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 LIFE.10 エンスーの杜 代表 " 金盛 哲二さん "
by フリスタ編集 MIZK / フォトノス金子




”エンスーの杜”この名前を知っているあなた。


http://www.enthuno-mori.jp

あなた、エンスーですね??

エンスーとは古い車や珍しい外国車などをこよなく愛する人々の略称。

この広い世の中、その車好きが高じてその世界で起業し大成功を収めた人がいる。

その名を”金盛哲二”さん。

昨年「”好き”を仕事にする本」を出版しその自由な生き方に拍車をかけた金盛さんに今回はお話を伺ってきた。

金盛さんの完全ポジティブシンキングはきっとあなたに勇気を与えます!!

"好き"を仕事にする本

金盛哲二 著   1470円
ロコモーションパブリッシング


◆◆◆◆◆


金盛哲二氏 PROFILE
1969年  千葉県生まれ
1988年 偏差値が普通(50)の私立高校を卒業。同級生が意味も無く進学する様子を見、「俺は社会に出て稼ぐんだ。」と意気込んで流通業に就職。しかし3年後、9年先輩の係長(同じく高卒)の給料明細(手取りで18万円)を見て退職を決める。将来は独立しようと決めていたので、いろいろな職種の社長さんに会えると思い、広告代理店に転職。
1998年 28歳のとき交通事故で3ヶ月入院、6ヶ月休職、18ヶ月通院。頚椎損傷で右半身が不自由に。60kgあった握力も14kgに。リハビリの結果、回復するも右半身にやや不自由が残る。(身体障害者認定) 体に無理が利かないということで、営業から内勤にまわされ、会社では不本意な仕事を3年間し最後には上司と喧嘩。リストラ同然で会社を退職。
2001年〜 起業を決意。32歳。マニアックなクルマの個人売買情報サイト『エンスーの杜(もり)』をスタート。1日に100万ページビューを超える人気サイトへと育て、画期的な急成長を遂げた。今年5月には株式会社青年実業家を設立。さらなる挑戦を続けている。


◆◆◆◆◆


---はじめまして、今まで何度かお会いするチャンスはありましたが、こうしてちゃんとお会いするのは初めてですね。今日はよろしくお願いします。

「はい。そうですね。こちらこそはじめまして。よろしくお願いします。」

---金盛さんのご活躍、YAHOOチャージャーで拝見しました。http://promotion.yahoo.co.jp/charger/200606/contents06/theme06.php

本当に目ざましいご活躍ですね。

「いやいや、そんな。」

---フリスタ読者には金盛さんが成功にいたるまでの経緯はYAHOOチャージャーで見てもらうとして、今日はフリスタならではの突っ込んだ意見をお聞かせ願えれば幸いです。

まずは子供時代のことなど、お聞かせ願えますでしょうか。

「子供時代ですか。うーん、いたって普通の子供でしたよ。特に変わった子ではないと思います。中高も別に普通。ただ勉強は嫌いでしたね。」



千葉は八千代にある事務所にて

---その後、大手流通会社に就職されたわけですが、その時のエピソードなどあれば。

「僕は皆が誰でも知っている大きな会社に就職したわけですが、とにかく給料が安かったんですよ。びっくりするくらい。一番ひどい時で手取り9万9千円とかありましたよ。信じられます?デートもできない。そして何年も先に入社した先輩はどうかというと状況が僕とあまり変わっていない。。。これは、ダメだなあと正直思いましたね。」

---それで最初の転職となるんですね。

「はい。ちょうど知り合いがうちの会社に来ないか?と言っていたので渡りに船だなと思って。転職した先は地域情報中心の広告代理店でした。」


---広告業界はいかがでしたか?

「広告業界は意外と楽しかった記憶があります。もともと独立心の強かった僕なんで営業で色々な会社の社長と会えたのがすごく良かったですね。」

---でも、それから事故にあわれて。。。

「はい、後ろから車で突っ込まれる形のもらい事故だったんですけど、これで人生変わりましたね。椎損傷の大けがでリハビリにそうとうな時間がかかったし。(約18ヶ月) 身体障害者認定もされるし。(今はそうとう元気です。)

それがもとで営業から内勤になってそれが原因で結果的に会社もリストラ同然で辞めることになってしまった…内勤というデスクワークが僕に合わなかったんでしょうね。

会社を辞める時も、上司のバカさ加減にあきれて面と向かって”お前、バカだろ”と言ってしまい殴り合いになるという凄く過激な展開。今思うと凄い時期だったなあと思う。」


---でもそれが今思えば重大な転機ですよね。

「そうですね。上司にバカと言って殴り合いになった時、後輩とかからはひたすら、謝れば会社に戻れますからって言われたんだけど、僕はガンとして自分を曲げなかった。もともといつかは独立したいと思っていたし。。。そして決めたんですこの掟を。

 「サラリーマンには戻らない」
 「好きな事しかしない」

という2つのオキテを 。」

---僕この言葉、そして決意が凄く好きなんですよ。でもどうしてこう思ったのですか?

「結局、もう僕は自分のことを知っていましたからね。

ああ、自分はやっぱりサラリーマンは出来ないなと。 仮に違う会社に再就職したとしても、きっと同じことを繰り返すだろうなと明確に思っていた。だからサラリーマンには戻らないと決めたんです。」

---でもご家族の理解を得るのは大変だったんじゃないですか?

