついたら10何時間過ぎてたなんてザラだった。でもそんな時期を楽しんでる自分もいたな。
でも一番辛かったのは90年代かな。バブルが崩壊してどんどん仕事がなくなって、その頃は結婚して家庭もあったから本当大変だった。その頃はどこにいっても金儲けの話しはないかなと浅ましい顔をしていた気がする。それは正直我ながら恥ずかしいことに思えたな。。。
その頃ちょうど神戸の大震災もあったりして、それも衝撃的だった。人生はいつ終わるかわからないというような焦りですごく考えることがあった。」
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西濱氏 「あの頃の妹尾は本当焦ってたよね。まわりからクスリでもやってるんじゃないか?と疑われるくらい狂ったように動きまわってたのを憶えてるよ。」
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妹尾氏 「うん、我ながら焦ってたね。でもちょうどその時、西濱ちゃんと再会したんだよね。」
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西濱氏 「そうそう。それで一緒に音出してみたんだよな。そしたらピッタリだったんだよな!それが今につながったんだ。」
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HATA 「人生の先輩として今の若い世代に何か一言お願いします。」
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妹尾氏 「今の子供たちは可哀相だよね。親が何にも子供に言わない。放任主義とかじゃなくて、ただ子供のことが怖いんだろうな。もしくは過剰に自分の子供を信じているか。とにかく親自身が仕事でも何でも色んな意味で疲れ切っている気がする。
人間って何かハードルというか、自分にストレスをかけるアンチ的存在が必要なんだよね。それが夢へ向かう原動力になる。でもそれがなくて上から、何してもいいよ〜とか言われてもあかんねんな。
でもとにかく伝えたいのはこれや。”結局、人間は最後は自分でケツを拭くしかないんやから、自分の好きなことで生きるべき。好きなことでなら自分のケツは拭けるけど、好きでもないことをやってケツを拭かねばならん時はほんまにキツイで。
しかもそれが誰かから押し付けれたものであったりしたら、それはもうシャレにならんくらいキツイで。」
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西濱氏 「若い世代には自分の信じた、自分で作った価値観で生きていって欲しいよね。自分の勘を信じて。」
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妹尾氏 「好きにやったらええと思うよ。世間に、お前アカンと何言われようと。俺なんかも散々言われたよ。そんなんで生きていけるか!って。でもこうして人生を振り返ってみるとちゃんと、音楽でハープで生きてこれている。結局そういうことだと思う。」
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妹尾氏 「ブルースを長くやってきて僕は人間の根本的な悲しみみたいなものを理解できた気がするんだけど、今の現代社会にも同じそういう悲しみを凄く感じる。これは実は凄く怖いことのようにも思える。今の時代は大人が子供の、そして若者の未来を潰してる。僕にはそう思える。」
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誠一朗 「さっき出た大森の安アパートでの仲間との暮らしの話し、僕も仲間と似たようなライフスタイルなので共感します。家賃は高いですけど。」
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妹尾氏 「ほんとあの頃は持ちつ持たれつだったね。金の貸し借りもめちゃくちゃしたし。でも今みたいにお金に対してせち辛い世の中でなくてほんと楽しい時代だった。ほんと、若い頃はメチャメチャやったほうがいいよ。遊ぶなら遊ぶでとことんやる、世間にどんなにバカにされようとやる。そこから何かが生まれるパワーが出ると思う。」
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西濱氏 「チョイ悪なんてせこいもんじゃなく、俺達はもっとハチャメチャやってたからね。でもそのおかげで今は苦労してるかも知れない(笑)」
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HATA 「妹尾さん、西濱さんにとって”音楽やブルース”とは何でしょうか?」
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妹尾氏 「今の俺にとっては生きがいだね。うん。」
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西濱氏 「何だろうね。他にやることないからね。これを失くしたら何も残らないからね。」
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妹尾氏 「何よりやっていると楽しい。そしてやり続けていると経験として必ず何かが生まれるから。それに今の僕らは、お金のことをまったく考えないわけではないけど、それが100%ではないんだよね。とにかく俺達が楽しんでやっていることが自然にお金に結びついていって欲しいという感じだよね。だからとにかく楽しんでやってる。そしてそんな俺らのことを是非見に来て欲しい。
きっと明日への活力になると思います。」
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西濱さん、妹尾さん達をモデルにした”Hey!
Bruesman” 書店にて発売中
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HATA 「自分のやりたいことをやって生きてゆくってことに普通、若い人は不安とか覚えると思うんですよね。なんて言いましょうか、アウトサイダーで生きる不安というか。社会から外れる不安ていうか。そういう不安を持った人々に何かメッセージはありますでしょうか。」
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妹尾氏 「そうやな。そういえばこの間、鳥取のほうへ行って移動で山中の電車に乗ってたんや。そしたらな山の中にポツンと灯りのついた一軒家があるんや。そしてこう思ったんや。こういう地方で暮らしをしている人たちはどんな仕事をして生きているのだろう?って。
もの凄い山の中だからきっとサラリーマンとかではないと思うんやな。いわゆる世間様でいう地味な目立たない仕事で日々を細々と暮らしとるのかも知れん。
でもなわしは、その風景を見てこう思ったんや。世の中で社会とか世間とか一般的に呼ばれるものって誰かが勝手に決めたもんでしかないんやなと。
視野を広く見ればこの世界では、サラリーマンをやらずに、ネクタイなんかビシっとしめずに生きている人間のほうが実は多いんや。そのことを声を大にして言いたいんやな。
だから誰かが勝手に決めた社会とか世間といったものからドロップアウトすることにビビらないで欲しい。胸を張って堂々と自分のやりたいことを追って欲しい。」
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西濱氏 「自分の人生と他人の人生をくらべて不安になるのはバカげたことだと思うね。自分の勘を信じて堂々とやって欲しいね。」
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HATA 「最後になりますが、妹尾さん、西濱さんにとって”自由”とは何でしょうか?」
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妹尾氏 「自由って簡単なことや。ふっきればいいんや。自分を縛る何かを。それは親であったり社会であったり。」
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西濱氏 「でも自由っていうのは本当難しいよね。自由っていうのは自分で自分を制約できないとダメなもんだよね。僕はそう思うな。」
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妹尾氏 「うん、そうだね。自由にはそういう面があるのも確かだね。でも僕は自由って何だ?と問われたらこう簡単に答えたいんだよね。それは”自分にとって喜びを感じるもの”が自由。その反対で、”自分にとって喜びを感じないもの”が不自由。
喜びを感じるものは何だっていいんや。人を好きになることだっていいし。
人生は自分にとって喜びを感じて生きてゆくことに価値があると思うんだよね。そしてその喜びを感じている姿に周りの人は自由を見る気がするんだね。
その逆で憂鬱を抱え込んで生きている人の姿には人は不自由を見る。ただそれだけのことに思えるんだよね。」
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HATA/誠一朗 「今日はありがとうございました。」
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★★妹尾隆一郎ハープ塾
in 東京 開講!!
妹尾氏のハープ塾が2007年4月より東京にて開講されます。
期日:毎月2回日曜日
月謝:10000円
場所:ギターズマーケット
お問い合わせ/ Tel 03-3334-5556
E-mail: g-market@kt.rim.or.jp
杉並区西荻南4-27-9土屋コーポ1F |
詳細は↑をクリック |
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