独立した当初、確か29歳くらいの時。 はっきり言って僕は、ひもみたいなもんだった。 独立したはいいけど、満足な生活費を稼ぐことはなかなか困難だった。 だから僕は妻である彼女の収入に頼った。 彼女は池袋にある、もしもしホットラインというところで、DMかなんかを送る仕事をしていた。 確かその仕事の収入は月15万円くらい。 そして僕の収入は月5万円くらい。 そのふたつをあわせてようやく生活していた。 金を稼げない男はせつない。 いつも彼女に対してひけ目を感じる。 そして僕は強力なコネがあるわけでもなく 素晴らしい実績があるわけでもない 勝手に独立した自称WEBディレクター そんな吹けば飛ぶようなチンピラのような存在。 よくもまあ生きてこれたと思えるくらいの状態。 宇崎竜童が主演した映画「TATTOO 刺青あり」という映画で、主人公があてもなく「バンブー企画」という屋号の会社をつくり生きてゆこうとするシーンがあるが、まんまそんな感じだった。 毎朝、彼女を車で駅まで送り、その後は家でどうにか、仕事を受注する方法を模索する。 色々な方法を考えた。 でも、まあ、皆、いい結果には結びつかなかった。 日本は他人をなかなか信用しない国だから、あらたな人間関係を構築するのはとても難しい。 飛び込み営業でもなんでも、死にもの狂いでやればいいんだろうけど、そこまでエネルギッシュにはなれない自分がいる。 そして昔広告会社の営業マンだった時に経験した飛び込み営業への冷たい仕打ちを思い出しブルーになったりもする。 どうしたら前に進めるのか? 答えはしばらく出ず、いらいらしてタバコばかりを吸っていた事を覚えている。 独立当初。 29歳くらいのころ。 僕は ”ひもみたいなもん” だった。