「普通、そう思いますよね。僕も会社を突発的に辞めて来た日は妻になんて言っていいかわからなかったです。うーん、どんな顔しよう。。。みたいな。それでおそるおそる家に帰ったんですけど、僕の奥さんは偉かった!ちょうどその時奥さんには3人目の子供がおなかの中にいて最も大変な時期だったんですけど、会社をやめて来た僕にこう言ったんです。

”そう、でもまあ前から独立したかったわけだからいいじゃない。”って。。。

この奥さんの一言がなければ今の僕はきっといないです。」

---それは本当にすごい奥様ですね。普通そのシチュエーションでその言葉は出ない。

「最近、僕、成功者のそばにいる女の人ってどういう人が多いんだろう?って色々調べているんですよね。そうするとほとんどがうちの奥さんみたいなタイプなんですよね。だから自分のパートナーを成功させたければ、もっともダメな時こそ思いやりを持って接するのが大事。これは絶対正しいと思います。」


---それからエンスーの杜が始まったわけですよね、最初の頃のお話などを。

「最初はまあ、当然ですけど、全くお金になりませんでした。もうまったく(笑)」


---どのくらいの期間、ダメでした?

「一年くらいはダメだったと思います。完全に貯金を食いつぶす生活。そしてついには貯金も底をつき、キャッシングで借金を余儀なくされるまでに。。。」


--- ・・・

「でもそのくらいのタイミングからラッキーにもエンスーの杜が注目を浴び始めました。そこからはトントン拍子でした。あれよあれよと言う間にうまく転がっていきましたね。そして現在にいたります。生活費の心配もなく。ほんとう自分の好きなように生きれています。

でも、人間はあれですね。成功したら成功したでその状況に飽きてきちゃうんですよね。満たされていることに退屈を感じはじめてしまう。だから今年から僕は新たなプロジェクトをスタートさせました。

その名も"青年実業家ドットコム”
http://www.s-jitugyouka.com/index.html



---青年実業家ドットコム

「はい、わかりやすく言えば、若者の起業を支援するプロジェクトですね。ニートとかフリーターとか色々言われているけど、まだまだこの世界にはチャンスがある。そんなチャンスに挑戦する若者を応援して育てたいんです。それが"青年実業家ドットコム”

今の子供たちは学校を卒業したら就職するか、それともニートやフリーターのようなものになるか2択しかないと思っているところがあると思います。でもそこに第3の選択肢”起業”があったっていいじゃないですか。普通に若者にも"起業”という選択肢がある。僕はそんな世の中にしたいんです。」




---それは凄く新鮮な響きですね。

「現代は何もしないと本当、みんな下流社会のまま生きてゆくしかないと思う。だけどチャンスはないわけじゃない。そのチャンスを求めるかどうか。それがこれからの時代もっとも大事なことになる気がします。」

「それにこれは凄く大事なことだと思うのですが、自分には運がないとか嘆く人がいますが、私から見れば、この豊かな国、日本という場所に生まれただけで、もうその時点でラッキーです。充分、幸運です。這い上がるチャンスなんていくらでもある。その這い上がるチャンスすら絶望的にない国がこの世界にはたくさんある。そういうことをちゃんと認識することも凄く大事だと思っています。」


左 金盛氏 右 MIZK

---では最後に、金盛さんが成功し、自由型の人生を手にいれることが出来たのはどうしてなんでしょう?

「うーん、それはですね。。。 もしかしたら、これかも知れません。





自分の好きなことを一生懸命やればおのずと道は開けます。私はそう思っています。」


---本日はどうもありがとうございました。


「はい、今度一緒に飲みにゆきましょう!」


☆インタビューを終えて

金盛さんとは、以前どこかですれ違っていたかもしれない。
いつも「エンスーの杜」を楽しみにしている自分にとって、そんな金盛さんが気負いなく作っているサイトだからこそ、この居心地の良さが出せるのかなと思う。

一つの成功に甘んじる事なく、次の目標に向って若い企業家のたまご達と真剣に語り合うその姿。

「店を出すわけじゃなし、失敗してもたかが知れてますよね。だったら、やってみましょうよ!」

その言葉は、若い企業家達だけでなく、我々にも響いてくるものがある。
次のステップに向けて、これからもどんどん挑戦し続けて欲しい。

(フォトノス金子)



お会いする前、正直に言うと僕は金盛さんのことを、もっとゴリゴリした押し出しの利いたアクの強いタイプの人だと勝手に想像していた。他のIT関係の青年実業家や若手の飲食業界によく見られるような。

でもお会いしてお話ししてビックリした。金盛さんは、本当に好奇心のかたまりで心にやましいところが一切なかった。そして他人のことをびっくりするくらい信用して常にウェルカムな感じでたたずんでいる。

自身でもおっしゃっていたのだけど、本当子供のまんま大きくなったんだそう。だからずっとニコニコしている。そして色々な人のことを尊重し、素直に受け入れる。

成功へと人を導くもの。

そういうヒントみたいなものを見た気がした。

インタビューにて金盛氏はこう答えている。”やりたくないことはしなくていい” この意見に僕は凄く同感で僕もサラリーマン時代に同じ結論を出した。


サラリーマン時代、自分の本音を語るとほぼ全員こう言った。”世の中お前が思うほど甘くない。” でも、現状はどうだろう。僕は好きに生きているし金盛さんのような成功者もいる。

やりたくないことをやり続けると人間という生き物は病気になって死ぬ、と村上龍は言った。

人生は楽じゃない。だけど自分の目指す方向に進むことはできる。そんなことを思いつつ、金盛さんのラッキーパワーに 僕もあやかろう!!そんなことを素直に思いました。はは。飲みにゆくのが楽しみ。


(MIZK)


2006-6-25 by フリスタ編集MIZK / Fotonoss Kaneko


http://www.fotonoss.com

http://www.mizk.net/





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